寄書 千代田紀行

一斗生
『みづゑ』第六十六
明治43年9月3日

 げに塞翁が馬とは面白き教なり。
 仕官する身の加へて貧しければ、人も知る木曾の山中に在り乍ら、二日三日の旅も何時か何時かと思ふのみにて終に果さず、あはれ今年の春も暮れ夏も近づいたとき、思ひがけなく身の病が機會となつて、一週足らずを千代田の浴舎に客となる事になつた。
 荷物は寫生材料と若干の書籍、身輕なE君と同道するのは少々苦しい程ある。福島より矢澤川に沿ふて伊谷の谿を東へ分け上る事一里、漸く淺くなりて棚田と百姓家とに分れてより五六丁、渓間の繁みの間に見る小さな二階家が吾等の目的地である。遠くて見れば障子には硝子も入れてあり一寸體裁宜しけれど室に入れば四疊半、何の装飾もない木賃宿の搆である。
 折々は薄日も洩るゝ五月空に、汗を拭ひもあへず著いて早々一浴した、心地よく二階の欄に立つと、青葉が來路を埋めて、洗はれた樣な伊谷の山々が次第に青味勝な緑になつて、遠く城山まで波打つて居る。其上あたりへ御岳の英姿が見える筈であるが、今は只鼠色の雲許り、足下の猫額大の田から蛙の聲がする、其れは僅か四五匹なれど間近いので閑寂の四邊を賑はしてゐるゆあみして聞くや千代田になく蛙
 と襖の短冊にある。
 最初の二日許りは、甚しく疲勞して、五月雨の止まぬを幸に宿の二階に寝たり起たり、猫の正月然★★★★★★しまつたが、漸次元氣を回復して、第三日目頃よりは近くから散歩し始めた。此頃の常とて、晴れた日とては一日もない。降雨のない日も、高山に近い此邊りには、絶えず霧が往來して、嶺と話しの出來さうに近い駒ヶ岳が、折々ぬッと顔を出す。霧の奥の何所までも續く青葉の中で、微かな「カクコウ」がないて居る、太い柳や、眞直に數本づゝ並列むだり一團になつたりして居る榛の木、柔らかく輕るげに微風にそよぐ白樺、其下に香ほる野茨の間から花崗岩を噛むで、眞白になつた渓水が急に麓を目がけて突進して來る、朝々此水で顔を洗ふと冷たくで指が痛む。此流れに沿ふて分け入れば、青葉の切れ目が少しく開けて、一條の樵路が通ふて居る、柴取つて重さうに負ふた十七八の女が、白い手拭を被つて話し乍ら下つて來た、流れは尚ほも遠く青葉の中に連つて居る、兩岸に卯の花が美しく咲き亂れ、野いばらの得ならぬ香りが微風に送られて絶え々々に鼻も打つ。昨夕十二三になる小供が、三匹の馬を追つて歸つたのは此道だ、今朝早く、聲をかぎりに盆歌を唱ふて過ざた乙女は此二人ではあるまいか。此所で二本並むだ白樺を寫生した。
 渓水を分岐して、宿の池に引く途中に澤山の花菖蒲が野生して居る、それが丁度花盛り、黄勝の緑野に紫の花を點綴して、宿の前景をなして居る、面白いので下手な寫生を一枚得た。
 宿の北側から巾四五間の芝原が、白樺や榛の木などの下に廣でつて、晴天の日に本の下蔭で晝寢でもするのに適當の場所を造つて居る。
 山深い割合には水原地近い故か、峯が高くないので空も存外廣い、草や木も人の迫害を受けずに、如何にも自然に生長して居るので何所となく愉快だ。
 北の峯には赤松の老林があつて、ゆかしい松籟の聲を聞く、此方面は憂山と稱し、若きは三四年生の小松より數十百年の赤松林が彼方此方に散點して、所々に赤く禿げた山との對照も面白く、峯も平らに谷も深からず、波状地とも高原とも稱すべき廣い小山續きである。昔し盲人が迷ひ込で云々と、憂山と書く來歴も里の口碑に傅つて居る。
 陰欝な五月雨の空も折々は雲が切れて、思出した樣にパッと明るく陽光を投げる、此樣な時に、輝く霧の彼方の中空に、殘雪を以て飾られた御岳の頂が僅かに見える。併し大古の遺物とも見るべき、質朴な雄大な彫刻物なる此山の全姿は、未だ一度も見る事を得ない。勿論此の次に來れば見得るが、溶岩の四方に流れた皺に残る白雪は消えて、何の奇もなくなるのだ。今度はつひに寫生する事は出來ぬものとあきらめて、歸らうと思つた其夕、思がけなくも雲晴れて、夕燒した西の空に待ち蕉れた御岳が現れた。頂から山の七分通りは雪が殘つて、數條の大皺と、其れから左右に分岐する小さき凸起まで、一々指點し得る程瞭かに見える。暫くすると太陽が岳の彼方に落ちて、空に一層の紅をますと、山は紫に煙つて、岩も雪も只一色に、山の輪劃ばかりを示す。左方遠く、山の頂邊から淡いインヂゴーの影を曳いたのは、御岳が陽光を避つたのであらう。
 水平に引いた線の樣な、幾條の輝く雲の一部に曇りを生じて、間もなく光景は全く一變した、忙しく走る霧が、重り重なつた青葉山の間から遠近を立ちこめて、やがて自分の居る二階の★までも一包みと迫つた。
 さあ!と連立つて宿を立出たのは日の暮れまへ、霧の中から進むに從て、一つ一つ出て來る山を迎送して下れば、熟知した附近の景色まで一しほ面白く見た。數歩前の路傍の樹で激しや杜鵑が啼いた。
 二人連れなり急ぎもせず、語り乍ら歩いたので、未だ半途ならずして全く暮れて、星も出ぬ眞の闇、途中の水田に螢が飛んで居るのを眺め乍ら、足下の惡い山路を家にたどり著いたのが八時半。
 昨夜は水の音を聞き乍ら、靜かに寝て話した頃だのになど思つて床に入つた。
 短かい一週日ではあつたが、病に大効ありしのみならず、如何に自然の愛すべく賛ふべきものであるかを、深くも味ふことの出來愉快な湯治であつた。

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