寄書 横濱の水彩畫展覽會を觀る


『みづゑ』第六十九
明治43年11月20日

寄書
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  絹糸のような秋雨の降る十七日の午後、昨日から老松小學校に開催された日本水彩畫展覽會を見に行つた、先づ足を第一室縫入れると、其處は支部會員と大下講師の作品が皆で七十四點列べで有る、づうつと見た處田中太郎吉君の作品が一番佳作で『豊顯寺の森』や『山手居留地』などは申での佳作だが、後巻の手前のドブ石は石の感じがないと思ふ、『御嶽の謎は氣持の善い畫、『秋の暮』も面白かつた、高畠君の『甲州駒ヶ岳』は非 常に善い作だ、『釜無川』も善かつたが山が少し重く見えた、保田君の『初秋』は面白く、『奈良の雨』は柔かい筆で、輕部君の 作品には熱心に研究した跡が見えた、『小川』も善かったが山が少し重く見えた、保野さい子君の『朝顔』は一寸面白く、平野君のでは『久保澤の秋』が善い、跡のは皆餘りぞんざいだ、聞けば未だ初めてだ相 だが、上手な人達の達筆を初歩なのに眞似するのは餘り善くない、あく迄で忠實に描いたのが爲になると思ふ、小林君の『静物』は善いが『仲秋』は餘り好ましくない、形も不充分だし色も不快だ、全體描法が善くないと思つた、佐羽君の驛路は面白い作だが道が餘り平たくて板の様で有つた、大下講師の出品は二十一點の多數で、皆々熱心な寫生畫許りて後進者の参考に成つた。
 第二室に入ると、其處は東京研究生出品と参考品が數枚有つた、 奥村博君のお茶の水は小品で有つたが善かつた、八木君の『富 士』、はキレイに遠近が取れて描いて有つた、赤城君のては『箱根』はスケツチだが中々達筆で有つた、相田君の『能面』には実に驚いた、前の白い面なんか気を刻して出来ている感じが申分なく出て居た、無暗に圖許りよつて描くより、此様なものを描いて其物質を出す可く研究したが善いと思つた、『檜原湖』善く色が出で居たが舟〃はなもむがなとの詳判で有つた、水野君の『町はずれ』は町はずれの感じが善く出て居た、水野君は好んで此様な場所を描く様だが、それが叉非常に善く感じが出る、寺田君の『冬の午後の日影』は氣持の善い畫だ、手前のシメツた河原は暗くて杭の半分に日がパツト當つた處と橋の影が取わけ善かつた、『隆慶橋』はより以上の佳作と思ふ、風が吹いては 小波が立つた感じなんが實に善く出て居た。参考品中の中川氏の『入間川秋の夕』は、ポット霞んで遠くに白い煙りが二ッ三ッ登る善い畫だつた、茨木氏の『古驛』は面白い描法、初めて見る時は驚くが善々見て居ると面白味が出てくる、中澤氏の木曽寐覺の床』は、月影で柔い畫だ、河合氏の裏街道は淋びしい色でをちついた畫だ、また丸山氏作品は多く大作で有つたが、唯きれいキレイと思つたのみで外になにも頭に殘らながつた、最後に故淺井忠氏の『カレイ村』(佛蘭西の秋)を見て實に其描法の善い密な色の善い暖かい好い畫であの位いに研究しなければ駄目だなと唯々敬服の外はなかつた。
 夕暮近く會場を出て、追々考へた、新らしい頭で新ゐしい描法を用いて進んで行く若い青年畫家の前途は希望に満ちてる、其の勇ましい進歩を見て、今の所謂大家連中も大家の名に安んぜずして『なに若い者なんかに敗けるものかと云ふ位いに、うんとヘビーを出して奮つて研究して貰いたい』と思つた。霞生

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