韓國の風景

山縣五十雄
『みづゑ』第六十四
明治43年7月3日

 日本の山水の美なることは言ふ迄もないが、内地にばかり居て一歩海外に足を踏み出さない人には、どれ程日本の山水の美しいかが分るまいと思はれる。自分も去年の三月當地に來る迄は實際之を知らなかつたのである、釜山から京城迄鐵路二百哩、其間洛東江の岸に沿ふて走るあたり、風景のいさゝか見るに足るものが無いでもないが、絶えず眼に入るは禿げたる山乾きたる野、豚小舎の如きいぶせき草家の不規則に集合せる韓人部落等、千篇一律少しの變化もなく、趣味もなく、眼が痛むやうに感ぜられる。
  斯の如き乾燥無味なる韓國より母國に歸りて見ると、我國の美しいことが適切に分るのである。船が馬關海峡に入るとにや心持が違つて來る、何だか大きな庭園に這入つたやうに思はれる、下の關から新橋迄の汽車族行は、日本に居慣れた人にとりては或は退屈で、あるかも知れぬ、實際自分も日本に居る頃、數回此間を往復した時には、其長いのに倦み果てたが、去年の夏韓國から歸つた時には厭きるどころか、物見遊山に行つたやうに感じた、野も山も海も河も、村落も市街も、どれも一つ美しく見えぬものは無い、まるで一大庭園の中を玩具の汽車に乗つて見廻つて居るやうに感じたのである。
 

代表的韓國の風景

 人に四圍の状況に依りて其思想好尚を變へるものである、日本人が美術心に富み、美術に長けて居るのに反し、韓人が之を缺きて美術に劣等なるは、全く其國々の風景に支配されたものであらう。乾燥無趣味の風景を見慣れたる韓人に、美の觀念が乏しいのは誠に道理あることで、今日韓國に美術と名づくべきものが絶無なるは、全く韓國の山水に美が無のからである。而して、韓國の山水に美が無い所以は、畢竟するに山に樹木が無いのに基くことは疑れぬ、山に樹が無い故に河に水が乏しく地に濕が無い。古代の韓國は美術に富んで居た、蓋し其頃の韓の山には樹木が茂つて居たのであらうと察せられる、數百年の惡政は人民を貧ならしめ、貧乏は人民を駆りて山を裸にせしめた、今日の韓人が美の觀念を有せず、高尚なる趣味を有せす、崇高なる理想なく、遠大なる希望を有せずして亡國の悲境に沈倫しつゝあるは、悉く遠因を樹木なき山に歸せざるを得ぬ、韓國及び其國民を根本より救ふの途は、全國の山を綠にするに在ることは疑いない。
  韓國の風景は、一般にしかく乾燥無趣味なれど、唯一つ限りなき感慨を遊子の心に起さしむるものがある、それは韓國の諸都市を圍める廢紙の域壁で、其崩れかゝりたる有樣は凄惨悲哀の觀念を喚び起し、觀る人をして何とも言へぬ一種の美的感情に打たれしむるのである、況して晩秋の頃これにまつはれる蔦が紅葉して、將に枯凋せんとする光景は、日本に於て何處にも見られぬ悲哀の美の極で、韓國數百年來の悲劇の粹は、まさしくこれに現出されて居る、韓國が詩人畫家に提供し得る材料は唯これあるのみ、然しこは他に求め難き好題目で、これあるが爲めに詩人畫家等は、筆を載せて一度韓國に來遊して可なりである。

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