三脚物語(第六回の上)
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第六十六 P.17
明治43年9月3日
一
久しく畫室の戸棚に投り込まれてゐた僕も、入梅があけると同時に引張り出されるやうになつた。革についてゐる少しの黴を、主人は叮嚀に拭いて、僕を畫板の包みの間に挾む。何處へ連れてゆくのかと思つてゐると、俥の蹴込に置かれて着いたのは上野の停車塲。下りると同時に、僕等は年の若い赤帽の手に渡されちやつた。
硬い三和土の上に置かれて、暫らく待つてゐると、仙台行の改札が始まる、赤帽は僕を捨置いて構はないので、此次だなと思ふ。やがて仙台行といふ札の處に、赤い大きな『滿員』といふ掲示がかゝる、こゝへ飛んで來た四十ばかりの男は、連れの子供が先へ乗つてゐるから、自分が乗る事が出來なきやア子供を下してくれと騒ぐ、周章狼狽とはこんな時をいふのだらうと、人事ならず同情しちやッた。
そのうちに常磐線一の關行と改札で怒鳴る、依然として赤帽は僕を連れやうともしない、オヤ此次かしらと少しく氣が揉め出す、改札には誰れも居なくなつた、主人の姿も見えない、遙かに列車のドアを締める音がする、其音に連れてプラットホームを飛んで來た一人の驛夫が、赤帽!三十三號!と怒鳴る、何處からかヒョックリ出て來た三十三號君は、冠つてゐる帽子よりもモット眞赤な顔になつて、イキナリ僕を引掴んて馳け出した、恐ろしく速い足で、頑強な僕も少しグラグラとして、一生懸命頭を抱へてゐるうちに、忽ちペンキ臭い網棚の上へ抛り上けられちやッた。
一の關といへば遠い處と思つてゐたが。この部屋は馬鹿に挾い、中に仕切りのある十六人乗だ。手洗處も便處もない、お客も少い。
主人は行先の方を背にして新聞を見てゐる。主人の鄰りには、恐ろしくハイカラの洋服先生か、空氣枕に息を吹込むでゐる。前の席には、商人らしい夏トンビを着た男が、革鞄から疊枕を出して寝る支度をしてゐる。皆ンナ寢ちまうのかと思ふと少し心細くなる。仕切の向ふには、頭の禿げた、額に眼鏡をかけた六十ばかりの老人、四十五六の下町の大家の御新造といふ、誰れでも外れッこのない鑑定をする婦人、十二三を頭に八ッか九ッ位ひの男の子三人、これでは定めて賑やかだちうとまた些か心太くもなる。
寝ちやつた人間共は問題にならない、網棚に居たんぢや碌に景色も見られやしないから、少々お向ふの觀察でもしやう。
二
老人は手堅い商人といふ風だ。三人の子供はお祖父さんお祖母さんといつてゐるから孫だろう。話の樣子では廻遊券を買つて松島見物と見える、他人から羨まれる身分だ。霞ケ浦を見て印旛沼だなんて子供連に話したり、一の關は仙台より手前だと思つてゐる處を見ると、世の中のことにはお暗いやうだが、東海道の汽車の中でよく見るやうな、藝者や妾とフザケ散らすキザな實業家とか老紳士とかいふものと比べると、どれ程ありがたいか知れない。御新造は人柄のいゝ、オットリとした、鷹揚でそして情深さうな、實に理想的な婦人だ。水々しい髪を小さな丸髷に結つて、歯は染めてはゐないが眉毛は落してゐる、その眉毛の跡の青々とした處や、一寸愛嬌のある門歯の金がチラッと光る處は、小供連にお祖母さんとよばせるのは氣の毒な程若く見える。