名家談片2


『みづゑ』第六十五
明治43年8月3日

 東宮御所や日本銀行も建物なら、横町の交番所も建物だ、本願寺も建物なら裏の物置も建物だ。
 ヴアチカンやヴエルサイユの建築と、四畳半の茶室とは比較するやっが馬鹿だ、ドツチもそれぞれの趣きがあらうぢやアないか。洒落たものが必ずしもよくないが、永久的だからつて難有とは極まつてゐない。
○何でも自分のやつてゐる事、自分の主義のものでなくつては、繪でないやうに言ふのは悪い癖だ、反對には極端が件ひ易い。
○興味のあるうちだけ畫け、感興が無くなつたらそこでやめろ、それを古い頭の人間は半出來だなんて吐かすが、どうして立派な畫だ、厭になつて迄も突ついてゐるのは氣が知れないといふ。成程御尤もだが、併し稽古中の若い人間には、そんな事を言ふもンぢやアないよ、研究所へ來て三十分もやつて、アヽ厭になったといつては止めて了つたら、とてもソイッは一人前になれないし、輪廓に一寸ばかり影のついたものが、立派な繪でもないからね。
 

紫瀾會會員(台北)

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