ワッツ論[シモンヅ著]

矢代幸雄抄譯
『みづゑ』第六十八 P.11
明治43年11月3日

ワッツ論〔シモンヅ著〕
 矢代幸雄抄譯
  b:一ワッツは其全生涯を通じて眞理の探究者であつた、ニユーガラリーに出せる風景畫を見ると、八十三の高齢でありながら、尚其態度は依然たるものである。彼の畫風は、實に古今稀に見る完全の域に達し、其風景畫の如きは、非常な細心な注意を以て畫かれ、自然模寫の上に未曾有の作品を殘してゐる。彼が初期の作品は極めて枯淡なるものであつて、所謂アカデミック其儘であつた、そして他の畫家の作に於て、渾然として焔の如く雲の如く霧の如く、物質を生動せしめずんは止まざる底の繪畫堆かき間に在て、彼の作を見ると半裸體の人物が畫室に蹲る所、しかも其人物さへも藻抜の殻の、精神の無いやうな滿らぬものてあつた、併し彼が觀察は漸次物象の微に入り始めたが、容易に滿足すべき域には到らなかつた。『惡魔』の姿等は、單に知力に衿る惡相を現はすのみで、身振などに多少の生氣は認めるやうなものゝ、美の觀念に至つては、全く見るべからざるものであつた。最も其肖像に於ける眞面目な苦心は、彼が強き意志――技術の不熟練に打捷ち、神秘を顯はさぬモデルを氣壓するに足る意志――を表明すること、見る人をして覺えず彼に信用を置かしめた、而して彼の肖像畫は、輪廓の堅固、マ子ーの筆を思はしむべき色彩の印象頗る明確に種々なる感情の發現と共に、手法は益々微細に及んで、漸次智力意志慾望迄をも現はれ來り、形體の上に溌溂たる風姿を生じ來つた、又描寫の實力が増して、精紳美をも表現し來つたのである。
 ワッツの視覺に、彼が道徳的觀念に伴ふことは、普通の畫家――眞に繪畫智識を有する畫家に比して非常に多く、其眼に映る處は、高尚である、淑やかである、冷靜である。彼に驢馬の頭を畫いた一小畫がある、驢馬といへば人はそれを輕蔑するものである、それを彼は何等嘲弄的態度もなく、單純なる感情の下に寫してある、これを見ても、彼が想像力の極めて眞實なることが知れやう。
 彼は其比喩の如何なる場合であつても、繪畫的表現の範圍を誤らぬとは思へない、即彼とても、時には裏面の意味を過重し過ぎて見える其儘の忠實てない事はある樣である、然し兎に角、視覺に感ずる物體をば、道徳觀念の記號表現と思ふ人、彼の如きは實に全字宙をば縮めた一畫面裡に感得したともいふべきであつて、其畫面には、卑しき一劃も輕々しき一點をも止めぬのである。
 ワツツが裸禮を畫くや、人體を以て此世の最神聖なるものと信じ、清浄にして大膽なる心を以て、奮闘的に筆を執るのである、また人の顔を畫く時は、身體中の最神聖なる部分と信じて、情的に、聰明に、從順に、且直覺的に畫くのである、彼の風景畫は、日毎々々、朝夕に、神の御手より授かる自然の美自然の偉大に、醉ふ人の心を以て畫かれたものである。されば其作畫には、歡喜の聲が溢れてゐる、男の顔も女の姿も、天の色彩も地の形状も、單に光線の奴隷でありながら、美術的價値を得やうとするのとは異なつてゐるのである。
