談片
『みづゑ』第六十六
明治43年9月3日
ローマンチツクの虚僞を嘲つて起つた自然派に、外光派が出る、印象派が出る、そして其末流になると、感じもせず見えもせぬ色をベタリベタリと塗つて、獨りで喜んでゐる。これ等はたゞ近代的といふハイカラな名に憧れてゐる一個の病人に過ぎない。
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ラツパや太鼓やブリキ鑵でも叩かなけりや、人が注意しないやうな時世になつたからつて、近頃の廣告ぢやあるまいし、赤や青の毒々しい色を塗りこくつて、これか南國の色彩だの、近代的カラーだのと、美術に迄應用されては堪らない。由來天才といふものは一種の氣狂たさうだが、凡才のくせに氣狂の眞似をされては近所迷惑だ。
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研究所なンぞへ入つて、木炭を掴んでゐるやうな人間には、ホントーの繪は畫けない、繪は勉強して習ふ性質のものぢやなといふ。參考品の澤山ある酉洋ならこれでもよからう、日本ではまだまださ。