文部省展覽會水彩畫評
戸張孤雁トバリコガン(1882-1927) 作者一覧へ
戸張孤雁
『みづゑ』第六十八 P.21-23
明治43年11月3日
水彩畫出品は二十三點で、油畫三點を除いては全く一室を領して居る。一覽して第一に感ずる事は色彩の觀念の貧弱と云ふ事である、生々しきこわき色彩の作品の多いことである、かつて一米人が留學中の日本人の幾人かに就て天空の色彩を試みたるに、兎角單色に見ると云ふた事があつたを思ひ出さしめた、(或意味に於て色盲であると)日本の風景が歐米の風景と同一ならずとするも、日本人の色彩觀念が單純である事は他の畫に見て事實證明されて居るから、自今大に注意すべきは此の點である。榎本滋氏の『日沒後』は室に入ると第一にあるので自然目に留まる、山より天空にかけて其の雄大の感じは現われて佳いが、前景や點景人物が玩具の樣で其の雄大を損じて居る、換言すれば折角の雄大は無感の努力の爲めに破壞されて居る。
鈴木錠吉氏『清流』よりも『白薔薇』の方が強い白色の爲め人目も引くが又佳作でもある、花に對する作者の同情愛着が足らないので人を引入るゝ力に乏しい。
大下藤次郎氏『春』さすがは氏の製作とて春ののぞけさを寫し得た巧みな作である、畫題を見ずして一目夫れとうなづかれるが、前景の松樹に今少しく力ありたらんには云ひ分なき傑作であると思つた。
水野以文氏『若松』は瀧澤靜雄氏の『屋後』鈴木錠吉氏の『白薔薇』等と共に場中注目すべき作品である、大なる氣持も現れて佳い。
橋本廣三郎氏『植物園』巧な畫である、畫の前を過て後ち頭に殘る所のものは只其技巧のみなるはあまり巧手の結果か!美しき畫と云ふが適評か!
瀧澤靜雄氏『屋後』例會で見たる時より尚ほ一層引立て見ゆ、濕のある豊富の餘裕ある佳作である。
石川欽一郎氏『市街』例に依て台灣あたりの市街の一部を描きしもの、半折大にて大さに於て場中三面中の其一である、さすが熟練者とて濃淡コンポジシヨン等に欠點なし、されど何となくさわがしく觀者に不安の感を起さしむ、氏の作としては平常に比して稍劣るものと見たはしがめか。
三宅克己氏の作品には『吉野山』』テームス河畔ウヰンゾル』の二點あり、前者は「白らつほく」後者は「色つほし」、客觀に過ぎ、前者は不出來の三色版の如く、後者は石版工の手になりし畫の如き感あり。切に氏の自覺を祈る。
相田寅彦氏は水彩畫會の俊才なり、出品に『湖畔』『靜けき夕べ』『山家の秋』の三點を數ふ、氏の作品は益々纒り、甚だしきは或る意味に於て三宅氏の如き弊に落入らんとするものあり、頗る寒心に堪へす、奮發一番自然を眞面目に見ん事を。
橋本吾一郎氏『戸山の原』前景樹葉の少しく墨ぼきに過ぎ、冷きを覺ゆるの他注目するにたる。
森本茂雄氏『夏の野』日を受けたる綠野の如何にも其れと見らる、遠景前景の調和は佳なれども、中景の色彩少しく寒色に過ぎ、爲めに折角の雄大に支離の感を抱かしむるはおしむべし。
日本の水彩人物畫は甚だ幼稚に未た注目すべき作品を見し事なし、本展覽會に夏目七策氏の『燈火』と赤城泰舒氏の『讀書』の二點の人物畫の出品を見る、其の捕へんと欲したる眞面目の親切と熱心を後者に於て多く見る、前者色彩は少しく製造的にして自然と甚しき相違あるを思はしむ、氏の作としては各種の物品を少しく同一質としたる點あるも、余はむしろ他の靜物の方をとる。
在英武内鶴之助氏『風景』英國田舎の風景に婦人と子供の點景人物を描きしもの色彩の豊富と點景人物と空の面白きを採る。其他大橋、河合、藤島氏等の作品あれど定評あれば云はず、盲評多罪。