水彩肖像畫法[八]

夢鴎生
『みづゑ』第六十七
明治43年10月3日

  背景
 バックは畫家にとりて困難なる作業の一つである、さればサージョズア、レイノルヅも、自分で描く畫でも或る部分は弟子共に補筆させることはあるが、バック丈ば決して人手に托した事はない、自分でばかり描くと言ふて居る。
 この困難なる問題に解説をするのは六ヶしいが、初學者の手引迄に二三項を書いて見やう。
 肖像畫としては、主たるべきは言ふまでもなく肖像其者であつてバックは主要部に落付を與へるに過ぎない。そこでバックをば落付いた距りのある色彩で描かねといけない。バックは種々の雜りたる色で彩るがよい。あるきまり切った一色で描くのはいけん。
 そしてバックの一部分は、他部分よりも明かる味を多くすると、肯像が浮き出して見える。若しも物體が背景に置かれてあるなら其數は少ないのが宜しい、そして飽くまでも從といふ考で描かねばならない。
 肖像が主、バックが從であるといふ事は、風景をバックとした時でも必要な觀念である。此場合の風景は、廣い大ザッパな形で、細かい描寫はいらぬそして色彩は低調を要する。が、地平線近くの空に僅かに暖色を置く時は、肉色をひき立たせる、地平線に餘り低くてはいけない。風景又ば空のホンの少し許りを畫中に入れて背景にすることは、ヴァンダイクやレーノルヅが畫いた肖像書に見受けるが此の方法はかうもしなければ光が畫中の肖像にのみ限られるからそれを、一層擴めて表現するためにやつたのである。
 凡て形を浮出させるに二つの法がある、一は形の上に光が示されるもので、一は明かるきパックの中に形が暗く示されたものである。
 肖像畫としては第一の方法が適當して居る。第二の明かるいバックは描くのには骨折らなくてもよいが、第一のほど力が無い。すべて光部は強い暗部た圍まれた時に最も輝きて見ゆるものである。
 肖像の一部にパックの中に消え去るし、他の一部はバックより鋭どく浮き出すといふ様にするのだ。
 輝ける赤、琥珀色の窓掛とか、晴れたる青空等は、必要ある調子に低めねばならず、といふて汚れた色を光らぜ過ぎてもまづい。赤い窓掛は次の様にして書いたらよい。
 セピアで襞や蔭の幾くつもを印しすろ、そしてカーマインで上塗をする、その上には乾いた後でガンポヂを置くのだ。次に蔭をセピヤ、レーキ、ブラウンマダーで深める、ブラウンマダーで幅のあるタッチを線描をすれば、赤色を低める事が出來る、もつと低ある必要があらば、セピヤやレーギで仕事をする、バックとして距離を示さうとするにはブリユーて線描をする。
 青空は望む色に從ふてインヂアンレッドか叉はセピヤで低める。琥珀色の窓掛はガンボチかインヂアシエルローで彩どつて、蔭には初めにバーントシンナ、次きにヴァンダイクブラウンを用ひ、セピヤを以て低める。ずッと距りを示すに、前の様にブリユーを用ひると、緑がかつた色になるから、青色を弱める爲め赤色の少量を加へるとよい。かくして黄色が遠のいて見える。別法として黄色の布の上に黒い模様を描いても同様の結果を得られる。
 風景のバックでは空や遠景はコバルトで、雲はインヂアンレッドとブリユー、叉はウェ子チァンレッドとブリユーでかく。
 黄や肉色のタッチをして地平線近くに暖色を加へる。
 遠景はコバルトで始まり、眼に近くなるに随ひて、コバルトとレーキで出來たバープルにする、次ぎの漸減はコバルトとセビヤ次にインチゴにセピヤ、尚眼に近くなる程セピヤを多くする。遠樹や生垣等の黄色はガンボヂで塗る。セピヤより暖かいブラウンが遠樹に用ひられてはいけぬ。
 空や遠方はインヂァンレヅド、ブラウンマダー、ブリユー等で調子を整へる。

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