靜物寫生の話[十一]

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第六十六
明治43年9月3日

△墨繪のうちでも、鉛筆畫は重に形の稽古をするに適してゐる。チヨーク畫、木炭畫になると、濃淡の上に可なり微妙の感じ迄も現はすことが出來るが、物質迄も充分示すには多少不充分の憾みはある。
△彩料を以て畫く一色畫には、形の上にも濃淡の上にも自在で、其上乾濕、硬軟、輕重等の、物質に現はれた感じを、可なりの點迄畫き出すことが出來る。
△繪の稽古の始めは、何でも其物の形や濃淡を正直に畫き出せばそれでよいが、追々技術が進むに從つて、それよりも大切な、物の感じを出すことに心懸けねばならぬ。
△一色畫の稽古をやる時は、すでに形の上に於て、充分間違ない迄の技倆があつての上であるから、濃淡を畫き現はす時、其物の感じといふことを念頭に置いて、同時に研究されたいものである。
△一色畫では、いかに複雜な微妙な濃淡でも、充分畫き出すことが出來る。たとへば、極淡い色を白紙に塗つて、其上また同じ色を一度塗れば、前よりも少しく濃くなる、このやうな手段を執つたなら、白と黒との間を、何萬級にでも區別することが出來る。
△併し、稽古の始めはそのやうにしてはいけぬ。鉛筆畫の時話したと同樣に、白と黒との間を、やはり五階位ひに分ける。高照ともいふべき紙の地の白さ(紙の地の白さは、眞黒の中にある白さと、淡色の中にある白さと、同一でありながら、現はした感じが異ふ。こゝには、「ビール」壜の光の如く、周圍の暗い中に出てた強い光を云ふ)、次は半明ともいふべき淡色、次は中位、次は半暗にして、中位より暗きもの、次は最暗である。
△假りに、一つの白い箱を寫すとして、右の横の下部に窓が在るとすると、箱の右の側は高照で、葢は半明、前の側面は中位、床に投げた影は半暗で、床と箱との堺目の筋は最暗といふ風に(場合によつて例外はあるが)、大タイこの位ひの處で、單純の區別のもとに寫生してゆくのである。
△かくて、五つに分たれた濃淡の階級は、十にもなり二十にもならう、それで滿足が出來なくなつて、終には數へ切れない程の複雜なものにならう。
△されど、こゝに注意しなくてならぬことは、あまりに濃淡の階級を多くすると、物の圓味が出過ぎたり、物と物との關係が混雜したりする恐れがある。物の圓味が出過きると、其畫は卑しくなり、混雜すると、統一が無くなる。

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