 彼の肖像畫は、繪畫としても隨分美しきものであるが、尚其の寫された人を了解せしむることは、實際其人自身よりも完全である。單に其品性ばかりではない、知情緒の現はし方は尋常一樣のものではない、實に自然と眼光に現はれ、常に閃々止むことなき其意識の表顯、精紳の神秘(其神秘を説明せん方法ではない、)何となく物言ひたげなる底知れぬ秘密を包めるごとき、靈魂の極度の沈默を示すのである。其沈默中に存する知の量の多きを悟るに於て皆それぞれ特有の方法を持つてゐる、而してワッツの選びたる點は、他の近世大名嚇々たる諸大家とは異つてゐる。ホイツスラーは其確實なる美の科學の薀蓄深く、畫家の乗ずぺき時機を正確に知つてゐるから、其畫く人物は、一手に長衣のボタンをかけ、一手は頓狂な形をして枕によるといふ情態や、廊下に確かり立つ小供の足つきや、さては灰色の壁に倚る老人老婦の面影に、其壁の春秋風雨永へに變らぬ所までも添へて畫くのである。またサージエントは人體の普通目にも付かぬ所までも、畫室の光に照らし出し。禮義とか羞恥とか綜ての粧を棄て去り、精紳までも追出して、後に残る形、即眞なりと主張して居る。マネーは此等より一層精細とは云へざるも、畫題畫趣を捕るには尚一暦完全の域に達して居る。生命を表はし、瞬間を表はし、更に肉體の機微なる有樣をも示す、此肉體の細かき有樣こそ彼に取りては全生命とも云ふ可きものである。是等の畫家は、自分自分好きな美をも力をも捕ふ事が出來やう、只ワッツのみは、何等焦ることなく、平氣な顔して待て居ると云ふのは彼は神秘の意味は解らないかも知れないが、神秘其物は必ず自分に來ると自信して居たからである。
 彼が他の神秘を得るのも、矢張り、斯る方法に由つて居る。一番初めは、其畫く線は只細心と云ふ丈で、鋭敏とは云へぬし、又其色彩も亦粗笨であつた、彼は物の形は「美」の輪廓なるを悟りて、初めて線を眞に畫く事を得、色彩は「美」の粧なるを悟りて初めて色を感得し得たのであつた。其中頃の作品は相當趣味あるものだが、當時ワッツは、何だがミレースと似寄つた樣の畫をかいた――勿論其手法を云ふのてはない――恰どラフアヱル前派の畫の如く、必ずしも美しくなくてもよい、只實社會の出來事を有りの儘其儘を顯して居たのである、夫から種々な變化を經て、此細心忠實の畫は、聖書や、武士道物語類から、景色や人物を畫いたものと變り、更に遷りて、一層想像的のものとなり、人物の姿勢や、表さるゝ考には傳説や歴史が土臺となる有樣から遂には象徴が殆ど抽象的のものとなつて來た。「ケーン」や「イブ」や「サイケ」等の人物は、至高の情を示し、其畫き表はすものゝ奥に、尚深き意味ありて、恰度其畫の精紳的背景を作つて居るとも云へる。テート畫廓にある「サイケ」は裸體人物畫中古今其比を見ない程で其向ふに掛けてあるレイトンの作の樣に単に美しき肉體が其所に立つて居ると云ふのではなく、見ればゾクゾクする程懐しさが滿ちて、意味の深遠巧妙の極度、筆や言葉では盡されないのである。此畫や「愛と生」「愛と死」の樣な作に於ては彼は其の得意の頂上に居る事とて、何等形骸と精神の矛盾する事なく象徴は比喩を超へ繪畫は、詩文を越へて居る。

