文部省第四回美術展覽會水彩畫評

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第七十 P.13-16
明治43年12月3日

 一日没後榎本滋氏
 ワットマン半切の縦畫で、信州長野裾花川の岸を畫いたもの、昨年夏の作である。氏は元氣な人で從って筆も元氣たが、此繪はよほど落ついてゐる。初めに力の籠もってゐるころ、感興の高潮であつた頃に、寫された畫の上部、日没時の空と暗い山との關係、山の暗い中の濃淡の調子は面白く出來てゐる、下の半分はこれから見るとよほど劣る、ことに河原の描寫は巧とは云ヘない、添景の人物も有らずもがなの感がある。この繪に限らぬが氏はいつも大きなものにブッカつて、終に力負けがしてしまふ氣味がある、初めから元氣の出し過をしないで、最後にウンと力を入れるやうにしたら立派なものが出來やうと思ふ。
 二燈下夏目七策氏
 四ッ切縦畫で、若い座せる婦人の背後から燈の光がさしてゐる、何となく懐かしい穏やかな畫である。主要の部分と見るべき横顔のあたりや、襟から肩の邊の感じは頗るよい、物質の説明も可なりょく出てゐるし、此作者の弊であつた靜物畫的の物を見過るといふやうなことも殆も無くなつた。
 三白薔薇鈴木錠吉氏
 二ツ切の縦畫で、鉢に植ヘられた白薔薇と他に二三の小道具がある。位置のとり方もよい。全體にオチッキがあつて上品なのもよい。たゞ白い花が浮出して、そして固く見えるのは不感服である、この花にもつと潤いが欲しい、そして前ヘ飛出さずに奥深く香りを放つて貰ひたかった。
 四淸流鈴木錠吉氏
 二ッ切の横畫で、昨年の夏信州澁温泉の奥ホツポといふ處の渓流を寫したもので、實景と比較するに、よほど作者の手加減があつた樣に聞いてゐる。水の趣石のさま、何れもょく寫されてある、拙圖の上に作者の主觀が多く加はつたにもせよ、寫されたもの一つ一つについては可なり深い研究が見えて嬉しい。
 五吉野山三宅克巳氏
 四ッ切よりももつと小さい四角な畫で、寂しい感じが見える。淋しいとか弱いとか悲しいとか、そのやうな感じを畫き現はさうと思つて作られた畫なら、確に成功したものであらうが、氏が從來の作巾ではよほど劣つたものと私には思はれる。
 六神の森吉田ふじを女史
 二ッ切の横繪で、口光瀧の尾あたりの道を寫したもの、両側に老杉あり、中央は石高道で、静かな且嚴そかな境地である。全體によく注意が届いてゐる、慾にはもつと奥行が欲しいが、家庭を有する婦人にこれ以上を望むのは無理であらう。
 七靜物夏目七策氏
 二ッ切の縦畫で、花瓶を中心として果物などあしらつてある。結構は大して批難はあるまい、個々の物もょく畫かれてあるが、全體として色の統一も出來てゐて惡しくはない、氏が從來試みた靜物畫のうちではこれが一番よいやうに私は思ふ。
 九若松水野以文氏
 四ッ切の横畫である。氏は日中殆ど暇の無い人で、たゞ毎朝出勤前僅少の時間に寫生をなし、毎夜研究所に通はれてゐる、それにも拘はらずかゝる美事な作を出されたのは敬服せざるを得ないこの繪はこの春歸省中の作で、若松の日の光りに浴して生々したるところがよく寫されてある。氏の作には一種の寒い綠色がついて廻つて、多少快感を減じさせるが、この繪には其弊は少ない。氏の前途はこの若松の如く希望多きものであらう。
 十植物園橋本廣三郎氏
 二ッ切の横繪で、植物園高地の櫻を寫されたものである。一目見て、氏は筆の人であるとの感を起させる、技巧は可なり大切なものであるが、此上に氏の技巧を見たくはない、一層頭腦を働かして繪に重味を加ヘて欲しい。
 一一屋後瀧澤靜雄氏四ッ切の横繪で、此夏靑梅日向和田で寫したもの、シツトリした暗い心持のよい作である。從來の氏の繪には、主觀が強く出てゐて色なども一定したものであったが、今度の作はその弊を脱して自然の見方もよほど親切に、又正確になつたやうに思はれる。但しボテーカラーの使用が多いので、少しく重苦しい感がないでもない。
 一二林道河合新藏氏
 この春太平洋畫會で拜見したもの、そして太平洋畫會出品四點のうち、私が一番佳いと思つたものである、評は前に述べたから爰に省く。
 一三市街石川欽一郎氏
 二ッ切★の縦畫で、臺北あたりの市中を寫したものであらう。氏の作品の特徴は、其潤澤ある描寫、生々とした彩色、無造作にしてしかも力ある筆致等であるが、この繪にも無論其趣は備ヘてゐる、たゞいつもの小品で見るやうな愉快を見出さぜなかつた。畫面の大なる爲でもあらうが、氏の平生に比しやゝ描き過たと思はるゝ處もあり、また深味なども不充分の感がした。
 一四山家の秋相田寅彦氏
 四ッ切の縦畫て、昨年の秋武州御嶽山上の作である。三點の出品のうちではこれが一番面白いやうに思ふ。武州の奥のローカルカラーもよく出てゐる、あまり考ヘずに筆を運むだらしい其態度もよい、詰り苦しむでゐない處に此繪の價値があるやうに思ふ。取立てゝ何處がよいといへぬが、誰れにも好かれる作であることは事實である。
 一五風景竹内鶴之助氏
 四ッ切より大なる繪で草原に家一軒を畫きしもの潤澤ある描法でシツトリとしてよい感じの繪であるが、たゞそれだけで深い印象は殘らない。
 一六夏の野森田茂雄氏
 二ッ切の横繪で、赤城山あたりの高原を寫したものらしい、廣い草原に馬が放たれてある、背後には湖水でもあるらしい。眞夏の高原の心持はよく現はれてゐて快よい繪である、描き方も印象派の用ふるやうな點でやつてある、前年東京府の博覽會に磯部氏の街道を畫いた白い馬の居るのと同じたが、描法も同じだから聯想された、此繪もよいが、磯部氏の方が今でも頭に殘つてゐる丈け巧みであつたらう。此繪には空の部分が面白くない、雲が特に目立つて惡いやうだ。
 

