ワッツ論[二]
矢代幸雄抄譯
『みづゑ』第七十
明治43年12月3日
ブレークの樣な、精神上の事を畫く畫家は物質を表す技術のみでは充分とは行かぬが、此事は專問違ひの事とて、隨分誤りも許され、多少旨く出來れば賞賛も受けるにきまって居る、眼には見えず、只想像で僅か間接に解るものを直接に畫き現はされる場合には觀者は只、畫家が其を美しき線や色や搆圖で畫き出す仕方如何に由つてのみ感動せらるゝものである。ブレークが出來のよい畫は其感動さす力が素敵なものだ、其原因は明の星が唱ふを畫くにしても、旋風を駆る神や芋虫が御互に話して居るのを畫くにしても其等を形に現す時には、自分で線や、人物の動作や、身振りに出る感情等を創出して决して休む事なかつた爲であつた、故に其線が吝臭ければ其現す概念も吝臭くなる、繪で深酷なる意味を傳へるには堅實なる手腕と、最上なる技術に由る外他の道はないのである。世間にはブレーク等を目して、其考へは宜ろしいが技術が不充分で駄目だと云ふ者があるが、斯樣な奴は美術として價値、即「美を表はする忠實なる」事と、單に規則を眞正直に守つて居る所謂、アカデミックな價値とを混同して居て、其區別がつかないのだ、其作Eur0-peには神樣が畫いてあるが、其腕と來たら、頭拔けて大きく、普通の人間の形を標準としたなら、とても釣合がとれて居ないが、其腕は實に技術から云ふても申分なぐ、神の「全能の力」を遣憾なく顯はし、又顯はし方も、やつと夫と悟らせるのとは違つて、目で見るより早く、感じ入らせてしまふめである、此場合、技術が駄目な奴だつたらどうか、怖らく、其は間違だけは無い樣にとモデルを寫す計りだらう其を見たとて、眼が樂めるわけではなく、まして精神に愉快などとは得られやう筈がない。
一方にブレークの樣な靈を畫く書家の有ると共に又一方には夢だとか、幻だとか空想的のものを畫く人、ロセッチの樣なのも居る。斯樣な連中が觀者を催眠術をかけた樣に醉はせ、魅してしまふのも、矢張り手法技術を重ずる結果である、ロセッチは、物質を自由自在に畫く點に於て、とても、ワッツには及ばないが、其作品の價値を定むるものは、依然として、畫家が畫で書き顯す範圍を重ずると否とである、即(無形の「精神」は有形の「形」にチョイチョイ憑るものだが)畫の内で何の位まで思想感情が「形」に象られて、顯はれて來るかの程度如何にあるのだ、見給へ、ロセッチは、何を畫かうとの念が盛になりすぎて、自分が夢幻を支配する事が出來なくなり、却て其に捕へられてしまう場合がある、其時出來る畫は、もう偶像になつてしまつて、象徴とは云へなくなる、例ば夢を畫くにも、其をば眼に見える樣に、明るい、畫間の色に畫き、顯はして、(夢の中としたら眼に寫り樣筈がないから)醒めてる時の實在と同じくするのでは承知が出來なくて、化物の出そうな何だか物解らないが何處となく怖ろしいものになつちまふ。こんな畫を見ても少しも面白くなく、其由來を聞いて始めて意味を語る位が關の山だ。
そこでワッツは如何だ、彼は、實に夢幻の面白味も解し、靈魂の意義も通じて居るが、左樣かと云ふて、其爲に、自分の空想幻影に捕はれる事なく、又、精神的實在と、此實在あるを暗示する實體(物質的のもの)をまぜこぜにする事は、大概は無いのである、かくて、彼は自ら進んで、大譲歩をなして居るが、其報酬は充分ある、何故?彼は實に終に(「形」を取扱ふ)畫家の範圍を脱せずとも、(精神を取扱ふ)詩人となりて、失敗する事を免れたのである。
「藝術界の現況」を論じたる、ワッツが意味深長なるを見給へ、曰く『當今、「美」の叫びは、天下到る所に、姦しくて、藝術を試むる事の困難なる、到底背などの比較にならない、今では藝術家は自分の視覺に感ずる所を畫かなけばならない、いや、寧ろ自分の周圍にあるものと云ふた方が宜しい、だから時代の特徴を作品に刻み込まなければ偉大なるものは出來ない、と云ふて、題目を必ず其時代から取れと云ふのではない、(尤も取れれは尚よいが)其「時代の生命」の印象を取れと云ふのだ、現代は昔と比べると、隨分種々な點に於て進歩して居る、智識の充滿して來た事は空前て恐らく絶後だらう、然し世の中を見ると、一般に偉大なる藝術の聲既に涸れて、「尊き高き美」は最早吾人が、精神を眞に感化して居ない樣だ、若し藝術家にして偉大なる先輩の後を嗣がんと欲せば涸れ果てし痕跡もなき、背の流れに歸らなければならぬ、自分の周りを見廻したとて、美しさは空と木と、海ばかり、若し其藝術家が街にでも住んで居るなら、是等さヘも充分味ふ事は出來ない』是は短いながらワッツが自分の信念を白状したものだ、疑ふ事の出來ない、藝術の原則を表はしたものだ『畫家は、自分の周圍のものを畫かなければならない』が、『大藝術の聲は既に涸れてしまつて居る』のだから、『今は痕跡なき、昔の流れに歸らなければならない』、見よ此所に、ワッツが主義と、實行が示されて居る、即所謂撰擇的主義とも云ふ可きもので、昔から傳はつて居る事の中で後に立ちそうなものは盡く容れて白家藥籠中の物となすのだ、决して白分の獨立を標榜して、人のものは一切見向きもせぬ創作的なのとは異る。
