秋興
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第六十七
明治43年10月3日
秋興 汀鴎
b:清水寺
八月の末淡き霧かゝれる朝なり、K氏と共に清水寺へゆく、手にはスケッチブック一册もちしのみ、浴衣がけの無造作なるいでたちなり。新門前の通りを右に、細き露路を抜け、智恩院の門を左に、圓山の公園に入れり。祇園の大社に詣ずる若き女子あり。花のころ、あまたの人を集むる、たゞ一本の櫻は、風なきに黄なる葉を散らせり。この境にふさはしからぬ、村井某の西洋館あり。境内を離れて右にやゝ下り、左に細道をゆく、陶物焼く家あり、高臺寺の崖下には、森の暗き中に小さき水溜りあり、青き蘆など茂りゐたり、閑静にして心地よき處なりと思へり。八坂の塔は程近く見ゆ、形よくこの町にも調和して嬉しかりし。産寧坂に曲らんとするあたり、家のつくり面白く、紅がらに★塗られたる其色も、錆ありてスケッチによき處と覺えたり。坂の中途より清水の塔見ゆ、暗き色ことによし。京燒の陶もの賣る店、軒を並べたり、朝早ければにや、ゆく人稀に、店番の男の顔も清閑かなり。
清水の御堂は、我が十五年前の寫生地なりき。この門も畫きたり、この塔も書きたり、このあたりに三脚を裾へし、あのあたりに畫嚢を展きしよ、そのころの有様思ひ出されてなつかし。
舞臺に上る、本堂奥深く暗きあたり、佛前の香は、一縷の煙りをたてゝ、いと静かに心地清々しく覺ゆ。太き柱、大なる屋根、古き燈籠、そのやうなものゝみ目に残れり、繪葉書賣る店など無くもがなと思へり。
舞臺よりは、阿彌陀ヶ峯程近く見ゆ、其麓は音羽の瀧なり、花園あり、森あり、霧あれば遠き方は見えず、遠からぬ五條七條あたりの人家も見えず。此處に立ちて、かすかに通ふ香のかほりをきく、たとへがたなきよき心地なり、夢のやうなり、京に住みたしと思へり。
忠僕茶屋といへるに憩ひて、轟餅といふを味ふ、三井寺の力餅に劣れり。寺内を出で、元の道を高臺寺に萩を見る、花は三分の眺めにして、少しく早し、俗悪なる紀念塔あり。智恩院に出づ、山門の大なる、今更ながら驚かれぬ。霧は雨となりてハラハラと面を撲つ、境内千年の老樹の下に、秋雨に逢ひしは得難き清興なりしよ。
百草園
九月のはしめ、風張く吹く日、多摩河畔の百草園といふにゆきたり。同行者は新宿のH氏と一子正男となり。國分寺にて汽車を下り、乗合馬車にて府中にゆく、有名なる槻の並木は、舊態依然、秋はさぞ可ならんと思ふ。馬車を捨てて大國魂神祉に詣でたり。杉木立晝なほ暗く、境内神さびたり。本社はいま屋根の塗替にて、コールタールの臭氣鼻を衝く。神の社は檜皮葺こそ可けれ、銅にて葺きたるも悪しからず、瓦葺にても我慢すべし、ブリキのコールタール塗は神威を損ずるやうに思はる。社前に手洗所あり、堂の造り方頭勝ちにて釣合よからず、近き頃の建設と覺し。
社内を出で、西に多摩川提に向ふ。烈日地を燒けど、風強ければ涼しく、眞臺の行路も苦しからず。正男頗りに小流に石を投じ、四丁切れたり、今度は三丁なりなどいふて喜ぶ。
やがて川近くに至る。田にも畑にも出水の跡著し、道の傍の榛の木は、地より一丈の上に藁屑多くかゝれり、當時の惨状思ふべし。漸くにして河原に至れば、水溜りありて行人絶えたり、迂回して水を越せば、更にまた一條の流あり、舟は其先の河原にありて、徒渉せねば至りがたし、銘々靴を脱ぎズボンをかゞく、風つよく吹き荒みて、廣き河原に白煙を立て、細かき砂は舞ひたちて、眼も口も開きがたし、濁り喜ぶものは正男にて、眞先に水に入る。
水は濁りて生温し、徑十餘間、膝迄に至らず、岸に上りて其儘舟ある處迄歩む、大小の石は蹠を囓むで痛み甚し、舟に入り靴を穿つ。
再ひ河原を横ぎり、橋を渡り、更にまた舟にて流れを横ぎり、始めて封岸に達す。渡船の料一人五銭、暴利悪むべし。
沿岸何處も水害を蒙らぬはなし、ゆく事十餘町、少しく上りて百草園に至る。
園は某氏の別荘にして、林泉の見るべきものあり、門を入つて右の方に一茶店あり、就いて茶を請ひ、新宿にて求め來りし辨當を開く、飯は黒く菜は無味に、やゝ飢たる腹にも甘からず、茶を携へて數十階、高處の四阿に休息す。
百草園は、登路數丁の丘上にありて、我等の今居る處は、また一段の高所なり。東北西の三方を見るべし。東は多摩川の流れゆく處、赭き崖あり、暗き森あり、廣き河原は細き水流を光らして、何處迄も遠く遠く水平線上に消えたり。北は、狭山一帯の高地に空を限られ、多摩川原一文字に横はり、青田は前後を挾みて、景致雄大なり。遙かに見ゆるに立川の鐵橋と覺し。西は大嶽、御嶽、雲取、仙元、三峰、武甲の諸山を背景とし、近く日野豊田あたりの人家を見るべく、淺川ゆるく流れて多摩川に合し、岸近く枝振面白き松の並木あり。風やゝ静まりしも、空には雲の往來烈しく、コバルトの色は、廣く狭く、見え且隠れて、變化ある眺めなり。こゝに寫生箱を開きて、見取圖一枚をつくる。H氏正男、木の實を拾ひて獨樂を作り、或は蝉を捕へて時の移るを知らす。
日の傾くころ百草園を辭し、途々野菊をたづねて採集家を氣取り、高幡不動の前を過ぎ、淺川に架せし某橋を渡る、このあたり水ゆるく流れ、岸の柳も面白く、前の水車小屋も畫趣あり、遠景には小佛の諸山屏風の如く立ちめぐり、水の色林のさま悪しからず、五六枚の畫材は得らるべく、晩秋のころ再び訪はむと思ひたり。
日野停車場に至りつきしは夕暮なり、折よくも上り列車は來れり、どの室も客浦ちたり、辛ふじて室に入る、立川にて僅かに席を得しが、乗る人のみ多くて混雑甚し、一客綱棚より傘を下さんとて、誤つて革鞄を墜し、下なる小児の頭を傷つく、母なる人怒つて罵り、客は倉皇として走り去る。悲劇あり喜劇あり新宿に至つて、客の殆と全部は車を下れり。
H氏に別れて家に歸りしに夜の八時、晩餐の味極めて可なり。