其晴々しい顔は、心に幡りも何もない證嫁で、其シトヤカな身のコナシは、深い教養のあろことが知れて奥床しい。これにつけても癪に障るのは、大磯や國府津あたりを股にかけて、傲慢な面をして遊び廻つてゐる女共だ。束髪の庇をワルク引込めて、尖つた顔に眼鏡をかけて、横文字も讀めますょと言はないばかりに、ツンとしてゐるオールドミツスも憎らしい。自分で産んだ子供の始末も出來ないで、乳母だ女中だ小間使だと、ゾロゾロ引張り廻しの腮の先て書生を逐ひ廻しの、敷島袋だ、屋根形の革鞄だ、クッシヨンでござるの、ラグでござるのと、大八車に一臺程の荷物を持込んで、他人の座る處も無いやうにして平氣でゐる、高等官とやらの女房も嫌いだ。黄金の根掛けに黄金の簪、金鎖を首から下げて、全の指輪を七つも嵌めて、羽織の紐から帯留から、開けつぱなしの大きな口からは金の入歯迄も光らして、金色夜叉の滿枝が浮出したやうな、成金の嚊アも蟲が好かない。
一體女の三十から五十位ひ迄は、イケ圖々しくなるものと見える。電車で席を譲つて貰つた人に、禮も言はないのは此年頃だ。汽車の中で、着換をしたり鏡を見たり、物を食ふのを平氣でやるのも此年頃だ。ソレ處か客車の隅で赤ン坊にシツコをさせた言語同斷のやつも見た。寄席や芝居へ子供を連れて來て、泣いても起たないのは此年頃の女だ、あゝ古い言草だが、コンナ奴等に、僕の前に居る御新造の爪の垢でも煎じて飲ましてやりたい。
三
感心なのは御新造ばかりぢやアない、此人達のお孫さんだけあつて、三人の子供は至極オトナシイ、よく言ふことをきく、喧嘩も爲なければ惡フザケもしない、あまりお菓子も食べたがらない、何やら絹物らしい紺のカスリのお揃いで、帯は縮緬だが格別イヤミにも思はれない。これもだ、例の金ピカや腮突出しの連中の伴れてゐる子供だと、可なり小憎らしいのがある。小憎らしいと言へば、何處だか知らないが、汽車が鐵橋を通つた時に、下の方から大勢の聲で馬鹿野郎!と續けさまに叫ぶ、何だらうと伸上つて見たら、キタナイ泥川の中に十四五人の子供が泳いてゐて、汽車を見て怒鳴つてゐるのだ、手前タチこそ馬鹿野郎だと、大きな聲で叱りつけてやらうと思つたが、考へて見ると、此暑いのに、石炭の煙を浴びて汽車の中で苦しがつてゐる奴が馬鹿野郎で、穢なくとも水の中で遊んでゐる方が利口野郎かも知れない。此汽車中に幾人乗つてゐるか知らないが、差詰此部屋丈けで見ても、乗ると直ぐに寢なければならないやうな疲れた人間は、宅に居てゆつくり休息することも出來ないのだらうと思ふと、氣の毒な馬鹿野郎だ。年をとつて孫共を引張りあるいて、此暑いのに、わざわざ平凡な松島くんだり迄、遠方御苦労にお出なさるのも馬鹿野郎かも知れない。主人と來ては大の字つきの馬鹿野郎で、何も役所勤めをしてゐるのぢゃないから、忙しい中を暑中に旅行しなきやァならないといふ理屈はない、雜誌の編輯を繰上げたり、訪ねなきやならない處も抛り放しの毎日々々空ばかり眺めてゐて、トウトウ飛出しちやつた、それよりか宅に居て、頼まれた繪でも描いた方がよっぼといゝのに、涼しい風はよく入るしさ、好きなものは勝手に食べられるしさ、蚊にも蠅にも蚤にも責めちれずにさ、縁側の安樂椅子に轉がつて、面白い本でも讀んでゐられるのに、食ふものも碌に無い、東北地方の山奥へ往かうといふンだから氣が知れない、これも一種の病氣だらうよ。
