捧名の湖

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

汀鴎
『みづゑ』第六十五
明治43年8月3日

 七月十五日晴
 十一時に前橋に着いた。暑い。例の鐵道馬車にゆられて澁川までゆく。阪東橋あたりの景色は壯大でいつ見ても面白い。乗合が殖えてだんだん窮屈になる。蝿がうるさい。白ッぽい街道がギラギラと眩しい。道端の草は埃りにまみれてグツたりしてゐる。駅者の口笛も耳障りだ。
 澁川でお持参のバナヽを晝飯の代りにたべる。間もなく俥が來る。これからは初めての道だ。
 道は多く登りになる。夏の眞畫の木蔭のないところを曳き上げてゆく車夫の勞は容易ではない、少し急な坂は車から下リる、あまり度々なので車夫も氣の毒がる、『下りやうか』、『イヱ宜しうございます』こんな問答は幾度も交はされた。
 車夫は屈強な男だ、十年もこの道を往復してゐるといふ、今年は今日が始めてゞ慣れないからこんなに苦しいのですといふ、汗は實に瀧のやうに流れてゐる、此車夫の苦勞を思べば、炎天にジッとして繪を描いてゐるなど何でもない藝だ。
 榛名の山は深緑色に、車の上から見えたり隠れたりする。地辷りの赤いところからは陽炎でも立つてゐるのだらう。蝉はジージーと單調な聲で啼いてゐる。ソヨとの風もない。車の上でも中々苦しい。
 途中二度ばかり茶屋に休むで、五時頃伊香保に着いた。狭い道に高い家が並むでゐる。生卵を二つばかり吸つて、荷持を頼むで榛名の湖畔へ向ふ。
 高い處の社の傍から少しゆくと、道は登りになる。石高道で車は通らない。雑木林の中を曲り曲り登つてゆくと草原に出る、水は見えないが利根沿岸の風光が一眸のもとに集まる、赤城の山に夕陽は輝いてゐるが暑さはよほど凌ぎよくなつた。
 草原の中には小松が植はつてゐる。ダラダラと登ると一軒の茶屋がある。サイダーを命じたが、生温くつて飲む氣になれない。
 前の方に高く見えるのが伊香保富士で、湖水はその麓に在るのだといふ。
 草原の中の一筋の道を何處迄もゆくと平地へ出る。近年迄牧場があつたとの事で、柵のあとが残つてゐる。
 山の色が薄暗くなつた頃に漸く水の際へ出た。沼べりにはあやめが澤山咲いてゐる。山毛欅や榛の中を通る。ほのくらい道から樹の幹をすかして白い水を見るのはよいものだ。
 湖畔亭といふ宿屋には、二三日前から鎌倉のM君が待つてゐる。
 水に臨むだ一室で残光をたよりに頻りに今日の寫生を突ついてゐる、繪具箱の廻りには萬金丹を二つ並べた位ひな大きな蟻が這つてゐる。
 うち見たる處景色は平凡だ、富士も鉢が開きすぎて形がわるい、あとは草山ばかりで森も林も少ない、一タイに明るさうで、自分の好きな暗い水はない、M君はコンな高原べ爲生に來たのは初めてだから、感じはよいが、景色は面白くないといつてゐる、モー二三枚描きかけが出來てゐた。
 座敷も新しいし風呂も新しい、他に客もないので素敵に心持はいゝ。
 十六日はれ
 緑の障子へ朝日がポート射す、部屋が暖まると、黒豆のやうな大きな蝿が数知れず集まる、顔でも手でも、膳の上から畳みの上から、天井から障子から、何處を見ても黒豆だらけだ、團扇で逐つた位ひでは退却しない。
 草の露に靴先を濡らしつゝ、湖の岸を西の方へ往って見る。太陽は富士の背後に在つて、湖面は山の影で暗い、富士の麓は一層暗い、水が少し動いて赤味を帯びた朝の空をうつし、岸近く一條のハイライトが浮ぶ、そこをと思つて急いでスケッチをやる。
