蝶類の配色分解に就きて

長野菊次郎
『みづゑ』第六十四
明治43年7月3日

 興るかと思へば亡び立つかと見るまに倒るゝ美術雜誌の多き中に、一回だも發行期日を誤らず、一號は一號と改善を加へて、玄に五周年に及びたる『みづゑ』の發達につきてに、余は輩に、之を大下君の人格の然 らしむる所と斷言するに躊躇せない。余は生物學の一小部を研究する一措大にして、美術に對しては何の知る所もないが、明治三十年以來の知遇を得たる大下君の熱情が、今日の結晶を生じたるにつきては、 余は滿腔の誠意を捧げて之を祝賀せずには居られない、故に余は門外漢ながら、一寸心に浮んだことを 書いて、祝賀に易へたいと思ふ。若し他山の石たるものもあらば、そは大下君を始め、他の友人の賜に過ぎ ないのである。
 赤の補色が綠で、黄の補色が紫、靑のが燈であるから、補色を傍に置けば、其色が引立つと聞いて見れば、萬綠叢中紅一點の句が、色彩學上の理論に叶つて居る事が點頭かれる。色彩學上に於ける補色の關係につきては、隨分早くよりいはれて居る樣で、美を口にせる人の皆承知せらるゝ所である、即ち色の性質につきては、より多く研究せられて居る樣である。併し、色の分量につきてば餘り多くいはれて居らぬ樣である。否、實は寡聞なる余一人の耳に入らぬので有ふ。分量といへば、人により或は意味を異にせる人もある樣であるから、寧ろ面積といつた方が間違ひない、畢竟色を配合するに際し、其色の占むべき廣狭である。例へば一枚の紙を赤と靑とに塗るに、一分を赤にして九分を靑にすると、九分を赤にして一分を靑にするのは、確に其感じが違ふ。少し極端の例かも知らぬが、雪の中に烏の居るのと、暗夜に星の輝くのとは雲泥天地の差がある。故に、色の配列の如何によりて、種々の感を喚起すると同時に、色の面積の如何も、亦感を左右する事は、美を研究する人の常に心掛ければならぬことゝ思ふ。
 元來、美に對する人の趣味は、决して同一でない。野蠻人と文明人とは違って居る、小供と大人とも同じくない、素人の喜ぶものも黑人は却て之を卑しむことがある。併し、一般に子供や素人は、ハデな方を好み、大人や黑人はジミな方を好む傾がある。純正美術は別として、此等の點は、直接に應用上に大なる關係を及ぼすのである。例へば、小供と大人と衣裳の縞柄、又は模樣には、確に區別がある。美學などの研究せられない以前から、自ら此相違は出來て居る、其後美術思想の進むに從ひて、此等の差異は漸次其度を加ふる事と思はるゝ、此中には、色彩の配置が主要の地位を占むるならんも、其面積の如何も大なる關係を有せうとは無論である、苟も色彩上面積の注意が必要とすれば、如何にして之を研究すべきかの問題が生ずる、從來の美術家は、前人の試みたる所を襲用するか、又は之を基として多少の修正變化を與ふるの外は、重に其人の經驗熟練の結果、即ち自得といふ事を期した樣である、併し日進月歩秒變分移の今日に於ては、常に恰好の材料を、各種のものに仰きて、嶄新なる意匠の應用を計ると共に、濁り經驗熟練丈を頼む譯に行かぬ事になる、一方には必ず組織的の研究の必要を生じて來る。余が今爰に題せる蝶類の配色分解法も、亦此一法である、外國にては盛に行はれて居る樣子であるが、日本にて初めて之を應用したのは、工學士武田五一氏であつて、まだ近年の事である。
 蝶の種類には澤山あるが、種類の異るに從つて其色彩斑理を異にし、之に對する感じも異ることは、諸人の經驗に徴して明である。例へばヒヲドシテフ、アカタテハ、ツマベニテフなどは、著しき赤色が加はつて居て、ハデヤカな方で、いはゞ小供好のする方である、ジヤノメテフ、ヒカゲテフなどは、薄暗き色を帯び、ジミな方で、いはゞ大人好きの方である。然れば小供の衣裳にはヒオドシやツマベニテフなどの色彩を應用し、大人に對してはカゲテフやジヤノメテフの彩色を適用する必要が生ずるかも知れぬ、併し之を應用するにつきても、其色の分量即ち面積の割合が知れなくては、之を自由に取扱ふことが出來ない、故に之を分解して、之が割合を定むる必要が生ずる、畢竟蝶の美は重に翅の色にあるを以て、其翅の面積を假に百として、其中に各種の色が其幾分を占めて居るかを計算するのである。