春鳥畫談
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
汀鴎
『みづゑ』第六十九
明治43年11月20日
初學の人は、自分で花を活けたがるよりは、他人の活けるのを熟視して居た方が進歩が早いと、有名な活花の師匠が言つた。
勝手もよく分らないうちから、目的なしに寫生をやるよりも、先生の描いてゐる處をよく見た方が利益は多からう。
併し、繪は活花とは違ふ、形式の極まつてゐる單純のものではない、教師が生徒のために、特に解りよいやうに、順序を踏むで、所謂寫生の型を見せる時は別として、普通大家の寫生してゐる所を見たからとて、あまり初學者に益はあるまい。
益の無いばかりか、害のある時もあらう。寫生する時は、目に見えたある者も取除けることもあらう、丈高い樹も携圖の上から低くする事もあらう、赤く見えた雲も紫に彩らぬとも限らぬ。
筆者は心あつてする事だ、それを心あつてやるのだと見ればよいが、初學の人にそんな事は分らない、多くは赤く見えた雲は紫に描くもの、丈の高い木は低くするもので、それが立派な繪を作る秘訣であるかのやうに思ひ込むでしまふ。
藝術は敎へることも困難、敎はるのも困難だ。教師に言はれた通り、幾年も氣永にやつてゐれば上手になるかといふに、さうも限らない。技術の熟練は輕視すべきものでは無いが、藝術にはそれよりもまだ貴いものがある。
習ふより悟れ。早く悟つた人が早く上手になる、併し、悟るにはまづ多く描かなけれはいけぬ、多く觀なければいけぬ、多く聞かなければいけぬ。多く描くうちには出來不出來もあらう、過ちの功名もあらう、よいつもりでゐて失敗した作も出來やう、それ等の貴い経驗は、悟りを早くさせる手段である。多く觀るうちには、繪の良否を鑑別する力が出來る、その力は、やがて自己製作の上に影響して、これもまた悟りの道の開かう。多く讀み多く聽く、これによつて先人の苦心も知り、現時の思潮も分らう、自己の向ふべき針路も定まらう。
★昔の畫家には無學者が多かつた。常識の不充分な人でも、★★成功した、これからはさうにゆかぬ。
繪に志すのは早い方がよいが、ほんとに修業にかゝるのは中學卒業後でよい。今の敎育は、中學卒業者には寫生の方法位は敎へる、それで專門家にならうといふのには、中學教育を受けてゐるうちに、夜でも研究所へ通つて木炭を掴むとか、日曜だけでも畫事に親しむやうにしたらよからう。
敎へる方から言つても、敎育のある人の方が悟りが早い、分りがよい、夫ゆへ進歩も早く敎へるのにらくである。
繪を學ばうとする人は、あまり書物など澤山見ないで、早くから敎師に就いた方がよい。案内書のやうなものは、一通り目を通すのはよいが、もとより書物だけで繪が上手になれるものでないから、何も角もこれにもつて解央を求めやうとするのは間違だ。
物は何でも初めが大切だ。最初に就いた敎師が悪いと、一生の損だ。敎師は必ずしも第一流の大家でなくともよい、品性の高い、公平な、親切な人であつて欲しい。
昔しは、銘々の主義や流派を貴ぶのあまり、弟子が他流の眞似をしたといふて、破門した例も澤山ある。繪といふものは、そんな窮屈なものでなく、種々なる畫風があるので面白いのだ。
人には各々異なつた性質がある、其個性は必ず繪の上に現はれる、それを押へつけて、自己の流義に從はせやうといふのは無理だ、天才はかくして★々埋沒せしめられる、繪の敎育は、兵隊や師範の生徒を訓練するのとは異ふ、同じ鑄型に箝められては耐らない。
このやうに、個性は極めて大切だが、苟くも造形技術である以上、一通り趣まつた法則にある、自己といふことの見出せる迄は、やはり誰れでも其法則に從はなければならない、大なる自由を得るためには、相應の束縛を甘んじて受けなげればならない。
銘々の個性に向つて尊敬を拂ひ、同時に繪の約束を親切に敎へ邪道に入らぬやう注意して導く敎師は、眞に理想的である。
繪の敎へ方には幾通りもある。初めから繪を畫くことを敎へるのも一の手段である、繪を畫くための基礎から敎へてゆくのも一の方法である。前者は一寸掴へ處がないから入り悪いが、出來たものは已に繪になつてゐるから面白い。後者は所謂稽古で出來たものは極めて無趣味だが、學ぶのには苦しみが少ない。