 湖に日はあたつてゐないが、自分の處はさうはゆかね。傘を立てる。傘の中には虻がどこともなくよつて來て、青い羽根を並べてゐる、丁度今朝見た天井の蝿のやうだ。黄色な大きい奴は勢よく飛んで來て攻撃する、扇子を開いて追拂ふ、プーンと?つて一廻りして來る奴を待受けて叩く、容易に中らない、油斷をしてゐるとズボンの上からプツリと蟄す、虻との戦争に少なからず時間を空にした。
 細道を辿つて山へ登ると、峠の上に小さな祠がある。それから穴のやうな暗い處を下つて、どこ迄もゆくと、吾妻川の方へ出られるといふ。峠の上から見渡すと、緑の山の蔭には、キラリと輝く白雪が一筋二筋残つてゐる、珍らしいのでこゝでも店を開く。
 涼しい風がふく。渓の方ではホトヽギスが啼く。前の岩では蜥蝪が日南へ出たり蔭へ引込んだりしてゐる。
 宿へ歸つて三時頃まで休む。疲れた太陽が掃部ケ嶽の頂きをまごつていてゐる時分、今朝の道を往って湖岸の林を寫す。背景が斜に日をうけた草山で、軟かい色の心持が面白い。虻も來る、蛸も來る、應接に忙しい。
 夕飯後、宿の息子サンと舟で螢狩にゆく。鏡のやうな湖面に紅い雲が浮んでゐる。其雲の上や映つてゐる山の上へ、舟を乗りあげて岸近く一周する。やがて富士の麓に來たころは、水の面も暗くなつて、冠さつてゐる樹の間には、青い光リがポツポツ見え出す。銘々手近の樹の枝を折つて叩き落す用意をする。スーッと水面を低く飛ぶのもある。ユラユラと高く高く空に上って、星と紛れて了ふのもある。枝を一振すれば、二三匹は舟の中や水の上に落ちる。五分位ひの大きい奴も居る。大急ぎで紙袋の中へ入れる。大人でも面白いから、子供はさぞ喜ぶだらうと思ふ。
 闇はだんだん襲つて來る。螢の數は増して來る。低く垂れてゐる木の問に舟を進める。蜘蛛の?は顔へかゝる。大きな枝に頭を撲ちつける。向ふを見るとイルミネーシヨンのやうに團まつて光つてゐる。舟がゆくと今迄居た方で盛んにピカついてゐる。
 飽かずに遊んで、宿へ歸つたのは十時過であつた。
 廊下の軒先には、紙袋は風にゆれながらピカリピカリ光つてゐる。
  十七日 晴 夕方 小雨
 午前は伊香保方面へゆく。湖と離れやうとする處に一帯の濕地があつて、そこにはアヤメが盛んに咲いてゐる。そのアヤメの中に腰を下して掃部ケ嶽を寫す。李凡な緑な色でワルク六つかしい。初めにレモンヱローで塗潰したら、あとの繪具が らないので少なからず閉口した。不相變こゝにも虻が來る。
 晝から榛名神社の方へ、小さな峠を登つて見た。遠くには妙義も見えるが、前景がサッパリものにならない。湖水の方は、低い山の圓い頭が見えるばかりで少しも興が起らない。坂道の中途から峠の茶店を寫したが失敗に終つた。
 宿へ歸つてから、古い蚊帳のキレを貰つて螢籠を造る。昨夜捕つたのは、風抜の穴が大きかつたので大半逃げられて了つた。今夜は陸上で捕らふといふ相談が起る。
 足元が危ないので提灯をつけてゆく。暗い林の中は晝のやうに明るい處もある。舟の上よりは進退が自由のためか、今夜は穫物が多い。提灯の灯を消して其中へ入れる。一ふり振るとパット明るくなつて、糸心の臘★よりはましである。三人で三百位は捕つたらう。
 歸つてから早速籠へ入れる。軒へ吊るす。暫らくして見ると、宿の近處に螢が澤山飛んでゐる。變だワイと籠を調べたら、二三ヶ所大きな穴が明いてゐて、またも半分ばかりは逃られて了つた。
 