美術家の皆主張する通り、美術の終結の目的は『美』に在る事と其から又烱眼な批評家の云ふ所の『美』を發輝する方法形式は無數にある事とを綜合して考へて見ると、今日の美術家の差當りの問題は其むづかしい方法形式の間から何れが善いかと撰擇するにある事が解る。
世間を見渡して見ると、此頃の服装の樣子の惡い事は如何だ、男のと云ふたら見られたものではないし、女の服の方も至極不體裁で、身體とは大概合ふて居やしない、又自分等住む周圍の有樣も御話にならない、あれでよくまあ自身等も其中に一所になつて住めたものだと思ふ位だ。其から當節は、儀式や禮義も大概すたれてしまつた、あれ等も元來中々眞面目な「美」が其中にあつて、吾等が宗教心の扶けともなつたし、又もつと深酷な思想に導いたに、どうも惜しい事をしたものだ、更に其上、器械的、物質的文明を進むるに急であつたが爲め、物をば實用方画にばかり改良を努めたので、眼に觀て美しく、手に採つて持心地のよくする方面は益々放任せられてしまつて居る、斯樣な風だから、畫布を伸べて何か視て美しいものをば今一度畫いて見たいと焦れる畫家に取りては、有の儘其儘で物になる物は天地何所を捜ねても仲々見付からぬ樣になつた。
斯の如き有樣だから、バーンヂョンスのやうな畫家は、ガッカリしてしまつて、浮世を外に、畫室の中に閉籠りて、自然からも遠かつて、一向人體とか圖案とか意匠とか云ふものばかり熱心に研究するに到つた、一騰此人體とか圖案意匠と云ふものは、イタリヤ初期の畫家にとりて、重要なもので、其特色を顯したこともあつたが、現今では全く無意味なものとなつてしまつて居る、只外國語を始終使つて居ると終には其語で考へることの出來る樣になると同じく、絶ヘず、圖案等を畫いて居ると、だんだん、熟練して行て、圖案意匠其物が策二の自然とも云ふべきものになつて來るのである、グスターフ、モロー、の如きは、一定のモデルを使ふことなく、讀書や經驗等で得た、種々な觀念を綜合して技術的な人間の姿を作り出す丈だから、自然界のものとは何等没交渉で、只自分が自然物をば斯樣に見度いといふ、見方が解るきり、故に畫いて成る所、「珊瑚の柱、眞珠の瓦吹き來る風は蘭★の香」とも云ふ可さ世界や、人物とても、男は櫻の精、女は梅の神、映え出し花が其儘人になつた樣とは云ふものゝ、瞳のすはりたる所、手足のなだらかならぬ所から察せば、今迄の夢の未だ醒めやらで、ぼんやりしたる風情、――斯樣な畫家の見る所、「美」と『現在の世の中』とは全く相矛盾し、其衝突は避く可らず即ち曰く、人生は吾人の爲めに何にもならぬ寧ろ避くるの優れるに若かずと。願はくは繪を畫かん――繪の繪をば畫かん、と。
さりながら、他の派の畫家――此派の方が一層吾意を得るものだが――には「此現世は避る可きものではない、堂々相格闘奮進して、犠牲はよし大なりとも、遂に降参させて吾等が理想に貢献せしめん」と信じて居るのもあるクールベーよりデガーに到る佛國畫家、ホイッスラー、サーヂェントの如き英國畫家連と來ては、吾主張の『美は精麗なる畫き方によりて初めて顯す事か出來る』とは異なりて、『美は精麗な畫き方にのみ致す』と信ずるに到つたのである、デゥガーにて、題目は重せず、手法のみが大切と主張する派の最も著るしきものである、いや斯ふ云ふた方がもつと適切かも知れない、『主題が余計な醜惡な物なら、手法の巧妙が尚一層、明かに顯はれる』と。だからデゥガーはアカデミー風の裸體の畫き方、美いには相違ないが、姿と云ふたら到底有り得べからざる姿をして居る―に氣が喰はないので、畫き出す所の中年のモデルには、輪廓の微は少しもあまさざるは勿論、寄る年波の皺から、コルセットの骨の觸れる所、其から頸の色が平常衣服から出て居る部分だけ、日に焼けて居る有樣さへ、残らず表はされて居る、舞踏を畫いても、強て樂屋に入り込んで、山出しの女が、練習服で、一生懸命にやつて居る所を見せて、足の屈伸、肩の運動、一として觀察を遁れず、練習の苦痛が全身に顯はれたのをはつきり示すのである、即デゥガーは嗜好趣味の向いた儘をなし、其畫は、實に申分なき巧妙の與ふる美を表はし、天才と熟練で出來る限りの事はやつて居る、是等は實に素敵な繪畫て、どんな美術家でも見たら、感心せずには居られぬことデゥガー自分がレオナルドの作を見て嘆美すると同樣である、然し其畫の生命は惜いかな、レオナルドのゝか是からと云ふ所で止んでしまつてる。
(シモンヅ稿)