天才と言へぬ迄も、器用な人には前者の方が早く進むであらう。
素人藝として習ふのにも、前者の方が結果はよいかも知れない。眞に深くやらうというには、後者を選ばなければならぬ。
一つの石膏の首を、一週間も突つき廻すのはあまり面白いことではないが、これが他日大飛躍する基礎になるのだ、また素人の慰みとしても、後者のやり方が安全だ、これなら文字の書ける人には誰れでも出來るのである、そして堅實の基礎の上に築かれるのだから、仕事に危な氣がなく、出來たものは確實だ。
一點一劃、少しの濃淡の調子も間違へぬやう、頗るアガテミックの稽古を半日やつて、午後から野外に出て、自由放奔に、感情の向ふまゝの仕事をする、一方に某礎を固めつゝ、一方に元氣を横逸せしむるやり方は、理想的修業の手段であらう。
圓い花を圓く畫いたのでは面白くない、圓い花を四角にかいてこそ味ひがあるといふ。圓い花を四角に畫いて、觀るものに圓い花と思はせるだけの技倆、否圓いとか四角とか、そんな事を考へさせないだけの立派な技倆のある人にして、始めて味ひも趣もあらう。圓い花は元より圓く畫いて差支はない、圓い花を四角に畫くものと極めるのに悪るい、圓い花は圓く畫くものと極めるにも及ばない。
繪は粗く畫くものだといふ、粗く畫いて充分感じが出ればそれでよい、併し細かく畫いても調子が整へば、イクラ細かくても差支はない。筆使ひの粗密は、對象によつて相違も出來やう、また其筆者の性質にもよらう、どちらでもよいわけて、一方に極めるには及ばない。
素人が繪の習ふのには、鉛筆から始めて、一色畫をやつて、それから彩色に移るのがよい。描き方はいろいろあるが、初めは何でも見えた通り正直に寫したらよい、寫眞のやうだといはれても構はぬ、正直といったとて、何も木の葉を一枚々々寫すといふのではない、形や何かを正直に寫すのだ、さうして物の性質を畫き現はて稽古をして、それが可なり出來た頃に、敎師は物の感じを出す手段を敎へるがよい、生徒もまた、その時分にに、博物の標本みたやうな畫に飽きて、自然に工風して、大膽に着色したり、粗い筆も使ふやうになる、何でも自分から出た手法でなくては面白くない。
稽古の時は、頭を冷くして、物の内部迄も究むるといふやうに、極めて客観的に物を寫す、飽迄も自然を手本にして忠實に寫す。繪を畫く時は、自然に束縛されることなく、自己の主觀によつて、物を活かし、働かし、自然以上の或物を表現させる。
こんな風に甘く使ひ分けが出來たら結構だ。
自然に忠實にといふと、たゞ外面の描寫に忠實だけで、必竟は自然の模寫に終る。大膽にといふと、いつか自然を忘れで粗笨に流れる。忠實な仕事の出來るだけの素養を持つてゐて、大膽の仕事をすれば面白いものが出來やう。
丈字を習ふのに、片假名から平假名に移る。楷書をやらせて、行書草書といふ順序だ。雷もやはり、片假名楷書から入る方がラクだ、楷書を書く力の無い人の草書はふとかく宛字やゴマカシが多い、書を知らぬものは褒めもしやう、心ある人は顧ない。
世に畫家と許されてゐる★の人が、シをンに書いても人は咎めない。小學校の生徒が、イと彳を間遠へたのでは敎師は許さない。修業中に大家の眞似をしても駄目だ。ナグリ描きで立派なものが出來るのは、素養があるからだ。修養の足りぬ人がやつたのではタトへよく出來てもそれは僥倖に過ぎない。心理學者に言はせると、人間は幼時から、一度見たもの聽いたもの、すべて五感に觸れたものは、必ず記臆してゐて、ある機會に現はれるものだといふ。繪でもさうだ、一度畫いたものは、次に畫く時は、たとへ意識しなくとも、必す記臆があつてラクに出來る、見たもの賠いたもの、何れもさうだ、やはり多く畫き多く視多く聞くに限る。骨折つて仕上げた一枚の繪も貴いが、前に澤山骨折つたことがある、即ち修養のある腕で、無造作に畫いた繪も貴い。一は骨折が誰にも見える、一は骨折が隠れて見えぬが繪としては後者の方が成功してゐやう。
