御禮と御詫び

主催者二人
『みづゑ』第六十七
明治43年10月3日

○この夏の膳所講習會には、吾等二人元來迂愚なる上、交る交る健康を害して居た爲めに、設備萬端頗る不行屈であつたのは、遙々參會せられた諸君に對して、深く謝する處である、之れにも拘らず、諸君がよく不便、不都合を忍び、静粛に平和に行動して、無事に終りを告げさせられたのは、吾等の最も感謝する處であります。
○宿所の事に就ても、近くに適當の家なく、已を得ず大津に撰定して置いたのを、俄かに叉膳所に變更した爲めに、只さへ土地不案内な諸君に對して、一層御迷惑を掛けたのは、實に恐縮の次第でありますけれども只諸君の便利を思ふの餘りに至つたのですから、悪しからず思つて貰いたいのである。(以上二人)
○無理を通して一週間を我慢した結果、最後の日に及んで、遂に倒るゝに至つた爲めに、互別會にも臨むことの出來なかつたのは、私の最も残念に思ふ處であります。終りを完ふしなかつた罪は鼓に謹んで謝する外はありません。尚閉會の當夜、居残りの諸君が、多大の★情を寄せられ、わざわざを犯して弊居を御見舞下されしに對し、★に忝しく感謝の意を表して置きます。(病床にて藤田紫舟)

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