扨此分解をなすには、展翅したる蝶の左か右かの一側の前後翅を、町嚀に着色寫生するか、又は實物其ものゝ上に、目盛硝子を載せて、其目の數を合計するのである。目盛硝子とは、硝子板上に微小なる線を細き碁盤目に劃したるものである、之を作るには、一枚の大なる紙に正しく黑線にて碁盤目を引き、寫眞鏡にて之を適當の硝子板上に縮寫するのである、但しかくして得たうものは、陰畫なるにより、再ひ之を硝子板に映象せしむれば、爰に陽畫を得るのである、即ち此板を寫生圖の上に載せ其碁盤目の下に當れる、赤や黑、白などの色彩が占めて居る、目の數を合計し、百分算にて全體に對する割合を知るのである。今一法は。寫生したる畫を切り拔きて、色の異るに從ひて之を切り離して數片となし、赤は赤、黄は黄と寄せ集めて、之を精密なる天秤にて計るのである、かくて得たる量目の合計に對して、其各色の掛目を百分比例すれば其割合が知れるのである、此法によれば精密の計算は出來るが、一々寫生圖を毀損する不便あるを以て、寧ろ前法によるのが好都合である、此法により前に擧げたるツマベニテフの色を分解すれば、其雄の表面は、橙色が十五と、淡綠黄色が七十一と、褐色が一四の割合になつて居る。此蝶は一見艶麗の觀を與ふゐものである故に、或る圖案に都合よく、上記の色を同上の割合に用ゐれば、略ツマベニテフに對すうと同一のハデヤカサを感ずる事になるのである、故に多數の蝶の色彩(其他蛾にても又は他の昆蟲にても)を分解して、一定の表を製し置けば、之が應用に非常の便益を與ふるものである。今武田工學士の分解せられたるものを同氏の許可を得て次に擧く
 ゴマダラテフ 表 暗褐 七四 蒼白 二一 青友 五
  ギフテフ 表 暗褐 六一、五 黄 二三、五 黑 一一、八 紅 二 紫 ○、七
  橙 ○、五
 ギフテフ 裏 褐暗 四六 黄 三六 黑 七 黄灰 四 紅 三
  暗橙 二
 アゲハノテフ 表 黄褐 七一 黄 二〇 黑 六、七 靑 二 橙 ○、三
 アケハノテフ 裏 淡黄 四〇 黄褐 三三 黑 二四 橙 二 靑 一
 アヲスヂアゲハ表 暗褐 八一、五 黄綠 一〇 海綠 七 銀白 一、五
 アヲスヂアゲハ裏 淡褐 ○、五 褐 七四 暗褐 六 黄綠 一〇、五 海綠 八
  赤 一
  シロオビアゲハ表 暗褐 七六 褐 一八 クリーム黄三 赤褐 二 ライトレツド一
  シロオビアゲハ裏黑三七暗褐三九灰一五赤 六肉色○、八
  クリーム黄 二、二
  クジヤクテフ 表 赤褐 三四 暗褐 二二 茶褐 一五 黑 一四 紫灰 九
  黄 四紫 一、五淡紫○、五
  タテハモドキ 表 燈 三三 褐 四〇 淡黄褐 六 黑 一八 暗靑 一
  赤紫 一、五 白 ○、五
  タテハモドキ裏淡黄褐七六褐ナープルス黄八 黑一〇白 ○、五 褐 四ライト、レツド一、五 ムラサキテフ表褐 五二 紫 三一 黄 五、五白 五 赤 ○、五
  青黑 六
  ムラサキテフ 裏 黄綠 六五、五 褐 一九 淡レモン 七 白 五 黄 三
  赤 ○、五
  カバコダラ 表 橙 五〇 パント、シンナ 二一 靑鼠 五
  カバコタラ裏エロー、オカー六 白一一黑褐二六パント、シンナ八
  橙 一二、五 淡橙 三六、五
  コノハテフ 表淡褐 六、五 靑鼠 八 褐 二六 橙 一四 黑 二三、二
 右に擧げたるは唯其一斑に過ぎないが、此方法は獨り蝶蛾に限らず、他の動物又は植物にも適用することが出來るから、色に之を試みたならば多少の利益はあると思ふ。前に述へた如く、余は美術につきては何の知る所もないが蝶蛾に對しては多少の趣味を有せるより、聯想的に蝶類配色分解の方法を紹介したのである。

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