幾日も幾月もかゝつて製作したものも繪なら二十分三十分のスケッチも繪だが、美術としての約束を備へた所謂『繪』といふものと、研究のためにやつてゐる所謂『稽古繪』といふものとは、區別があつてよからう。ある景色に對して寫生をする、其出來上つたものは繪といはれるが、稽古にやろ寫生なら、何も出來上らせなくともよからう、突つき散らして眞黒にしてもよい、半分でやめてもよい、それは繪をかくために稽古するので、手習草紙のやうなものだ。
手習草紙であるから、思ひ切つた事をやつた方がいゝ。この處はもつと暗いやうだが、暗くすると、折角これ迄出來た調子を破りはすまいかと、臆病な心を出してはいけない、これも稽古だと思つて、何處迄も突込むでやらなくては駄目だ。
手習草紙なら、汚れもしよう、美しくもなからう。他人が後ろに立つて見てゐても構はないではないか、百性や小學校の生徒に氣兼して、着けやうと思つた繪具を控へて置くなどは、極めて愚だ。
稽古繪である以上は、一枚描いたら、それだけ何物か得る處がなくてばならぬ、何か悟つた處、覺えた處が、無くてはならぬ、つまり其繪の中に、研究の痕跡がなくてはならぬ。無意味に無考に描き散らしたのでは、何百枚寫生しても進歩のありやうがない。
あらゆる藝術には、獨創と、いふことが大切だ、他人の糟糠ばかり嘗めてゐたのでは、いつ迄たつても頭は擧らない。迷ふのはよい、大きく迷つて、出來るだけ苦しむで、行く處迄行つて悟るがよい。赤い色を見ては驚き、青い色に逢つては心を動かすといふやうな、小さな迷は大禁物だ。
繪の事を一通り覺える迄は、自我は出さない方がいゝ、敎師の言ふ通りやるがよい、★し、いつ迄も敎師の言ふ事ばかり聞いてゐるのは愚だ、自分が分って來たら、そこに迷ひが出やう、研究心が深くならう、敎師の通つた道よりも別の道が見出されやう。
教師より上手になれぬ位ひなら、初めから敎師に就かぬがよい。先生のやうに畫りたらなど言はずに、早く先生以上のものを作りたいと心掛けるがよい。
教師もまた、いつ迄も自分の弟子が、自分より下手であつたら大なる耻辱だ、自分も怠らず勉強するがよいが一日も早く、弟子を自分よリヱライものに仕上げなければ嘘だ。
生活とか將來とか、そんなことは一切夢中の、何でも繪が畫いて見たいので、畫家にならうと焦る人がある。自分は一寸繪が畫けるから、これで何とかして生活しやうと、世渡りのために畫家にならうとする人もある。有名な人の華やかな位置を羨むで富も得やう名も得やうとの慾から、畫家を志望する人もある。
繪を描くことが飯よりも好きな人、こんな人の中には、下手の横好といふて、到底見込なしと思はる、連中も稀にはあるが、兎に角一番頼母しい、志した事に傍目もふれず勉強する、よし天才でなくとも、このやうな人達は、飽かず勉強するといふ點から、往々大器晩成といふやうな、熱心の産物が現はれる、元來好きな道であるのだから、道具の不足も言はない、貧乏は平氣だ、世間に動かされないで、自分の信じた道を何處迄も通すといふ勇氣もある、これが頼母しい。
生活のめたに繪を習はうといふ人は、存外多い、病身だから、繪でも修業させやうといふ親の心、腦が悪いから繪かきにでもならうといふ子の考へ、何の事はない、美術學校を病院と心得てゐる連中は此組だ。元來が嫌ひな仕事ではないから、繪でもといふので、若し他に面白いことがあれば、いつでも商賣換をやる、途中で厭になる、他の誘惑に陥る、大勇猛心が無いのだから、生活の道さへ立てばそれで満足する、新聞社に入つたり、學校の先生になつたりして、其當時こそ、他日大に寫すあるやうな事を言ひながら、つひには其儘に終るのは此人達で、商賣的の省像畫家となるのも多い。
榮達を目的としての畫家志望者に、十中の八九で、名譽といふ言葉は、大に奮發心を起させるものだから悪くはない、若い人達の心を刺戟するには、此上もない有効なものである、少なくとも、他に比して、天才と呼はるゝ人達が此方面に多い、中には所謂田舎天才があつて、偶々雜誌の懸賞コマ繪に當選したり敎師から褒められたりすると、天狗になつて中央に押出す輩もある、このやうなのが、實地にやつて見て存外六つかしいのに失望して、いつとはなしに志望も砕けて、今更他に方向を轉ずることも出來ぬので、グツグツに一生を終るのもある。