四
僕の主人は平民的だ、三度の食事に嫌いないものがあらうとも不足は言はない。着物なンど何でも構はない寒がりだけれど、炬燵へ這入り込むことはしないし、暑がりだけれど、土用の中でも炎天傘なしで平氣で歩るく、至極簡單に暢氣に出來上つてゐるが、たゞ一ツ、いや二つ、嫌ひなものがある、それは汗と油の匂ひだ、夏になると何々講の連中が、見るも暑苦しい眞赤な色の宿屋の團扇を腰にさして、何十年の汗で染め抜いた茶色の白衣――もおかしいが――を、更に色上げ最中のグショグショに濡れたやつを着て、傍へ來られると慓え上る。田舎廻りの女商人や、嗜みのわるい工女の娘たちに、よくある日本髪の、いつ結つたのかしらないが、頭の地から赤黒い油でも垂れさうなイキレた臭氣に出ッ食はすと、忽ちムカツイて來るといふ惡い癖がある。ソイツを恐れる船大下藤次郎筆ので、主人の身分にしてはチト贅澤だが、夏の汽車は青切符を奮發するのだ。それだのにだ、それだのにだ、も一つそれだのにだ、上野から平あたり迄ゆく間に、この室に幾人汗と油の臭い奴が入つて來たこッたらう、最初のは若い娘だつた、仕切りの向ふの松島連中の隅に居た、友部あたりで下りる時、驛夫に見っかつて改札で頻りにゴタついてゐたが、これは全く等級など知らなかつたんだらう、老夫婦はドーモおかしいと思つたなンて言つてゐた。其次が難物だ、助川で眠つてゐたハイカラ先生が下りると、同時にドアからヌツト二本の蝙蝠傘が入つた、柄の樣子て二等へ乗るお客ぢやア無いがと思つた、先に這入つて來たのは七十ばかりのオヤヂだ、襟の廻りに僅かに殘つてゐる白髪がボヤボヤしてゐる、白いのと青いのとおほきな風呂敷包を二つ抱えてゐるが、木綿縞の單物の背中が汗で濡れてゐるから、こゝ迄背負つて來たンだらう、千草色の股引をはいて、黒足袋に草履だ、アンペラで編んだやうな帽子を、荷物の上へ置いて、ドツカと天鵞絨の蒲團の上へ腰を下した。次に入つて來たのは十六ばかりの娘だ、これがムヵ油の臭ひを遺憾なく發輝してゐる迷惑な代物だ、何織だかしらないが、黒くつて臭い單衣に、紅入モスリンの帯を〆めてゐる、桃色のモスのシゴキが、腰から二尺ばかりダラリと下つて地に曳きさうだ。老爺は眞鍮の煙管を出して莨を吸ふ。娘はポカンと口をあいて外の景色を見てゐる。やがて次の驛で待合してゐた上り列車を見て、『マアあのコンでゐること』とスマしたもンだ。
五
どう見ても赤切符に相違ない、こんな人達を追出すのは同乗者の權利だ、こんな人達に注意してやるのは同乗者の義務だ、貝島太助とか諸戸清六とかいふ大金持は、小キタナイ風態をして二等に乗る、他人が呰めると黙つて切符を見せて笑ふといふこつた、此ヂイさんは横から見ても縦から見てもソンな人間ちやアない、正眞正銘貧乏なお百姓だ、此娘も宮樣の御落胤でも無ければ華族樣の隠し兒とも見えない、正眞正銘の無教育な田舎娘だ、注意しやうかしまいかと迷ふ、ダィブ長い丁場を乗つてゐる、今こゝで注意して乗換へると、屹度驛夫の目につく、調べられる、罰金を取られる、黙つてゐて目的の地に平氣で下りてゆけば、大テイは無難に改札を通る、知らしてやるのは後來のためによい事だが、この年寄や小娘に、恥をかゝしたり金を出させたりするのは可愛想だ、あんまり混雜してゐる譯でもないから黙つてゐることに極めた。