スケツチ(出雲崎にて)

  十八日 霧 晴 夜大雷
  雨
 昨日の處へゆく。午後西の岸で林の中の藤蔓をかき始める。一體に充らぬ處ではあるが、何處となく歩行いてゐるうちに一つ二つ畫いて見たいやうな景色が出來てくる。少し遠くへゆけば澤山あるだらうが、此暑さでは探し廻る氣になれない。
 夕方から湖面へ霧がかゝつて來た。東の方富士を包むだと思ふと、いつか鬢櫛山も掃部ヶ嶽も見えなくなつて了つた。霧は湖水の而を這ふやうに擴がつて、終には直ぐ前の岸の柳も知れなくなつた、と見る間に冷たい風が顔をかすめて、霧は部屋の中迄も這入つて來た。ハラハラと板屋根をうつ雨の音がする。頭の上で雷が鳴る。雨の昔は繁く急に、忽ち天地は薄墨色になつて、軒先からは瀧のやうに雨水が落ちる。地を堀ること一尺。
 俄に沼の水嵩は増した。
 やがて柳が見え出す。岸に近い杭が見えだす。捨小舟の姿が明らかになる。山々の霧は未練らしくも谷間を去らないが、空には一つ二つ星も見えて來た。風は急に涼しくなつて、浴衣一枚では居られなくなつた。
 雨は歇むだが、雷鳴はますます強くなつて來た、吾妻あたりは、定めて盆を覆してゐるやら、車の軸の流れたのを追廻してゐるやら、大騒ぎだらう。パッと天地が晝よりも明るくなつて、氣味の悪い程湖がハッキリ見えるかと思ふと、忽ち眞闇になる。其瞬間に、富士の背後の方で、大砲を連獲したやうな響がして、座敷の障子がピリリと鳴る。壯觀といふのか。偉觀といふのか。
 何かは知らないが大したものだ。自分達の居る處より下の方の雷鳴だから怖くはないが、闇が俄に明るくなつて、其の明るい中を、一層明るい電流が、三筋五筋閃めきながら消えてゆく光景は中々物悽い。
 十九日晴
 昨日の雨以來ダイブ涼しくなつた。辮當の用意をして朝から榛名神社の方へゆく。湖から十八丁だといふ。二丁ばかりの天神峠を登ればアトは下り道だ。葛籠岩だとか鞍掛岩だとか、よい加減な奴は澤山ある。神社の建築は立派で、杉檜の巨本も澤山あるから幽遽で氣持がいゝ。後ろへ下る場處がないので大きな繪は畫けないが、部分の寫生をしたら面白いものも出來やう。晝前は坂の下から上を見てスケッチ一枚。晝過は坂の上の櫻隣亭で休息しながら、道路山水を一枚畫いた。名物にシン粉餅がある。
 棒名には宿屋はなく、御師の家で人を泊める。皆何々坊といふ名がついてゐる。どういふ字を書くか知らぬが、中にトUセン坊といふのがある。シンバリ坊、ヨージン坊、シワン坊、チヨーリン坊、オーベラ坊、ドロ坊、アサネ坊、クイシン坊などといふのは無いかときいたら、そんな名はあまりきかないさうだが、ビン坊といふのは可なり澤山あるとの事だ。
 二十日晴夕方より雨
 西の岸を水について何處迄もくもく終に湖畔亭の對岸へ廻つた。
 何庭も畫く處はない。水力電氣發電所の近處に瀧があるといふので、小流に浩ふて渓流を下つて見たが面白くない。再び湖畔に戻つて辨當をつかつてゐると、こつちへ向つて舟が來る。宿屋の若者が二人乗つて居る。やがて岸へつく、鱒を捕りながら迎ひに來たのだといふ。舟に乗つて湖心を横ぎる。舟を早めて、試みに糸巻を廻して、幾十尋の糸を流す。鱒を捕るには、アルミニュームで出來た三寸ばかりの魚の摸型が餌になるので、この魚の傍に針があつて、飛ついて來るのを引掛けるのだ。鱒釣には少し季節が後れたさうだが、この日は果して一つも掛らなかつた。
 二十一日霧晴
 秋のやうに凉しい朝だ。緑の山はうすく霧がかゝつて、遠くにあるやうに、四方が馬鹿に廣く見える。草の中には、萱草の黄ろい花がつゝましげに吹いてゐる。紫の花も紅い花もちらちら見える。こうした風情ある眺めを見ると、都へ歸るのが厭にもなる。伊香保で人夫に別れて俥へ乗る、速いことは驚くばかりで、タツタ四十五分で澁川へ着いた、こゝでM君は高崎の方へ、自分はヤハリ前橋へと、馬車の厄介になつて、夕方蒸暑い東京へ歸つた。
 庭先の桐の枝には、榛名の螢が心細く光つてゐる。(完)

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