寄書 汽車の廿餘時間

森非折
『みづゑ』第六十七
明治43年10月3日

 去る五月中旬、郷里(青森)べ歸る可く上野驛を夜の八時半に出る。奥羽線の列車へと乗つた、(御定まりの三等で・・・・)其れもえゝが、満員で棒立が澤山ある自分も勞れをこらえての棒立、然も當時病氣中であつた、漸て宇都宮で、腰掛占領しる事が出來た、全く地獄で佛に出會したより嬉しかつた(地獄で佛に會つた事はないが・・・・)先ヅガラス窓を開けて、馬鹿にダルヱ頭を風へ當てゝ居たら・・・・突然・・・・自分め背後から・・・・キタナヱ枯れたセーピヤのよーな聲あり「アンサン孫ア風ひぐから其處(窓)〆てタンへ(下サヱ)」と、聲しる方を見たら、六十路餘りの婆さんが目付ゑた(聲の主ぼ此の婆さんであつた)そして其の婆さんの御腹のあたりへ頭を押付けて、スヤスヤと夢路たどつてる姿やさしゑ六七才の少女が、婆さんの孫らしゑ(言葉では秋田在の人らしい)拙者は御意かしこまつたと窓を〆た、美しい少女の寝顔はどこまでも無邪氣に見へた、年老へたる孫婆にいだかれて、無邪氣な年頃の美い少女が夢をむさぼつて居る「無心」なる樣を見て、拙者ほ・・・・「あー畫的だなー」と思ふたのである三等(其れも滿員と來てる)の情なさに、横に長くなつて寝ると云ふ氣樂は出來なかつたのだ。仕方なしにチヤーンと腰掛の上に「ヒザ」折ツて、身體を伸ばした様は、座禪よう しくと云ふ所だ、然し座禪に縁のない拙者には退屈此の上もな かつた、こんな事してる中に、自分の頭は「スゲッチ」なる一 言を大きく力ある聲で呼はッた、拙者は「オーそれそれ此れを 忘れてる法にない問抜けめッ」と自責して「イザ此れより「ス ケッチ」」と云ふので、一生懸命・・・・漸くあつて納ッたものは、 曰ク「商人風」曰ク「奇妙な寝顔の爺さん」曰ク「例の秋田の 婆さんのヱルロオーカ顔」曰ク「婆さんの孫の花のよーな寝顔」 曰く「少年」曰ク「ハイカラ紳士」曰ク何日何と云ふ譯で、可 なりの豊富をスケッチ帖は得たのだ、其れが皆ランプの黄色光 りをあびてゐるのであッて、明るさは極端に明るく、暗きは極端 に暗く明暗の調子が烈しく見ゑて氣持がゑゝ、中にも「奇妙な 寝顔の爺さん」は、昨秋文部省展覽會出品、高村先生の「停車 場の夜」の「ヱルロオーカたツみりの色を思へ出さぜた、拙者はぜめて半人前にでもなれゝば、こんな所を物にしたいと思ふ た(なぞと云ふて中々大きく振ッたネ)こんな風な退屈な、ム サ苦しい夜漁車の一夜も、何等苦痛もなく、面白く有益に過ごさせた「スケッチ」なる者の効力も、實際多とせざるま得んの だ。
 夜短かな其頃は、こんな事をしてる中に東が白んで來て、何ん だか寒くも成ッて來た。「モーブ」に「コバルト」を混じたよー な山の上方に「クロームオレンヂ」の一線が横たわツた、ダン 赤味赤味を加へ、スバラク有ッてまげゆき光の大親玉の丸いー 坊さんがヌツト出た(フルフルと廻ツてるよーに見いて)夜は 全く明けて濟ッた、美觀此の上もなし、向ふ側の窓が、幸ひ見 取枠の代用になッて、誠に良く見ゑる―然し地平線の上下しる 事非常なもの―(地平線が始終うごくもんでないが、見る方の 拙者の乗ッた汽車が「ガタ馬車」よろしくと云ふ奴だもの・・・・) 今度は自分の窓(我物顔だネー)から外を見た、此れは諾的、山間の渓流でサラサラと流て、小岩に當り、黙々たる「白アワ」 を吹き立て、目のさめそーな景だ、好活畫圖、景色は一變して 廣々たる野原となつた、遠景には曉光に輝いたる淡しき「バー ミリオン」の残雪を頂いて、牛腹より上部バカリパツト明るく、 下部は暗紫色を呈し「コバルト」の淡き霞を持ッて、やわらか に包まれた遠山があつて、中景には、銀色の川をなゝめに青々 たる畑が位置良くならんで、近景を助けて居る。誠に廣大な景 色。其の他「杉の森」の青々たる、「白いよーな岩山」の壯大た る、「底清き暗緑色の川」の幽靜たる、皆此れ自分の頭は深かく 印象を與へた、此等に見取られた拙者は、たしかに無我の境に立入ッて有ッたのだろ―、汽車は有難いもので―、座りながら にして此等の好風景に接しる事が出來得るではないか・・・・況ん や人も通はれんよーな谷間等の佳景を見る事の得らるゝに於てをやだ・・・・(全く赤キツプでは申譯ないよーだぜ)拙者に切實 に畫道(洋畫)にイサヽカでも心あるのを喜んだ、昨夜の退屈も「スケッチ」で忘れ・・・・、今は又こーゆー有難味(洋書研究に付 いて)を覺へて少しも退屈を覺へないのは全く「ヘボ」でも研究心を持つて居る御蔭に依ッてだと思ふたのである。當時拙者 に、不幸が非常に重ッてあつたのだ(拙者は病の爲め歸國しる 所で・・・・郷里でに大火があつて、然も拙者の家は風下七軒目で 丸焼け、大切な参考物等も皆火に喰われたのだ)其の不幸も忘 れてる事が出來てあつたのだー他の乗客を見たら、例の秋田婆 さんは餘程苦すへと見へて、向ふ「ハツマキ」・・・・若へ「デモ 紳士」風の人は、顔色を青くして、「スタヱ」を押へ押へしてる ・・・・、其の脇きの若い美人(奥さん風)はネムソーな目をして「コバルト」の呼吸をしてる、拙者の向ふの學生帽の青年は何 やらの雜誌を見ながら(讀んでるのが單に本に目を向けてるの か)ネムタソーな「アクビ」幾回も幾回もしてあつた、拙者はこ んな人の様を見てこー思ふたのだ。
 「今此等の人に、イサヽカでも洋畫趣味を平常持つて居たなら ば、かゝる場合見苦すい「アクビ」等をせなくとも面白く樂し く乗つて居らるゝものを」・・・・と・・・・、拙者の身の上をも忘れ て、此等の人々が氣の毒に見えたのである。
  拙者は其れから「スケツチ」もやり、車外の景色も樂しく見た ・・・・、やがて小暗らき時に驛夫の聲で下車した、出向いには親 父と弟が來てあつた。(完)
  飾り氣のない面白い丈章であるから、東北地方の言葉遣ひは わざと其儘にして置きました(編者)

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