寄書 秋の豐顯寺

中島青崖
『みづゑ』第六十八
明治43年11月3日

 十月二日の例會は、豊顯寺に集ると聞て、朝飯もソコソコに仕度に掛つた、此年四ッに成る、武夫と云ふのが、お父ッさん何處へ行くの、チャセイ、あたいも行くのといふ、武ちやんは無花果を採て上げるから、待ておいでとなだめた。
 無花果を落せば帽の上に露
 斯くして、停車塲に着くと、七時の汽車は出た跡だ、次の發車には、まだ間があるから、星眼君を誘ふ、コスモスの花二三輪咲き初めた計りの垣に添て、例の枝折戸を押し、玄關に佇めぱ、蕭として誰も見えぬ、勝手知つたる、横手の椽側に廻つて、直ぐ裏畑の盆栽棚の方を見たが、星眼君はあらぬ、僕は大きな聲をして、お早ふと言つたら、奥さんが出て來られて、アラ宿では最う北村さんと、お二人で出ましたよ、今日は貴君をお誘ひ申すのは、御病氣中故御遠慮申した方がょからうと、七時の上りで參りました、と承つては少し氣乗りがしなくなつたが、停車塲迄戻つた。
 仰き見る花コスモスや秋の晴
 天氣はいよいよ快晴となつた、是では諸兄も平沼から、豊顯寺へ行かるゝに違ひない、神奈川からは廻りだが、道がよいと聞て、其方へ出掛けた、處が聞きしに反して、一歩は一歩より泥濘を極めて、進むべくもあらぬ、幾度も中途から、歸らうとは思つたが、氣を取り直しで半里餘りも歩つた頃に、豊顯寺へはまだ餘程あるかと、村童に聞いた、何に直ぐ其處です、私と一所にお出なさいと、花束を風呂敷にくるんで、肩に掛けた小意氣な男が、突然僕の前に進むだ。
 貴君は、東京からお出に成りましたかと、振り返つて聞かれし僕は、東京人と見られて、少し面喰つた、否、東海道からですと小聲で答へた、方丈樣は途此の二三日前に、東京からお歸りに成りましたと、聞もせぬことをも彼れは饒舌る、僕が帽子を面深に冠つて、彼れには何だか、譯の分らぬ物を携へて居たから、大方修業の僧とでも、見たのであらう。
 花賣とよき道連や秋の興
 程なく豊顯寺に着た、聞きしに違はぬ、關東の名刹である、だらだら上りの両側には、丈高き櫻の古木が行儀よく並で、而してまばらな葉に、秋の色をほのめかして居る、右すれば門があつて、正面に本堂があり、本堂の手前に、庫裡がある、だらだら上りを眞直に進むで、少さな赤門を入れば、三百坪餘の平地に出る、此處にも澤山の櫻樹があつて、數十年の春秋を示して居る、尚石段を昇れば、鐘樓あり、道場あり、更に右すれば尚大なる道場があつて、三方は鬱蒼たる松の大樹林である、樹木と云ひ、道場と云ひ、數百年の星霜を閲せしものと偲ばれた。
 道場に鼠も住まず柿の秋
 百舌鳥鳴くや寂寞の堂に聞くこだま
 此の幽遽なる仙境に立つ者は、僕の外誰も居らぬ、疲れは缶る、筆をとる元氣がない、下山と決して元來し道をたどる。
 左りは杉木立の、低い暗い山林で、右は高い畑の畦である、中窪の徑は、日光を受けぬから、泥濘は頗る深い、此道筋での難場であらう、夫れをも厭はず、芒や葛などを手折りつゝ、向ふから二人の美人が來た、一人は廿五六のやさかたの奥さん風、一人は廿一二の色白の令嬢風で、何れも縮緬の變り色の、羽織などを着て居る、そも此二人は、何者であらう、此處らあたりを、徘徊するからは、狐狸の變化では、あるまいかと思つた。併し天は、近來珍らしき秋日和と、此の美くしき二嬌とを、出現せしめて、遠來の僕を、慰めて呉れたのであらう。
 穗芒や美人のいとゞすごき笑み
 歸りは道の近きを覺え、横濱へ廻つて、家に着たは、午後三時過であつた。
 パレットに空の調子や秋の夕

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