伊勢の一日
與太郎
『みづゑ』第七十
明治43年12月3日
◎太平洋畫會の幹部が、瀬戸内海を寫生旅行に件れられて、小豆島に遊んだ歸り途伊勢に廻つた、無論太廟を参拜の爲に。
◎其の前日迄の伊勢は、東宮殿下行啓で賑つたが、後の淋しさは大風の凪たやう、ひつそり閑として、参拜者の影も粗で、朝熊山颪は寒かつた。
◎名代のお杉お王が三味の音色も聞えず、相の由は空氣銃の射的が二三軒店を開ひで居みばかり、軒の暖簾も色褪せて人影なく、古市の通りは寂寞であつた。
◎旅店に客呼ぶ聲も罕に、物産もの賣る店も霜枯れて、薄ら寒さうに哀れになつたが、御當地名代の赤福餅だけは店一杯に客が居た。
◎太廟は申すも畏しや、されば伊勢の名物は備前屋が音頭でない、朝熊山の萬金丹でない、將又神路山の杉箸でもない、矢つ張り我が下戸薰の赤福餅に止めを刺さうよ。
◎流れぞ淸き五十鈴川に嗽けば、心地も自らすがすがしい、内宮外宮の神の森、白木の宮居の影清く、木の香の馨る處、白衣の人の俳徊すろ樣、目に入るもの皆嬉しくて、目出度く参拜を濟ました。
◎其の後撤下御物を拜覽し、徴古館、農業館をも見、夜は友と割烹戸田屋に酌んだ、席は曾て伊藤公が宿とした處とかで、淸洒にして頗る贅を極め、料理亦口に適したれば、大に食ひ、且つ下戸なからも大に飲む。
◎宿なる五二會ホテルに歸れば、其處も亦姉崎博士、泉鏡花氏等が宿りし處とか、今日は絶代の偉人が宿に飲み、現代の名士が跡に宿る、何と間の好い事やら、伊勢の一日は斯して誠に居心の好い旅寝であつた。