さゞなみ集

丹青子外七
『みづゑ』第六十七
明治43年10月3日

■講習會は有益であるのは勿論のことだが、其他に種々な面白いことがある。何でも四五回續いて來た人もあるさうなが、僕でも今年を皮切として毎年出席する覺悟だ■大阪からダイブ見えたね、それがまた何れも通人揃いでね、ノベッ幕なしに洒落散らされたのには少々アテられたよ■豈それ酒落のみならやんさ、御座敷藝は何でもござれ、若しそれ△△君□□君の如きは寄席の高座に上つても飯は食へやう■神聖なる處の贅六美術家を侮辱すると許さんぞ■そら其調子がすでに滑稽だね■何も大阪だからとてそないな人ばかりはおまへん、造次★沛畫のことを忘れずに、便所の中で光線と色彩との關係につき大發見をした大先生も居るよ■此先生少々慌て氣味で、停車場へ駈けつけてから宿へ忘れものを思ひ出して取りに歸つたさうじや■一度途中から歸ったので、それでは都合二度かな■慌ての方に▲▲▲式といふのがありますよ■何僕の爲ることが手早いもンだから慌てるやうに見えるンだ■それでも『◎◎君財布落して▲▲▲式』といふ川柳が出來たぢやアないか■いつもの寝坊もステキに早く起きて、石山街道を飛ンで往つたのは凄まじかつた
■警察ヘ警察へと怒鳴つたンで、近處の家から大勢飛出して來たので少しシヨゲたね■拾つた車夫が正直で財布はマンマと元へ戻つてお仕合せ■その晩何か奢つたらうね■ウンニヤ■少し汽船の中の寫生を御覽に入れます■『石場上りはゴワヘンか―早やう來ンと出マッセ―』『これ乗つてようまつかア』『大事ナマヘン』『中ダツカ』『けふもムシムシ暑ッォッセ』『コレアンタはんのヤロ』『大きにわ粛カリ』『お菓子にサイダー買うでオクレヤッセー』『ボボボーボボボーボボボー』これは汽笛さ■膳所言葉も可笑しい子、何でも舌がよく廻らなくつてカラダをカダラ、戸棚をトナダといふさうだ■ヤヅパリソロバンをソバロン、神樂坂をカクザラカ、茶釜をチャマガといふやうなもンかね■オツコワ、オッコワといふことを知つてゐるかい■口先から出したのではいけない、腹から出すのだよ■學校の前の神社は普請中だそれで門に貼札がある『ごみうしん中通行止』■『ソノ煙草盆をチョト貸してオクレやしてオクレヤス』はどうだい■あほらしい■言葉を笑ふてドモアカン■東京ヤテオカシイこと言ふてや、オツたことをオツコッタと言ひますやろ■左様ヒヨリポンチのことをテルテル坊主だなンてぬ■廣島地方でガンスと言ひます『可部の願仙坊にお聴問がガンスかガンヘンか、ガレヒヤーガンスと云ふてゞガンヒョーが、ガンスともガンヘンとも云ふてゞガンケン、ガンヘンのでガンヒョーデー』まアこんな風に■こういふこともある、『笠岡町の角の傘屋の加兵衛が蚊に咬まれても必ず掻くなカサになる』■『神田鍛治町の角の乾物屋の乾栗りや固くて囓めない』これは東京の話さ■おい、ウルナリキルといふことをしつてるかい■何だい、繪具の名でもあるまい■膳所で汽船の切符を買ふと、改札なンていふ面倒なしに賣る時にバチンと切るからさ■詰らない■膳所のフンドシ町といふ由來は御存知あるまい■穢くて長いからさ■大津名、物鮒すしといふものは如何です■アノ臭くつて蟲の湧いてゐる奴かね■あれを平気で喰はなくつちや通人でないさうだ■僕は凡人でも俗人でもよいか、鮒ずし、湖魚のあめだき、鮒のおつくり、鱧の吸物、そん御馳走は一切御免を蒙ります■湖の中の魚は氣に入らないが、夕方の行水はよかつた、何だつて周圍七十五里の大盥だもの■ギヨーサンの水や■この大盥を石山へ三井寺へとよく乗廻したもんだ■三井寺へ往つた時、三十度髯の先生は寫生等を往來へ叩きつけたよ■どうして、氣でも違つたのか■ナアーに膳所の中學校の腰掛は丈夫一方で、読へる時に床に叩つけて壌れないといふ約束だつた、それで先生も、箱がどの位ひ丈夫だか試して見たのさ■其結果は■板が?れて小石を拾つてカンカンといふ次第■いやはやお道具の立派なこと、勿驚伸せば六尺にるならうどいふ大なるイーゼル、それに握り太の傘立、飛行船といはるゝ大洋傘、四ッ切の部厚の畫板重さうな三脚、其上に寫生箱だ、さうして畫いてゐるのはワットマン九ッ切■大さう力があると見えるね■名物辨慶の力餅を食つたおかげだらう■茶話會で振つたのはハイカラ寒んに山男だ■片や長い髪を眞中から分けてペラペラと饒舌る、片やイガグリ頭に眞黒な顔、手織縞の裄も丈も短かい奴で頗る樸柄だ■××君の三脚を見たかい■初めは三本のミガキ竹、後には細い木の枝さ、何も不思議はない■××君が講習へ出て來たのは非常な苦心で、家人の目を盗んで荷造しtので、三脚も革だけ持つて來た、絡具も途中で借リて來た、袴がないので膳所で借りたら損料一日十五銭宛とられたさうな■××君が互別會でやつた近江八景は當意即妙感服仕つたね■『君は大阪へお歸りですか』『ハイ』『別に御病氣にもならなかつたのですか』『ハイ』『ソレなら病まずの歸阪(矢走の歸帆)ですね』まアヒんな調子で、最後の石山の終結(秋月)はよかつた■そこで此さゞなみ集も終結としやう(以上丹青子外七氏)

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