文部省展覽會の水彩畫を觀て
織田一磨
『みづゑ』第六十八 P.23-24
明治43年11月3日
私は自己の藝術觀以外に他にも又立派な、藝術觀をもつた多くの作家がある事を認めて居る。其れ等諸家が各強い信念のもとに製作に努力せられて居る事も知つて居る、そして其何れが本當の藝術觀と云ふ事も難いと等しく何れが僞の藝術であるとも斷言出來まいと思ふのである。
然るに多くの作家の内には自己と云ふ貴重なものを認め得ないで、他の作者の形式丈を摸倣して得たりとして居る作家の存在する左も事實であらう、私は斯くの如き摸倣者の作に對しては嚴格な意味から立派な藝術的作品と呼ぶ事に賛同したくないと思ふ。
我國の洋畫界も、最近外國の摸倣状態から離れて獨立せんとせる傾向を有する現在に、自己を認め得ないで他人の作を摸倣して居る作家は實に哀れなものと云へやう。毎年公私の展覽會には多少共摸倣的態度の作品があるのを私は常に喜ばないのである。と云ふものゝ或は私の摸倣と認た作品も其作者側の方に聞けば意外にも技巧なり思想に共通な點があつた迄で、全く一概に摸倣とは云へないのかも知れない。かの有名な大批評家ラスキン對ホヰツスラーの訴訟沙汰もこの藝術に對する思想上の相異から來て居るのであらう、私はこんな事を想ふと批詐も容易な業ではないと感じた。
乍然私は多くの作品の裡から自己の「好きな畫」と「嫌いな畫」に區別する事は出來得ると思ふ、其れで今度の文展の水彩畫も、其の筆法で、所謂「好きな畫」「嫌いな畫」に分類して、嫌いな方面は止めて好さな畫に就て多少所感を述べて見る事としやう。
今年は私の「好きな畫」が多くないと同時に、極嫌いな作もない、其内の比較的注意を呼起したのは三宅氏の「吉野山」一枚である、「吉野山」はローカルカラーの現れて居る畫ではない、時間や遠近の説明も不充分であつた、窒氣や光りは缺けて居た、私の好きな點は只何となく感じに於てチヤームされるところにあるかも知れない、靜寂な自然の情緒が私の此の畫に發見する長所である、私の好きな原因もそこにあるのだろう。
「吉野山」は私が平素感じて居る謂ひ知れぬ淡ぎ悲みの情緒が佳く出て居ると思ふ、此の畫は去年の晩春三宅氏の畫室で一度觀た事がある、其當時から私の悩裏に何だか好きな畫だと印象されて居た、技巧も上手である、青年畫家が無暗と「キタナイ」色を附けて居るのに反して、沈着な態度で筆を運び色を撰むで居る點が嬉しい、其れに斯くの如き自然の描寫に水彩畫の材料は適して居ると思ふ、一静寂な物哀れな淋しい感じの自然は油畫の方よりも水彩畫に滴當と思ふ、同じ靜な自然を題材にして油畫も澤山にあつたが「吉野山」に感じる如き或る物は得て居ないと思つた、これは理論でなく感想である。
私は肖然を分類して「油畫の自然」「水彩畫の自然」と區別する事の愚である事は知つて居るが、又一方から思考すると、繪畫の材料の適用によつて各相異した感じを得る事が出來ると思ふ、石井君も塲所の相異によつて材料を撰ばねばならぬと主張されたやうだが、石井君のは多く形態に就てであると思ふが、私は感じに於て材料を撰びたいと思ふ、これは今感じたのではなく可成古しから思つて居るのである。
例へば日本畫に適當でない空氣や光線の描寫は日本繪具の範圍でないと云ふのである、私は前述のやうな思想から、水彩の材料は概して靜な自然の現象に適して居ると思ふ。そして小面積に無限の情趣を湛へ得る事に他の材料の企て及ばない水彩畫の顔料の誇りがあると思ふ、キラキラ煌く光線の描寫や活動した自然は、例外もあろうが概して不適當だと云ひたいのである。これは又材料問題とは別であるが、毎年公私の展覽會が開催せられるごとに、批評家の間に水彩畫の技巧問題が持上る樣である、然し私は要するに枝葉の問題であろうと思ふ、油畫の技巧に無制限である如く水彩畫も又自由であると云ひたい、點體描寫であろうと、山本君の所謂重染法描寫を用ひ樣と、ナメた樣な描き法をしようと自由であると思ふ、要するに第三者の干渉す可き限りではない、作者の目的さゑ完全に表現されればいゝのである。
以上は私が文部省の水彩畫室に於て感じた事を、何の統一もなく述べた迄で、理屈としては困るが感想として一讀の榮を得たいのである。(四十三年十月十五日)