寄書 『みづゑ』五週年記念號に接して

KS
『みづゑ』第六十六
明治43年9月3日

 『みづゑ・・・・みづゑ』と、僕の胸中は非常に騒きたてゝ居る、其れもその筈さ!早い時には前月の末日か又は其の一日に到着したことのあるのに發行期日の三日になつても來ない、四日五日!まだ來ない、サア心配だもしや途中で紛失でも仕やしないか?
 六日になつた、未だこぬ・・・・特別號の編輯に手間取つて期日に遲れたのであろうかと、思ひつゝ今日も朝早くから例の工場へと出掛けた。
 十時頃、工場の電話のベルは喧しく鳴つた。そは、『みづゑ』到着を本店より僕に報知するのであつた。『みづゑ・・・・みづゑ』と僕が待ちわびしく叫びつゝあつたのを悟つて、かく知らせたのだ、實に氣が利いでる。
 嬉しい!嬉しい早く紀念號の顔が見たい、如何に盛装して吾れを迎へんかの如く、あるだろうと思ふともう、氣が氣でない。それに又、今日に限つて何んかと用事がある遂々、夕刻迄も暮してしまつた。
 電車に乗つて歸店するや否や『みづゑ』五周年紀念號を手に取つた。表紙の嶄新なる意匠――白百合の優しい姿!涼しき多摩川や海岸風俗スケツチもある、長閑な春のパステルの美しい畫もある、皆原色版だ、記事は第一に『ターナーの水彩畫』てふ長文がある。
 マア!讀むのは後にと頁を途へば『姉妹』の寫眞版實に佳い、畸形虫の原圖寫眞もある、諸大家の肖像もある『水草』の圖按畫もあつた、不折先生の『備中堪井驛』の面白い畫の次には『みづゑ五周年所感』の文字がある――五周年の所感!と腦中に通ずるや今迄は皆素通りに越して來たがこの所感なる文字に腦中は奪ばれて通り越す氣になれない。
 先づ始めには鳥瞰生なる人の大下先生に對する批評が載せてある。
 早々この一記事を見ても大下先生其人の性格は分つた。『水彩畫の栞』の刊行せられてより、『みづゑ』發行の企に及ぼされし當時の有樣の、一句一句に先生の御性格!洋畫傳播てふに意を注がれ給ふことに僕の胸中には犇と感じて先生の面影が現はれた樣な。
 あゝ其の『みづゑ』發行に就いて先生の苦は如何になん?毎月の口繪、畫稿等の編輯事務よりその發送に至るまで總て一家に依つて致されてゐるでは無いか・・・・と、かう思ふと『みづゑ』紀念號の到着の遲いのを叫びつゝあつたのが如何にも愚の至りであつて、先生の御心勞なすて見えるのにイヤハヤどうも、面目次第も無いことだつた。
 更に『みづゑ』は僕等の樣な初學者――後進者に取つては此上もない好資料にして、自然の美を友として彩筆に親しむもの誰れか先生の多大なる御盡力に對つて謝せぬものはあるまい、大に有難い嬉しいことではないか。
 もう僕は『みづゑ』が遅いだつて苦情は言はない、而してこの五周年紀念號に接して大いに有難く感激して益々研究し『みづゑ』の面目を汚さゞる様にと大に勉張する心意だ。
 あゞ!大下先生の御心勢を深く深く謝するより外にない
 僕は『みづゑ』に親しんでより第一號が手にしたいと、いつもいつも思つて居たが今更ながら、ほしくなつた!。

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