朝鮮の俚諺(帝國文学)
『みづゑ』第六十九
明治43年11月20日
△幼い子供の言葉も耳から逃すな。
畫に志す人は何物にも注意を拂つて自己のものとするがよ いスケッチブツクは絶えず手から放すな。
△下手な料理人は朴の木の俎板を怨む。
△甘く行かない時には先祖にかづける。
紙の故にする、繪具の故にする、筆の故にする天氣の故に する、敎師の故にする。但よく出來た だけは自分の故に する。
△澁い梨でも★みしめて見るものだ。
辛抱して畫いてゐると、出來損いと思つた繪が存外面白い ものになることがある。
△釜の中の豆も煮てこそ熟す。
一寸やつて見て飽きてしまつてはいつ迄たつても生煮だ、 よく熟すまで續けるがよい。
△馬鹿にした草で目を突く
△狎れた斧に★足を戴る。
こんな處と輕々しくかゝると却て甘いものが出來ない、 獅子は兎一匹にも全身の力を用ひるといふ。
△花鉢に植ゑると描ヂヤラシも植木だ。
額縁に入ると出來損ひも繪になるかネ。
△横這ひに往つても京城迄往かれれはよろしい。
描法なんか構ふな、目的さへ達すればよい。
△十二の才藝のある奴が朝夕の煙を立てかねる。
何でもやりたがるものは一事も成功しない。
△狂人が虎を捕へる。
向ふ見ずにやる奴も時として傑作が出來る。
△虎の居ない時には狐が先生。
田舎へゆくと狐のやうな大家が澤山ある。
△烏が十二の聲音を弄しても一つとして善い語はなし。
もともと才分の無いものがいくら骨折つてもよい畫は出來 まい。
△瓦一枚惜むで棟木を腐らす。
少しの繪具を惜むで其繪は出來損なひ。
△空を掠めて往く鳥も初め體を動かしたればこそ飛べるのだ。
いきなり上手に描けるものではない。