寄書 畫趣に富みたる淺間社
清茂生
『みづゑ』第六十九
明治43年11月20日
靜岡市へに清水港より、鐵路十銭行程三里です。市の風致は駿府城趾、安倍川、及び淺間社です。けれども其随一は、淺間社でせう。日光を見ざれば、結構といはれずといゝますけれど僕は實際見て、却て失望しました、これは人々のいゝふらしのえらい割合に、社殿も狭小に、且つ色もあまり、華麗ではなかつたからです。
僕は、今迄参拝した社の中で、此社ぐらい、何かと畫味の調ふて居るものは、先づないです。第一心地よいのは、境内の狭くるしくないことです。老樹の多いことです。背後に古杉欝蒼たる山を負ふて居ることです。第二に社殿の壯大なことてす、建築物の數の多いことです。第三に社殿の丹精其他が、古雅蒼然たることです。一たび足を此地に入るれば、神韻先づ人を襲ひます。
社は今より一千餘年前、聖武帝の御宇の創立とやらです。今の社殿は、徳川中葉以后の建立です。社格は國幣中社、三面繞らすに、青苔紫蘚斑々たる、石の玉垣を以てします。他の一面は、即ち森々たる山なのです。先づ石の大鳥居を入ると、石造 下馬橋があります。それを渡つて、丹塗銅瓦の二王門(維新の 際二王だけは佛なればとて他へ移されました)があります。そ れから敷石の上を通つて行くと、群鳩の羽音高く飛び交ふのを 見ます。さて前方には、長き廻廊がありまして、風雨にさらさ れたる瓦の色面白く、欄間に掲げられた奉額の色亦愛すべしで す。中央なる朱色二層の樓門をくぐりますと、今度は稚子殿です。これは白木造りですが、しかし今は中々雅色豊です。拜殿 は十三間の丸桂、殿宇高く蒼穹に聳え、形態色調亦頗る佳です 本社は数十階の石段上にありまして、彫刻等美麗精致なもりで す。
此外又、俗に百段と申します百の石段を杉樹の影を踏みつゝ 登りますと、こゝは眺望頗る佳、近隣郊野一眸の下に集りますこゝにも亦、丹塗の一社があります。此外大歳御祖の神曰く何 日も何と、重要建築物の數が、總てゞ十棟程あります。何しろ 徳川家指揮の下に出來たものですから、たしかにけち臭くない のです、そして叉、久能山以上です。
僕此夏五日間此社に寫生いたしました。當地山本氏は、趣め て熱心なる寫生家ですが、淺間に關する寫生、百點以上はされ たといふことです。此一事でも、いかに畫趣に富めるかが推測 できます。諸君或は來岡の機を得給はば、一たびはこゝに、彩 管を洗ひ給へ。