火のし夏目七策筆

 「ワッツは、元來畫家ではない、寧ろ詩人だ、其文學的の意味を顯すのは得意だか繪畫的價値の方は、それに伴はない」等と、賞める人と毀す人もよく言ふ所だ、即繪具で實際畫いた作其物よりも、其意味、精神に取る可き所があるとも言はれて居る。此批評若し眞なりせば此位畫家の作に取りて酷な言分はあるまい、然れど、全く偽と云ふのではなく、幾分の眞理のない事はない。彼の初期の作品中には斯る「偽な象徴主義がほの見えるし、其中でも一騎士が名譽と云ふ泡沫を追ふて、断崖に氣が付かず、前に居る老人をばつき飛ばして、自分も將に下に落ちてしまうさまを顯した物等には、特に著しい。「偽な―象徴主義」とは、其象徴、一瞥見え透く樣で、其意味は其を顯す方法と全く無關係にて、其畫の美とか、巧とかは、其畫の價値如何には毫も干渉がないのを言ふので、此畫に於ても、思想は其構圖の線如何に少しも關はらない、全く餘計なもの、木に竹をついだものゝ樣である、さりなから、「希望」「愛と死」等にては、「サイケ」や「イブ」等、簡單なる人物を畫いたものと同樣畫ありて初めて、意味が出て來るので、決して、其意味が畫を作り出したのでは全くない。サイケの斯くも意味深長なるは、其が實に可愛らしく畫かれてあるからだ即觀者がサイケの噺しを少しも知らないでも、畫を見ると何だか神秘の井をのぞき込む如く其中に自分の精神靈魂の影像が、目に寫る樣な氣がして、覺えず其畫の由來が解つたと思ふに到るからである。此象徴的人物は、先づ最初畫として考へ出されたのだ、即畫と其意味は、畫筆の運びに連れて、共に同時にだんだん出來て來たとも云へる、是實に象徴と比喩の區別をする所であつて、亦繪畫の範圍に屬するものと其以外のものとの差違も此所に在るのである。
 ワッツの繪を通覽するに、其最もよいのは畫を説明する道徳觀念ではなくて、其觀念を體して繪畫的に顯す技術に在る、彼は決して創作的の思想家ではない、感ずる所高潔にして、畫く所雄偉なる人であつた。其畫筆を握る間心に浮ぶは、常に世界の光榮、人間の光榮、更にまた、此等よりずつと飛ぬけたる至高――神の光榮ばかりにて、微細な點の畫き方等が、其奔馬の樣な想像を止むる事は一切なく、其筆は縦横に飛びて、精麗優美壮嚴、綜て、御手のものだつた、彼は高貴と富裕ばかりで出來て居る極樂を胸中に畫いて居たから、其が冥々の間に、筆端に迸り出て其畫の色と云ひ形と云ひ氣高くて且何にも吝つりて居らぬ、只時々、物に對する熱烈餘りて、其物の機微なる美を認むるに遑なく、遂に眞を失ひ、又此物質特有の美を逃してしまふ事がある、兎に角彼の畫くものは、自分の住んで居る此世であつた、實に吾人の畫家に豫期するのも正に此以上の事ではないではないか、彼が此感情此思想にて、其畫に深く深く浸み込んで居て、畫の美しき個所で燃立つて居るのだ、然らば、彼が澤山の眞面目なる人士の間に、斯くももてるは何故だらうか、精緻申分なき技術にて、傳へたられるワッツの感激性が作中に靄然と棚曳いて居る爲ではなからうか。
 例を取るならば、先づ愛と死を見よ彼は此畫を「現代に向ひてなしたる最も鋭き説明」と云ふて居るが實に然りだ、説明にして此位明瞭なのはよも有るまい、哲理を説いたものではない、公理を説いたものだ、其傳へて居る事は、「愛は悲觀の時に倚掛ることも出來るし、進まんとする時後押しにもなる」と云へば充分だ、然れど繪畫としても實に微を穿つた美に充ちて線は優しく、構圖は力籠りて且單純に出來て居る、更に有名なる「希望」や「幸なる武士」は如何此等の繪畫にては、觀念は丁度工合よく、テザインの上に出過る事はなく、意匠も亦立派な繪畫的性質を供へて居る、此中には、彼が初期の作品「サイケ」の樣に。畫中の或物を靈化する如き概念は少しも見えない、しかし、進んで晩年の作で、もつと其比喩の明瞭なものを觀給へ、「マンモン」等其一例だ、此所に到りては、或意味を傳へる手段たる可き象徴主義其物が目的となつて、精細を極めた筆緻で畫き出されてある、其顯し方も、視覺に訴へるよりも寧ろ理解力に頼ると云ふ風だ、故に象徴主義も此に到つてみな、眼に迫るものでなくなつて、解剖となり下り、結局得たる善き教訓を一所に忘れぬ爲に畫き留めて置くに過きなくなる。
 (つゞく)

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