スカラブと埃及人との關係

長野菊次郎
『みづゑ』第六十六
明治43年9月3日

 近來は昆蟲の形態を圖案に應用することが次第に多くなるやうだが、元來昆蟲といへば比較的小形のものであるから、古來之れが應用は、到底獣類又は鳥類其他一般の脊椎動物の直接に人に關係を有するものや、又は目につくものゝ應用と件ふこと、との出來なかつたのは當然である。然るに埃及に於ては少くとも西暦紀元前千七百年、即ち今日より三千六百年の昔しに一甲蟲が既に圖案に應用せられて、大は壯嚴なる殿堂の装飾より小は日常の器具衣服の紋様又は呪符等に至るまで之が用ゐられて居るのである、之はスカラブと云ふ者で昆蟲學上よりいへば鞘翅目の金龜子科(Scarab-idae)のセンヂコガネ亜科(Geotrupinae)に屬するものである。餘り大きくもあらぬ此甲蟲が數千年の昔より埃及人に知られて、併も之が種々の場合に應用せらるゝに至つたのは何故で有ふか、一口に云へば埃及人の宗教的迷信より出でたるものにて、此蟲の奇なる習性と其形態とが原因をなしたるものである。元來埃及人が宗教上種々の動物を尊信することはよく人の知る所で猫、犬、鳶、狼、牡牛、鰐魚等に對しては種々の寓意のもとに或は食物を供したり、又は一定の場處にて養育することもある。特に此等が死する時は其死骸を白布にて包み、香油等を撒布して丁寧に之を墓地に葬ることもある。然れば昆蟲中にても濁りスカラブのみならずバッタの如きも多少の敬意を表せられたものと見え、之が圖案の如きもスカラブと前後して應用せられたとの事である。那威の學者ビヤムスヤーム(Bjormstjerma)氏の説によれば、元來スカラブは印度人間に於ける造物者の普通の記號であるが之が埃及に移り後にはスカンヂネビアにも及んだとの事である。此説によれば印度の方が寧ろ埃及よりも根本であるが、併し今日では印度に於けるスカラブの事につき云々する人は殆んど聞かぬ樣で、スカラブと云へば直に埃及を聯想することになつて居るやうである。
 

スカラブが小球を轉ばす状(インセクトウチールドより縮寫)

