寄書 兵庫縣の風景

津川清造
『みづゑ』第六十三
明治43年6月3日

 兵庫縣の風光それには餘り感心出來ず候、然しその感心出來ざる裡にも感心致す處も有之候へば、有名なる舞子濱は東海道線(或は山陽線か)で下車せられば宜敷候、夏期の遽暑よりも此邊一體は冬期の避寒には好適の地と思はれ候、後に中國山脈を負ひ、前に瀬戸内海を控へ、南に淡路島を望み、實に山海の勝共に備りて極ま叫なき絶景の地に候、晴天には淡路島あまりに近く餘りに明瞭なるが故に、寫生には不適當と存じ候、曇天の波荒き時、淡く村落森林の點々せるを眺むる時が好き様に感ぜられ候、朝夕は白帆入り亂れ中川八郎氏の瀬戸内海その儘にて、後の山に登らば、猶も其の感を高め候、秋は背後の山間に畫題豊富に候、総體に小品的の景色に候、秋の観月も又た興味多きものに候、老松、それは山上より見るに宜敷く思ひ候。
 明石町は、北に丘陵を負ひ南に明石海峡を望み、風光麗しく、人丸耐社は停車場の東北にあり、山上よ」の眺望は舞子附近に劣らず、松並木街遣、内海皆風光佳なり。
 「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島かくれ行く舟をしそ思ふ」
 とは人丸の歌として名高きものとか、何にしろ絶景と存じ候、明石城の夕も麗しきものにて、松林と天守閣との對照も面白ければ堀の蓮に夕日の映じ居るも面白き圖に候。
 石寳殿、高砂の松、相生の松、片枝の松、書寫山鶴林寺等を一順するを幡州回りといひて、好時季を期してめぐるといふ、されど小生は未だ観覧せざれば之を説き得ずといへど、加古川沿岸の布局の大なる景は、時々車中より見たること有之候。
 舞子驛より北へ二里、太山寺といふ寺あり、山間の専院にして、附近は勝地に富み、西洋人等の筆を振ふ者多しとかいふことに候。
 神戸布引瀧は、小生の朝夕散歩する處にて、神戸にての名勝地に候が、あまり感服致さず候、但し避暑には好適當と存じ候、此虎に遊ばるゝ諸氏、吾家を尋ね給はらは有難く存じ候。
 摩耶は三宮驛より東北約一里の處にありて、檜杉森々として畫猶暗く、避暑する客もありとか、高さ十八丁、山上に寺院あり、宿も世話するといふことに候。
 六甲山は小生未だ登り見ざれど、絶景とかのこと、夏は冷しく、駕籠の設けも有り、冬は氷を製造するが見事なりといふことに候。
 有馬町の温泉にて名高きと共に、風景も亦麗しく、夏の避暑秋の紅葉、共に三田停車場をにぎはすとのことに候、一夏此處に過せしこと有りしが、なかくに忘れ難き處に候ひき。
 箕面は縣下唯一の公園にて、瀧は名高きものに候隔或時此處にて一畫家に寫生帳を見せてもらひしも、此の公園に候、坂鶴線池田驛より約二里半馬車の設けあり、公園の紅葉麗しく、時には猿群を見ることも有りとかいふことに候。
 寳塚温泉は賓塚驛より数丁にして達す、瀧あり、その武庫川の渓流は實に面白く、スケッチブックは満たさるべく候。
 其他、城崎温泉、玄武洞、淡路島等の名勝地多けれど、小生の淺見未だその勝を談る能はず、亦た見聞狹きを以て略すべく候只拙文を以て、一部たりとも現場を想像するの材料たらばそれにて満足致すべく候。(完)

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