談片
『みづゑ』第六十八 P.6
明治43年11月3日
主觀が強いと、何處を描いても同し樣な色や調子になつて仕舞ふ、これは自然を手本としないで、自分の頭を土臺にするからだ、主觀といふのは、自分の感じた點をどう現はさうといふ工風で、目の前の自然の色や調子は決して忘れてはならない。
『みづゑ』第六十八 P.6
明治43年11月3日
主觀が強いと、何處を描いても同し樣な色や調子になつて仕舞ふ、これは自然を手本としないで、自分の頭を土臺にするからだ、主觀といふのは、自分の感じた點をどう現はさうといふ工風で、目の前の自然の色や調子は決して忘れてはならない。