福井講習會出席の諸君へ

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第六十六
明治43年9月3日

 福井縣三國町の夏期講習は八月十二日から始まる。會員も既に定員に滿ちたといふ小林君からの通知があつた。私は十日の朝最急行で米原へゆき、十一日の一番で講習地に向ふ心組で、準備に怠りなく、この北陸の地に、多數の同好者に會ふた時の樂しさはいかばかりかと想像しつゝ、其日の來るを指おり數へて待つてゐた。
 八月に入つて、天候は免角不順で雨が多い、九日には、鐵道院に居る人から汽車は不通になるかも知れないといふ通知さへうけた、十日はいつもより早くおきて新聞を見たら、果然前日の朝出た汽車は途中に進退を失ひ、午後から不通になつたといふ樣子は少しも分らない、一日を待つことにした。其日新聞の夕刊には、東京より發する何處の線路も不通を報じた。翌日は、自分の家の直ぐ下の江戸川は非常な出水で、沿岸の町家、遠ぐは早稻田邊迄も海のやうになつた、平家は軒先迄も水に侵されたといふ。新聞は京濱間の連絡さへも絶えたと報じてゐる。
 福井方面へゆくには、横濱から汽船で神戸へゆき迂回するか、信越線又は中央東線にょつて、直江津から汽船で泊邊迄ゆくより道が無い。然れど、何處も不通で策の施す處がない。福井から電報の來る事二回、返電二回、せめては十六日迄に往つて、十七日から三日間でも開きたいと、其覺悟でゐた。
 十四日に横濱を發すべき鐵道院の連絡船會下山丸は、海上の暴風で未着だといふ。十五日發の梅ヶ香丸は行衛不明だといふ。郵船會社の船は三等のみでそれも滿員だといふ。もう此上は汽車の開通を待つより他に手段はない。更に幾回となく大雨は下つて、少しく開通した場處も再び不通となつた。この分では到底十七日から開く事は出來ない、私は不得止本年の講習を見合すべく小林氏に電報を發した。會員諸君の失望、小林氏の迷惑、察するに餘りありだが、これも天災で止を得ない、私も非常に遺憾に思ふのである。
 往事はいくら繰返しても及ばない。來年の夏、若し小林氏が、再び起つて此催をせらるゝなら、私は他に如何なる有望の講習會があらうとも、第一番に福井縣へ往かう、そして本年の埋合せに大に盡力したい、それ故、本年應募せられた諸君も何卒其時は、つとめて御出席あらんことを、豫め御願して置きます。
 (大下藤次郎)

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