寄書 夕陽の大阪月の京都
凌風生
『みづゑ』第六十八
明治43年11月3日
汽車が梅田驛を發したのは、早や夕暮であつた。西の空が金色に輝いて、地平線近くは薔薇色にぼかされて居る。それがあの廣い澱の水に映つて、空も水も燃えたつ樣にゆらゆらとする。空はだんだん綺麗になる。それが水に映るたびに自分は幾回となく胸を躍らせた。
大阪の街は今夕陽に包まれて盛んに立ち昇る煤煙までが赤熱されて夕★の大陽は眞に美しいと思つた。
さしもに美しかつた夕映も次第に消えて淡紫のゆかしい色と變る。山崎を過ぎた頃フト東を見ればいつの間にか滿月が高く蒼空に懸つて居る。京都に近づくにつれて、月と京都とが何となう離すことの出來ぬやうた感がする。東山も加茂川も、さては京都の街も、皆この月に調和するやうに思はれた。
夕陽の大阪、月の京都と幾回も繰返すうちに何となう其中に意味がありそうなものと夢のやうなことを考へ始めた。
夕陽のあの赤い色は活動的の色である。大阪はたしかに活動に適した所である。
月夜の色青は沈靜の色である。京都は靜かに遊ぶに適した所である。
大阪に城を築いた豊太閤は、あの夕陽の樣に、熱烈な雄大なそして、非常な煩腦性をもつた人であつた。
玲瓏な月の姿、沈靜な月夜、これは如何しても女性的である。京は都の地公達が詩歌管絃の遊びに適した所である。
大阪は夕陽のそれの如く現實の都、黄金の都である。
京都は月光の如く理想的、空想的超世間的の都である。
大阪は現實的に戰ふによろしく、京都は藝術的生活によろしき所である。
こんなつまらぬ理屈を考へて居る間に汽車はいつしか京都に着いた。十月九日稿