 扨埃及人が神聖の甲蟲として重に用ゐたのはアテウクス、サセル(Atheuchus sacer L.)である。此ものは埃及南部歐羅巴の全部、喜望峯、東印度、支那等にも産するもので長さ七八分位の黑色に光澤を帯びたる種である。始めリニアス氏がスカラビユース、サセル(Scarabaeus sacer)と名つけたが、近來の學者は多くアテウクスサセルの方を用ゐて居る。古代の埃及の畫及び呪符其等日用の器具等に多く此形を表はし、時には非常の大さに廓大して宮殿等の装飾に用ゐたるを見れば、此甲蟲が埃及人に尊敬せられた事は疑を容れない。然るに此黑色種のみならずして美麗なる金緑色の者の用ゐられて居ることがある、歴史の父と云はれたる希臓古代の歴史家ホロドダス(Horododus)氏も亦此色につき記して居るが、此金緑色種は久しく埃及にて發見せられざりしにより個は多分埃及人が尊嚴の意を表はさん爲めに、殊更黑色を金緑に畫きしならんとの想像は多年の間諸學者の腦裡に浮んで居た。然るに千八百十九年カイラウド(M. Caillaud)氏は此種をホワイトニール河(White Nile)の沿岸なるメロー(Maroe)といへる地にて見出した。其後他の地方にても此種が採集されたのでいよいよ金緑色の種が實在せることが分つた。よりて當時佛國有名の動物學者キユーべー氏(Cavier)は此種に對しエジブトラム(Ateuchusaegyptorum)の名を命じた是によりて二種は確に埃及人に尊敬せられたるものである事が明であるが、此外サビタマムシ屬(Burprestis)センチコガネ屬(Geotrupes)ダイコクコガネ屬(Copris)の或種其他一二の甲蟲も均しく尊敬せられたものと見ゆる。現にセベス(Thebes)の塔内には此サビタマムシ屬の一種が防腐法を施されて伊乃木と同樣に保存せられてあつたさうである。
 スカラブの習性は非常に面白きものにて、其食物は日本に於けるセンチコガネなどと同じく多く家蓄の糞を好むものであるが、特に埃及に於ては駝酪又は牛の糞を擇び土と共に轉ばして小球を作るのである小球を作るには重に後脚の働による、南部佛蘭西にて觀察せられたる處によるに此甲蟲は家蓄又は他の動物の糞塊を破碎し之を轉ばして埋むるにょり掃除人の役目をするものと云はれて居る。即ち雌は糞塊の一部を分離せしめて小球を作り、往々拳大に至ることがある。之をなすには重に後脚を用ゐるも、必要あれば其廣き頭にて之を押し、又後方へ退く時には前脚にて球を引く事もある。精力を盡し忍耐を續けて此技術を完成するのは實に一驚に値するさうである。然るに往々二匹掛りにて此球を作ることがある、仲間は通常矢張り雌である、かくて兩々相扶けて其球を押し適當の場處に達せしむれば其處に穴を掘りて之に球を容るゝのである。然るに往々其補助者たる相手が好機を見て此球を奪ひ去り、遂に己のものにすることがある。斯る馬鹿な目に遇ひても被奪者は少しも失望することなく、奮闘して小球を適當の場處に埋むることを成就する。元來何の爲めに球を運ぶかと云へば無論食物に供する積りであるが。目的を遂げた以上は殆んど間斷なく之を貪食するのである。斯くて之が盡くる時は再び同樣の方法にて食料を運ぶのである。此等の状態は春に見るべきものにて、若し夏の暑き時候に際すれば殆んど沈靜の状態を保ち、秋に至りて再び活動を始むる。此折には子孫孳殖の爲めに大なる穴を地に穿ち、中等の苹果大の糞塊を此處に運びて叮嚀に之を配置し、然る後に産卵するのである。其糞未の配列は實に巧なるものにて、幼蟲が孵化するや否や最も柔なる褥と滋養物とが直に身の周りに左る樣になって居て。粗雜に又養分乏しき部分は、幼蟲が多少強壯になつて後に達せらるゝ樣に出來て居る。尚此等の配列を終りたる最後に、一層美味にして滋養に富める糊状物を孵り立ての幼蟲の最初の食物として母蟲が用意するのである。蓋し此物は母躰の器官にて一部分消化したものである。此等の注意周到なる準備が全く出來た後に母蟲は適當の位置に卵を産し其後其穴を閉鎖するとのことである。埃及にて毎年例のニール河の洪水があるから、此甲蟲は糞塊を地上に轉ばしてニール河の洪水面より高き所まで之を運び、其所に穴を堀りて之を埋め靜に幼蟲の孵化を待つさうである此特異なる習性が重に埃及人に一種の迷信的尊敬の念を生ぜしめた原因であつて是に附隨して其形態にも色々の意味が附せらるゝ事になつた樣である。これ等の理由につき埃及の形象文字に精通したるホラポール(Horoapollen)を始め種々の學者の説があるが、一々之を擧ぐるは却て繁雜を極むる次第であるから唯其大要を述ぶることにする。
 前述の如く此蟲の有せる奇性と其形態とにつき埃及人はスカラブ(Scarab)に種々の寓意を附して居る。第一、字宙の意埃及人の言によれば此蟲は創造せんことを希望して、後脚にて小球を鯨ばすこと日出より日没に至る、これ天體の運行に擬するなりと。
 第二、太陽の意或學者の考察によれば、此蟲が頭上に有せる有角突起は、恰も太陽の放射の光線に類し、又脚の★節数が各脚共に五節にして、都合三十個あるは正に一ヶ月の日數に相當するにより、太陽の意義を生じたりと。
 第三、太陰即ち月の意埃及人は此蟲が小球を地面に置くこと二十八日間にして、二十九日目に其球を水中に投ずるものなるが、之が開けば雄を生ずるものと信じて居る。二十八日は月の一週日數にて、月暦の一月なるより太陰の意を表はし、往々印章等に刻したるスカラブには、三十あるべき★節を二十八に減じたるもの有りとのことである。
 第四、世界の意字宙の意より轉じて世界の意義をも寓せらる。
 第五、神即ち造物主の意元來埃及人は、他の甲蟲には雄雌あることを承認せるも此甲蟲は唯雄のみにして雌無きものと信じて居る雄が子を生する筈はない故に、此蟲は糞塊より自然に發生するものと思はれて居る。無より有を生ずるは唯神の力のみなるを以て、此蟲にも造物主の意が寓せられたるものである。
 第六、男子又獨生獨立の意生ずる子は皆雄のみにして、母の庇護を亨けざるに獨生又獨立の意は自ら生ずることになる。
 第七、勇猛の戰士の意雄のみして雌なく、即ち女子なくして男子のみなるより自ら勇猛の意を生じ、兵士の衣環等に總て此蟲を彫刻することになつた。
 第八、多産の意此甲蟲は多數の子を生ずると云ふ念慮より、多くの子を産せんと希ふ女は往々此蟲を喰ひたることありと。
 

