寄書 語るも愚
岡村生
『みづゑ』第六十六
明治43年9月3日
光陰矢の如く、思ひ出しても懐しい小學時代は早三年の昔となりました。中學へ入り、初の學期試験に首席を占し甲斐もなく、天の爲す業とは云へ、戀しき友の樂しく過す夏季休暇の半の頃はうらめしくも主持つ身と化したのであるが、燃るが如き眞夏の日の、それにも勝る我畫熱は、遂に腦を煩ひて兩親の許へ歸る事となつた、其秋、兩親の許さぬ道とは言へ、己が天性をたのみに無理にも出京せしも、慈母の老と妹の病は、途に身に纒ふ可き錦あらしめなかつた。歸國后は多忙と重き責任とにおそはれ、一時は我嗜好も萎れざるを得なかつたけれ共、慰安のなき身の無味を感じ、多からぬ貯ひの内より、昨年五月より新に『みづゑ』の讀者となり、身の境をも顧ず講習會にも出席し、親しく大下先生の教を受た。爾後奮起心は一時に高まり、日曜も祭日も無き繁忙の我身は、畫休みの寸閑を利用して、母の己が身の健康を憂ふをも顧す、一意專心勉學の賜とも云ふ可きか、自己丈乍らも稽滿足の出來る物を描き得る樣なつた。
過る日、昨年の講習會の主催者長谷川氏より、展覽會の開催と出品勘誘の音信に接した時は、實に手の舞ひ足の踏む所を知らなかつた、己惚心の矢も楯もなく、早速十數枚送附した、鳴呼今より開會の日が待ち遠しい、深き印象を受け大なる利益を得る事と確信して止まない。
噫、斯て我身は如何に爲り行くのであろう?不幸薄命の可憐兒を如何に弄するのであらう、人は蚊帳の中に鼾の聲漸く高まる頃、人目を忍ぶ悲しき燈火の下にて、睡氣にせめられ蚊と戰ひつゝ記す。
岡村君よ、我身は如何に爲り行くのかと問はずに吾身を如何に爲さねばならぬと積趣的の奮發を爲たまへ(編者)