大隈伯の美術談
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『みづゑ』第六十四
明治43年7月3日
△美術も時代に件はればいかん、上が下を壓迫した時代には、人間も段々小さくなつてゆく、建築も段々小規摸になつてゆく、高い家を建てゝにゆけぬの、大名の行列には土下座をしろのといふ風に押付るから、萬事が四疊半式になつて仕舞つた。
△古代は、モツト家なども大規模であつたに相違ない。茶の湯なんといふものも、太閤は大廣間でやつたものだらう、貧乏人が眞似をするやうになって、追々、セセッコマしい四疊半だの、三疊だの、二疊だのといふ風になつたのだ。
△これ迄はそれでも可いだらうが、是からにいけない、女なども昔しから見るも背が高くなつてゐる、外國人と交際するやうになると、自然鴨居を高くする、床の間なども廣くなる、部屋も大きくなる、それを飾る美術品も大規模でなくてはいけない。
△家が大きくなるに連れて、是迄の懸物など、小さ過て不調和になって仕舞ふ。美術家も時代に連れて、建築に適するやうな製作をするがよからう、いつ迄も四疊半式に感心せん。
△吾輩は、骨董いぢりをする程の、金も無し、暇もない、從つて趣味も無いから言ふのではないが、今の世の華族とか金持とかは、自分でばかり樂しんで、公衆と共に樂しむといふことをしない、天下の美術品も藏の中へ仕まい込んで置く、
△隨分大名の家などには、目録丈けは立派なものがある、昔しは立派なものが在つたのだらうが、いつか贋物とすり替へられて、詰らぬものを大切に持つてゐうものも少なくない。
△アメリカの金持は、澤山美術品を買込んで、好きなものに見せる、その上自分が死んだ後は、ワシントン政府に寄附するといふのだ、それも、入物を作る金迄も共に寄附するといふのだ、日本にはそんな人はない、無暗に金をこしらへては、道樂息子に獻上して仕舞ふのだ。
△日本の政治でも實業でも軍事でも工業でも、何でも、西洋人が各國競ふて研究しやうといふやうなものは一つもないが、單り美術丈けば何處の國でも日本に向つて研究的にやつてゐる。
△現に今アメリカから若い女の美術家が來て、頻りに日本の美術を研究してゐる、大學も卒業した女で、哲學も可なり深くやつてゐる、先頃帝國ホテルで講話をやつたが、美術史なんかもよく調べてゐる。
△他の事は言ぼぬが、美術家の研究の態度などは、ドーも西洋人の方が日本人よりは熟心であるやうだ、特に獨逸人はヱラヒと思ふ。各國で日本の美術を研究する熱心に對しても、日本の美術家は一奮發ありたい。
△吾輩は、維新時分に美術品の破壌をやつたものだ、好んでしたのではないが、時世で詮方がない、其罪滅しに、吾輩亀も少しこの方面に盡すかな。