爺さんは塵紙に包んだものを出して食ひ始める、娘もお招伴をする、『植田』といふ驛で二人は下りた、改札を無事に通過するやうにと、僕は棚の上で祈つてやつた。
下りる人があつてドァが明くと、屹度誰れか入つて來る今度入つたのは三十四五の女だ。ソンナに穢ないナリでも無いが、これも洋傘で鑑定すると赤印た、青い人はコンナ傘は持たない、といふやうなものゝ、僕の同僚の日傘君の體裁を見ると、あンまり口幅廣いことは言へない、主人の傘と來たら素敵に大きい、破れても居ないし色も褪めてはゐないが、たゞ石突が大に參つてゐる、これは寄居へ往つた時、岩に突立てゝ潰しちやつたので、先は荒川へ飛込んぢやつた、主人は如才なく傘杖君と一つに縛つて持つてゐるが、單獨では紳士の體面に關するだらうよ』ヱビソートが長くなつた。この女の傘の色は羊羹色だけれど、ソレは日光羊羹のやうなンぢなくッて、芋羊羹の色だ。骨が一本曲つてゐるために、眞中が澎らんで落つきがない、抦は飴色に塗つた竹で、散々に剥げてゐる。よく見ると傘の先から糸のほつれた輪が下つてゐる。どうも此舊式では赤に極まつてゐる。
汽車はトン子ルにかゝつた、此女は急いで手近の窓を閉めた、トン子ルに來て窓を閉めることは近頃はあまり流行らない、流行らないけれど此女は閉めるといふことを知つてゐる、全く汽車に乗つたことの無い女ぢやアない、横着だ、怪しからん奴だ。次の驛で女は下りた、改札口は向ふ側に在る、松島行のお祖父さんは『あれも赤い切符だ』とお祖母さんに話してゐる、鐵道院の役人も不注意だが、この沿道の人文の程度も低いのだらう。
六
長い鐵橋を渡る、阿武隈川だらう。岩沼々々と驛夫が叫ぶ、物賣の聲がダイブズーズーになつて來た、すしをシスと言つてゐる。仙臺へ來ると皆ンな下りちやッて主人獨りになつた、間近の天井では薄暗い灯がついた。
仙臺から三時間程して一の關に着いた。赤帽は僕等を提げてズンズン町の中をゆく、やがて大きな宿屋の玄關だ、番頭は二階へ連れてゆく、疊の敷いてある西洋間だ、僕は傲然と床の間に陣取る。
主人は手紙を書いてから床へ入つた。東の窓は硝子で月が一パイ部屋の中へ入る。近處の山で杜鵑が啼く。蚊が二三匹ブーンとやつて來る。
七
翌日はまたも俥の蹴込に置かれた。幸ひ膝掛が短いので、主人の足の間から往來が見える。盤井橋といふのを渡ると、二三人中學生がやつて來た、制服制帽はよいが、靴でなくて鼻緒のゆるんだ下駄ばきだ、そればかりぢやアない、中學生ともあらうものが、シミだらけの風呂數包を、昔しの丁稚のするやうに、首ッ玉へ縛りつけて、兩手をブランとさして歩いてゐる、情ない體裁だと思つた。中學生のスタイルといふことには、僕も大に議論があるンだだが、讀者のうちにお耳の痛い方があるとお氣の毒だから、これは他日にしやう。