小流大下藤次郎筆

 一七 靜けき夕相田寅彦氏
 四ッ切横繪、會津若松附近の寫生で、この夏の産物である。黄なる夕の空、暗き綠の野、前には岩の露はれた川が流れて水は空を映してゐる。何處といふて批難の無いかはり、何處と指して胸に染み込むやうな處がない、所謂癖の無い繪である、無事な繪である、よく言ヘば無疵で、惡く言ヘば平凡である、老成された大家には望ましいが、是から大にやらうといふ若い人が、このやうな傾向であるのは考へ物だ、疵のある珠の方が毎疵の瓦よりはよい(何もこの繪を瓦といふのではない)。無疵といふことが、相田氏の個性であるならそれ迄であるが、私はモツト強く個性を現はしてほしい、癖が欲しい、胸を刺されるやうなあるものが望ましい、ぽうとした弱い感じでなく、いつ迄も忘れることの出來ぬやうな印象を與ヘて貰いたい。
 一八戸山の原橋本吾一郎氏
 二ッ切の横畫で、夏の戸山の原を寫したもの、力一ぱいに畫き上げたといふ處が見えて、書に蝕裕が乏しい、色も寒く、夏としての力も弱いが、研究的で市氣の無いのは喜ばしい。
 一九湖畔相田寅彦氏
 四ッ切横繪で、岩代檜原湖の夏の寫生である。巧みに寫されてあるといふだけで、印象はやはり弱い、今一歩で平凡といふよりも月並に落る、一奮發あつて欲しい。
 二〇曇り大橋正堯氏
 筆郎次藤下大流小二ッ切縦畫で、七里ケ濱から江の島を見た處、搆圖は日本畫的である。島と小松原の前景との蓮絡が、今少しどうにかありたいと思つた、二ツに切つたら二枚の畫になるやうな氣がした、前景の松原も上から見下したやうな感じが不充分であつた、しかし、波うち際や海の色も穏やかなり、全體に調子が整つて、湘南の曇つた日を思はせる手際は感服である。
 二一日向利田藤島英輔氏
 四ッ切横繪で、日向和田の高處から夏の多摩川流域武藏野を眺めた圖である。少しく色は寒く思はれたが、遠近の調子はよく出てゐる、氏近來の傑作だと思ふ。
 二二テイムス河畔ウインゾル三宅克已氏
 四ッ切程の縦畫で、建物が主として畫かれてある。氏が外遊後の作で、一番新らしく吾人の目に映じたものである。うち見たる處、前の畫風と相違した點が多いが、此畫は外遊前の作よりよいとは思はれない、潤澤の無いこと、固いこと、やゝ一本調子の描き方など、惡いと思ふ方が余計に目につく、空の工合も面白くない、十數年前、京都あたりで寫された時のやうな畫風に何となく似通つてゐる點がある。併し、氏も猶研究中であるから、此作を以て氏の近業を批判するのではない。
 二三讀書赤城泰舒氏
 二ッ切縦畫で、單衣着たる少女の、讀書に倦いて二階の窓から外を見てゐる處である。すらすらと無難の出來で心持がよい。そしてモデルの見方に同情と親切が滿ちてゐるから、空虚が無い。位置に少しく注意を拂つたなら申分がないと思はれた。
 要するに、本年の展覽會に於ける水彩畫は、昨年に比してたゞに陳列場の住良となりしのみでなく、作品にも慥に一段の進歩が見える。又水彩畫本來の性質として、あまり畫幅の大なるものは好ましくないが、本年は小畫面に於て住作を多く見たのは愉快である。この展覽會の出品者は、二三を除いては何れも靑年有爲の人々である、明年は水彩畫界の爲めに猶一層の奮發を希望する。

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