首飾に應用されたるスカラブの圖リユブケーゼメラウ著美術史古代部より

 

アメンホーテツブ四世の印章の圖(大英博物館にて武田工學士寫生)現寸二分の一

 それからそれへと寓意は寓意を生じて、種々の意味が附會せらるゝことになつた。此外尚古代の神話に因める種々の寓意もあるが此等は其根本の神話を話さねば其意が解し難いから、之を省くことにする。兎に角斯の如き一小甲蟲に對し、前に述べたる丈の寓意にてすら、如何に埃及人が此蟲に敬虔尊奉の念を佛ひたるかゞ推察せらるゝのである。隨て此蟲の形態が、小は日用の器具より記章、印章、腕環、首飾、貨幣、呪符等に至り、大は宮殿樓閣の装飾に應用さるゝ事になつたのは寧ろ當然である。其應用が何時頃より始まつたか其邊は何分上古の事で不明であるが、ピラミツトよりも一層古しと稱せられて居るビバネエルモラツク(Biban-el-moluc)の王塚に、既に之が用ゐてあるそうであるから、其起原の如何に古きかを知ることが出來る。併し明に建築装飾として現はれたる最初のものは、ニフエルホーテツプ王の殿堂の天井畫中にあるものにて、今を去ること略三千六百年の古である。扨此蟲を應用したる形態につきては種々の形式がある躰はスカラブであつて、頭部に種々の神、人、鷹、羊、犬、猫を用ゐたものがある。鷹及び羊の頭を有せるは太陽の記號ださうで、最も多く見るものである。又スカラブを神として表はすときは躰を人にして、頭部に此甲蟲を附することが通例てある。ブターソカリス、オシリス及びケブラ神の如き此類である。圖案化せられたるものには、多く其前肢及び後肢に球を保持して居る。又神聖の意を表する爲には翅を展張せしめたものがある。形象文字中にて、疊みたるか又は開きたる翅を有して、神の頭を附せるは造物主の記號であつて、又人の頭と人の脚とを加へたるは造物主の創造力を示したものださうだ。此の如くスカラブは埃及人の思想上に多大の關係を有するものであるから、古來之につきて深き研究をなし、種々の考證を擧げた學者は澤山ある。又スカラブと圖案とは往古より非常に深き關係があるから、之れを研究した人も少くない。其の中て最も完全なるものはロフチー氏のスカラブ論(千八百十四年出版)及びペトリー氏の歴史的スカラブ論(千八百八十九年)であるそうだ。此外此蟲につきて話すべき事は澤山あるが、餘りくだくだしくなるから此位にして止めて置く。併し最後に附加したきはスカラブ類似の一甲蟲が、臺灣及び韓國に産することである。其名をクロヒラタコガ子(Gymnopleurus sinnatus)といひ、矢張り獣蓄の糞塊を丸める奇性を有して居る、今現に、名和昆蟲研究所にては之が生きたるものを韓國より取り寄せて飼育して居る。
 

ケプラ神の圖大英博物館にて武田工學士寫生

 

スカラブ紋様ウエルマン美術史第一卷より

 

スカラブ紋様(ベローシビエー著古代美術史埃及の部より)

 此篇は、外國の昆蟲書數種と外國歴史數冊とを參照して、其中より面白さうな部分を嵌工的に取り合はせたのである、素より藝術の素養なき者が昆蟲の方面を主として書いたのであるから、本誌の愛讀者に對して十分の興味を喚起せしむることは到底覺束ない次第である、併し挿入せせる圖畫中には、工學士武田五一氏が實物より直接寫生せられて他に比類ないものがある。この他同氏が貴重の圖書を渉獵して、必要なる事項の記載と、是に關する圖畫とを送附せられたるは深く余の感謝する所である。

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