名を得たい、富を得たいために、世評に動かされて、心にも無いものを畫いたり、素人好のする繪で、顧客を求めるといふやうな、卑しい事もやらぬとは限らない。
何よりも繪が好きで、描きたいから畫くといふ人は、畫家となり給へ。飯を食ふためにといふ人は、宜しく他に生活の道を求めて、好きならアマチユアとして樂しんだ方がよい。名譽や富貴――畫家に富貴は殆と望めないが――が目的なら、まづ自己の力をよく考へてから此道に入るがよい、其方の才分も足りないで、焦つた處で、決して目的は達せられない。
身髄の弱い人が、繪を始めて――風景畫で――壯健になつた例は無いでもない。又所謂、蒲柳の質で成功した人も無いでもないが、繪といふものは身體が弱くつても成功するものと思つては間違だ。弱い人は精力が續かない、友達と同一程度の勉強が出來ない、大切な忍耐力持續性が乏しい、學友問の競争に耐えられない、社會へ出てからも力一ぽいの仕事が出來ない、何も相撲取のやうに大きな身體も入らないが、畫家となるのは氣樂なものではないから、病人では決して成功しない。
併し、病人でも資産が澤山あつて、遊びながらやらうといふのには、繪は一番よい娯樂だらう。
生活のために繪を畫くな、繪を畫くために活きよなんてよく言ふことだが、畫家も人間である以上、物を食はずには活きてゐられない。最初から飯の種に繪を習はうといふのは、美術家となるのでなく職人となるのだ、美術といふものを侮辱した話だ、そんな人達は論外として、眞に繪が好きで、稽古をするにしても、種々な事情から、繪で毎日の糧を得てゆかなければらない事にもならう、眞の日的が繪である以上は一向差支はない、版下も畫くがよい、會社へも出るがよい、學校の先生になるのもよい、此際大決心があつてやるならよい、若しいつ迄も生活から離れることが出來なくて、モガキながらも其儘で終つて仕゜舞ふなら、いかに立派な言譯があつても、最初から飯の種にしやうとした人達と、結果に於て格別變りはない。
大なる志を抱きながら、衣食のため地方の學校に★つて、面白からぬ其日を送つて居らるゝ人達には、心から同情する。境遇なら止を得ない。このやうな人は、宜しく自己現在の地位を利用して、大に修養し、心靜かに他日の再生機會を待つがよい。學校に居ると、存外時間の少ないものだといふ、併し、何といふても畫學の敎師であつたら、下調や何かに大して面倒もあるまい、タイへ朝から晩迄學校に居るとしても、出勤前の一時間位ひは研究の時間もあらう、自分の力で買へない書物も見ることが出來やう、参考品は自由に利用されやう。
在勤の場處が無趣味で、繪をかく氣になれないといふ人もある、元々感興的のものだから、面白くない場處を寫して傑作を得やうといふのは無理だが、感興を惹かないといふことに言へても畫く處が無いといふのに嘘だ、こんな人に、君の居る處でに空は見えませうね、空には雲も出かませうねときくと、監獄に居るのではないから、マサカに空も見えないとは言はない、空が見えたら雲の研究をしたらどうだらう、毎朝の一時間、空を寫生して見たまへ、四季によつて異ふ、方角によつて異ふ、毎日く★必ず同一の現象といふことは無い、其變化の多い雲に、極めて好個の研究材料ではあるまいか、それも出來ないといふのなら、其人は、やはり初めからパンのために繪を習つた人だ、繪を飯の種にする人だ。
厭々仕事をするといふことは、其仕事のために不忠實ばかりでなく、自分の品性を低くする、健康にも害が在る、境遇上自分の好まぬ仕事をしてゐても、他に大なる希望があつたなら、嫌ひな仕事も苦痛にはならない筈だ、厭な爲事の中から、自己の修養になる或物を見出すやうしてはどうだ、何かその境地から趣昧を求め出して、愉快に仕事をするやうに心掛けてはどうだ、少なくとも其厭やな仕事から離れて、即ち自分の仕事を客觀しつゝ、無頓着にやつて居てはどうだ、現在の境地に不足を言はずに、絶えず發達進歩を圖るといふことで、其心さへあれば、不愉快なしに日が送れて、其上いつか希望の達せられる時機が來る。
いくらよい機會が舞込むで來ても、こちらにそれに應する準備が出來てゐなければ、機會は待つてゐてはくれない、捕へ損ふ、いつでも來いといふやうに、仕度を充分して置くがよい。