町を外れると大きな道だ。道は大きいが非常な凸凹だ。畑みたいな泥の中を、荷馬車で散々毀して置いて、其上澤庵の押石のやうな奴をゴロゴロ轉がしてある。主人は早速下りて歩き出した。僕はお蔭で四方が見えて恐悦だが、照りつけられて少々暑い、それでも泰然自若と構へて、車上の人――ぢやアない――三脚公となつてゐた、處が泰然ナンて言つてゐたのはほんの一瞬間で、俥は忽ち九天の高きに上つたかと思ふと、突として九地の低きに下つて了ふ、そいつが船のやうにヤンワリ來るのぢやアなくつて、ワルク唐突で激烈だ、獰猛だ、いつ抛り出されるかと氣が氣ぢやアない、力一ばいに脚を踏ン張つてゐるやうなものゝ内心大に神佛を念じてゐた、そして人力車といふやつは、見かけによらぬ丈夫なもンだと此時つくづく思つたね人力車もヱラいが、輓く奴も豪氣なもンだ。汗こそ流してゐるが、息切はしない、可なりな坂でも人を乗せて引上る。隨分辛いこつたらう、これも活きんが爲めの努力かな。
坂といへば、僕は畫室の窓近く置かれた時、よく往來を見てゐると、あの長い目白坂を、俥から下りてもやらずに、引上させてゐる野郎がある。女なら恕すべした、老人なら勘辨もしやう、血氣の髯男が、ステッキの上に腮をのせて、反身になつて、車夫のウンウン言ふのを知らぬ顔の平チヤンでゐるのを見ると、飛ンで往ッて撲りつけてやりたい。一しきリサイクリストを生意氣だと皆ンな憎んだ時代があつたが、俥の上でワルク澄ましてゐる奴は、あまり他人に佳い感しを與へないもンだ。主人の友達で、氣骨のある軍人が居るが、此人は若い時に、コンなのに出ッ食はすと、走つて來る方へよつて、機を見て丈夫なステッキを、車のアミダへ突込み、大道へ引クリ返して溜飲を下げたさうだ、コイッは少々亂暴だ。
八
話がまた横道へ入つちやッた。僕の乗つてゐる俥も、大道の惡路に降参して、六尺幅ばかりの横道へ入つた。村道だから、川があつても廣い橋がない、車夫は後ろ向に俥を背負つて川を越す、四方田但馬守は馬を擔いださうだが、田舎の俥屋はこんな事は平氣だ。最も僕の主人や主人のお仲間は、いつも山やら川やら全國の景色を背負つ歩いてゐる、中々ヱライもンだ。
活きんがため!この活きんがためといふ奴は厄介なもンだ。上野廣小路の電車の乗換場に、『やまと』の夕刊を賣つてゐる爺さンは、幾つだか知らないが背中が水平になつてゐて腰が立たない、電車の窓へ手が屈かない、アノ年になつて、往來烈しい廣小路に新聞賣でもあるまいが、これも活きんがためだ。土用の炎天に★きつけられながら、沸きかへるやうな泥田の中を這ひ廻つて、水を掻廻してゐる百姓達も、ヤツパリ活きんがための努力だ。自分の女房や子供の棚下し、自分のイクジなしの御披露や、友達同志の醜い喧嘩や嫉妬や、はては淫賣婦の奪合までも、世間にさらけ出さなければならない近頃の文士といふ方々のなさる事も、詰りは活きんが爲めださうだ。研究所の鼠は、夏休みで誰れも居なくなると食物が無いので、床板の合はせ目に挿まつてゐるパンの小さな粉迄も、キレーに掻き出して食ふさうだ、これも活きんが爲めさ。主人の家には少なからず鼠が暴れる、勝手元に這入れないと、茶の間に進入する爲め厚い壁に穴を朋ける、佛檀の板を夜通し噛つて座敷へ出て來る、其勞力たる頗る非常なもンだが、考へて見るもこれも活きんがための努力に過ぎない。アゝ活きるのにソンなに骨の折れるもンか知らんつそれから見ると僕等杖仕合せだ、尻の下に敷かれてゐさへすれば何の心配もないンだ、もし是れが、娑婆氣を出して、日傘のやうに主人より高い處に居て威張つて見たまへ、ソレこそカンカン照りつけられの暑い思ひもしなけりやならず、時には風に吹き飛ばされて川へも嵌まらうし、骨も折るやうな事にもならう、何でも出シヤ張らずに椽の下に居るのに限るよ。