緑窓閑話

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第六十四
明治43年7月3日

 毎號々々眞面目くさつて理屈ばかり並べて居りましたが、ちと鼻に着いてきたような次第故。席を替へて閑話でも致しませうか。
 數年前。夏の一月を日光で暮した事がありました。私は其時始めての見物で看るもの皆面白く感じましたが。一日滿願寺の玄關の處。幕の垂れた工合や參詣人の色取。屋後に高まる夏雲の形。試に素的でしたから腰を下ろして初めかゝると二十分位經つたと思ふ時分。白衣の僧忽然として現はれ宣ふやう。貴下にに許可證を御所持であるかとのこと。私は一向其樣なものは持たぬと答へた處が。日本人に一週間三圓。西洋人は一週間十圓を納めなくば一切撮影描寫を許さぬ規則故。今畫いたの丈は負けてあげうから早々立退くべしとの宣告に、私ば閉口頓首して後をも見ずに逃げ出し。東照宮の門前の方へと來ましたが此景色中々捨て難い處がある。杉の大木は森々として半空を覆ひ。山より吹き下ろす淡霧は彼方此方の梢を掠めて變化の妙極まりなく黑銕の鳥居には金文字。下には丹の王垣。靑葉に漏るゝ五重の塔。路上には往來の道者三々五々。之を包む灰色の空氣は全體に融和の調を與へて誠に幽雅なる好畫題です。尤も之は好く寫眞にも見る圖でばあるが。此處は劒突の恐も無し緩くり腰を据へて初めて居ると。突然後よりSketching?Beautiful Subje-ct!とレモンイエローのやうな聲がかゝる。顧れば婆娑たる夏衣の西洋婦人愉快げに立つてゐたので相當の挨拶をして筆を續けて居ると。向ふから大きな畫嚢のやうな物を抱へた前垂掛の若者來り。暫く側で見て居たが其内談の端緒も開け若者の云ふには。其圖取は好いが畫き方はよく無い。茲に持つてる畫は皆名ある畫家の筆で。今ホテルへ行つて外國人に見ぜてきた處だがこう云ふ風なのが評判が好いと説明しつゝ取出したるは何れも水彩畫で。ワットマン四切以下小なるもあつたが奇麗な畫で。月夜水邊の森とか雨の紅葉とか花畠とか云つた圖柄。若者は連りに畫に對する注意を與へ店へ來ればまだ好いものが有るとのこと故。店ば何處かと尋ねたち鬼平と答へた。之にキヒラと讀むのでオニタイラでは分らない。其日はこんな事で宿へ歸へる。次の朝右鬼平の店へ行きましたが中々大きな店で畫も澤山ある。昨日の親切な若者も居り奥の方から若旦那らしき人も出てきて種々談した後。私の名を聞かれたので云つた處が。ハア石川先生でしたかと云ふ。先生と云はれたのに此時初めてゞ變手古な感じがした。店の隅に居た彼若者も亦變手古な感じがしたやうであつたが。暫く遊んで店を辭し。其足で日光を見ねば結構と云はれぬと云ふ其結構なる陽明門を見物し。案内に連れられて中の靈廟をも拝觀した。説明者の交句が中々面白い「正面の一段高い處が御本堂。中には三代將軍家光公のお位牌とお木像が御座ゐ。お疊の數は十八疊。左右の燈籠が……」あとは忘れたが其流暢なること。慥に蓄音機に入れて見ば妙ならん。午後には神橋の袂で杉の森の中から石段が見える縦位置の圖を畫いたが往來端故中々人もたかる。大概出來上つたので止めようかと思ふ途端。向ふの曲り角から現はれたのは海軍士官のやうな人。其數歩を隔てた後にはパナマ帽に細い竹のステッキ。白リンネルの詰襟服でヅボンの裾を高く折り。甲斐々々しき出立の靑年紳士。猶其後數歩難れて警部其他二三人が續くので。私は氣を留めて見れば何んぞ計らん。其靑年紳士こそ正しく東宮殿下にて在します。之は大變と大急ぎで畫架を片付けるやら三脚を仕舞ふやらの騒ぎ。併し幸に御通過の時に謹んで奉迭することが出來たが。此夏は丁度 東宮殿下は妃殿下ゝ御一所に日光に御滞在にて。此後も時々途中で拝み申上げましたが。或時は羽織袴の御和装のこともあれば。又御運動の時には右の如き簡單なる御洋装であつたが。此御出立ちは東京あたりから大勢避暑に來て居た學生等と少しも變つた處がないので途上往々 殿下と云ふことを知らずに過る人も尠くないとの事で誠に畏多い次第ですが。私は此後は毎も用心して何んでも先きへ海軍士官のやうな人が來れば 殿下の御通りと思つて居ました。之は念の爲め諸君に御注意して置きます。
 

冬の朝(太平洋畫會出品)水野以文筆

 或朝早く日光の町の裏通を畫きに出かけ。今や着手しやうとする時。向ふの家から持出したのば長い竹の枝へ赤靑黄色々な紙片を結付けたる所謂ヒタの飾りです。之は面白い見て居る内に、他の家からも同じものか取出す。其處からも此處からも續々此七夕の飾を取出し其美しさに何とも云はれない。此日が丁度舊の七夕に當つたので。圖に數倍の趣味と色彩の變化とを與へ。山々には朝霞棚引き。旭の光穏やかに四境粛然として。山村の好き感じに心の底まで浸み渡ました。諸君も此夏あたり次手あらば日光附近の七夕の町を試みられては如何。
 此他にも種々面白い事もありましたが餘り長くなるから簡單に云へば、含滿が淵で岩石累々たる彼方筆女以野水 (品出會遥洋雫太) 朝の冬に赤い提灯を並べ掛けたる茶店。之が背景には杉の森と遠山で誠によい氣持。喜んで畫いて居ると。日光に名物なる夕立俄に來り。今畫いて居る向ふの杉の木ヘピシーリと雷が落ちたので吃驚仰天逃げ歸つた事もあり。中禪寺の方へ探景に行った時。華嚴の瀧は此頃のやうに取締嚴重ではなかつたが。此瀧の前へ立て見て居ろと。自分も瀧と共に深い底の方へ吸込まれて行くやうに思はれ怖氣がたつたので。寫生なんぞば止めにして歸つたこともあり。東照宮の事務所の役人に琵琶の熟心家があつで度々聞かせて貰ひましたが。此の人彈く時に。口の内でスッチヤン。トチヤチャン。スチャチャラ。トッチャンと調子を取るので何となく可笑しく思はれたこともあり。汽車の中で巡査にホテルの客引と間違へられた事もあつて。今に種々笑話の種を殘した事でありました。

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