風景畫法[一]

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第六十九
明治43年11月20日

みづゑ 第六十九
  明治四十三年十一月二十日臨時發兌
  風景畫法 〔一〕
  b: 米國書家ハリソン氏の近著風景書法は主として油畫に就て講話せるものなり、今其中より水彩畫 研究家にも有益なるべき箇處を抜き逐次之を譯出することゝなせり。
  石川欽一郎識
  色彩
 色盲と云つて色の見分けが付かぬ人がある。併し實際上一人として色盲でない者は無い。如何程完全無缺の眼を持つて居ると云ふ人でも當然此宇宙に存在する色數の四半分も見分けることが出來ぬのである。
 夫れでも先づ太陽の七色の分解でも分かる程の人は仕合はせな方で有るが分解表以外にも澤山ある色の變化に至つては最早見分けることが出來ない。
 之は到底仕方があるまい。人間の智識が何程進歩したからとて悉く分かるものではない。尤も數字の方では光線とか音響とかの振動に就ては餘程研究が進んで居る。唱歌の一番高い調子は一吋の間隔に空氣の振動四千回だと云ふことである。人間に分かる最高の音響は振動三萬六千回であると云ふが此以上の振動は迚も耳に分らないのである。色彩の方でもオルトラバイオレットと云ふ色は一吋の問隔で光線の振動、六萬一千回である。此以上に振動する色があつても最早眼には感じない。
 元來色彩と云ふものは實在する竜のではない。便宜上斯う名付けた過ぎぬ。見分けるだけの眼力がない時には自然は只一色となつて仕舞ふ。柳は綠花は紅と云つた處が實際は是等の物體が光線を反射する振動數の多少に過ぎぬので有る。之が眼に感じて色が一見える。即ち色は眼にあるので此眼に感じる力の無い時即ち色盲であるならば見る物悉く單色となつて仕舞ふ譯である。
 物體が眼に見えると云ふのは視神經の働きであるが、眼の構造に就ては畫家は學理的に研究するの要はない。既に物が見える様に眼が出來て居るので有るから之に依つて色を見分ける能力を大に養成するのである。畫家としては要するに色が克く見えれば好作品を得られることになる。
 併し色の中でも土耳古の織物とか日本の陶器の類とかになると、之は模様であるから綺麗に見せると云ふが目的であるから理屈を以て律することは出來ないが。例へばバンスの『ヴヱニスの夕暮』とかコローの『春の朝』とかのようなものに其色には統一したる照應があり又た斯う云ふ詩趣に富んだ場合を現はさうと云ふ目的で出來たのであるから觀者を感じさせる力は實に強い。
 併し之は凡庸畫家では中々出來ぬことであるのは云ふまでもない。御同様の處では是等の大家と肩を伍べるなどは及ばぬ望である。併し乍ら古人の名作に接することは例ひ其人の如く上手には成れぬとも亦大に學ぶ所が有る。先づ初學中色彩の見分けが充分に行かぬ間は成るべく派手な色を避けて穏かな色で落付いた調子に畫くと宜い。私の友人に色盲ではあつたが中々敏腕の畫家があつた。書も能く賣れたが此人が段々研究する中に自分の色盲であることが分つて如何したならば正しく色が分かるかと種々苦心した、畫具を黄青紫の三色に属する色の中より撰んで用ゆることゝ決めた。此三色の範圍内ならば間違はずに見ることが出來たのである。只強い灸處だけに赤や緑を僅かに用ゆることゝしたが初めは中々思ふやうには出來なかつた。幸ひ此人が畫才が充分有つたので筆も面白く位置や調子が毎も佳かつたが。殊に好んで村落とか市街とかを畫いた。之は成るべく綠色を避ける爲で有ったらうが苦心の結果終に成功して名聲上り數多の賞牌を得優遇を受けたのである。之で見ても我心懸げ一つで如何な障害困難にも打勝てぬと云ふことは無い。
 色の種類により感じの張いのも亦弱いのも有る。黄赤朱の如き熱色は毎も強い烈しい色である餘り刺激が強過ぎる時は終には眼が勞かれる。赤を牛に見せれば怒ることは人も知る如くであるが其他の動物も皆多少赤を嫌ふのである。婦人が赤い裾を飜へして鶉を飼養する柵内に入るときは鳥は皆逃げて側へ來ぬのである。人間には穏和なる赤は寧ろ快感を與へるが烈しい赤は池も耐へられない。緑の山川が若し色を變へて赤となり赫々たる日光に燃立つやうな布様であつたならば人間は皆發狂してしまうであらう。
 之に反して青緑紫のような涼しい色は皆穏やかな色である。自然の風景が是等の沈静なる色から出來て居ると云ふことは申し分の無い處である。室内の装飾でも配色は毎も此種の色を用ゐ、只此處其處に全體の調和を締める爲めに赤黄叉は朱を交ぜるに過ぎないとは装飾家の云ふ處であるが畫も亦此通りである。コローが凍しい緑色の風景を畫いて其中に赤い帽子の田舎女を添へてあるのが畫を誠によく引立たして居るのを見ても分かる。
 色彩は前にも云つた通り生理上充分の研究は中々容易のことでは無い。併し全體から見て美術上今日まで進歩の迹を考へるに何よりも色彩が一番研究を経進歩もして居るようである。畫室内の光線は静かな落付いたものであるが一歩畫室外に出る時は派手な強い光線となる。之が我々の研究すべき好題目であるが此題目の基である色の組立が昔の畫家の見た處とは今は正反對になつて居る。畫室内の光は窓より來る静かな光であるから明るい部分は寒く暗い部分は暖かである。戸外の光は此反對で明るい部分が暖く暗い部分が寒い。之は日向は太陽の黄色い光線を受けるから暖くなるが日陰は室の反射て寒くなる。夫故戸外で寫生をやった最初の風景畫家は大に惑つたに違ひない。畫室内の色で來る古い畫法では間に合はぬことが分つたらうが容易に之を改良することも出來無い。コローのような大家でもあの時代の色とも云ふべき暖い褐色で陰を畫いて居る。併し戸外の色を出さうとして其上から紫がゝつた灰色を掛けては居るが下め褐色が段々透いて見えて來て居るのがコローの畫に多いのである。
  其後外光派が現はれて以來畫法一變して漸く舊態を改めるに至つたのである。尤も今の外光派の遣り方は七色の分解を點や線で現はすのであるが將來此方法をも亦改良するの日が必ず來ることゝ思ふ。兎に角に今日の畫界に於て用色に新生面を啓いたことは之を外光派の功に歸せざるを得ない。
 將來には色彩の方面に如何なる革新を來たすべきか今に於て斷言することは出來ないが。苦し數理の方面に進歩するときは色の配合が數學的に出來るようになるかも知れない。併し學理上には何程進歩したかちとてそれで美術品が出來る譯にに行かぬ。即ち藝術には個人の性格と云ふものが關係する。個人性なければ眞の藝術は存在せぬのである。私の知己なる音樂家は數學を應用して音樂の曲を微妙に表はせると云うて連りに研究して見たが其結果は何の役にも立たないものであづた。此筆法で仕舞には機械で美術品を製造すると云ひだす者も出るかも知れないが迚もそんな譯に行くものでは無い。

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