寄書 展覽會の説
北野至樂
『みづゑ』第七十
明治43年12月3日
敢て達人を氣取りて斯く云ふ、にあらざれども、當今各地に頻々として展覽會の開催せらるゝを見聞するに及んで、余輩は日本各地の展覽會上に高擧するにはあらざれば事實の眞相を看取し難きも、世には不徳なる好事者あり、超然たるべき展覽會をして、自己を廣告するの看板となし、甚しきは入場料を以て一利せんとするの劣輩なしとせず、寔に斯會の爲め嘆惜するのみならず、又以て社會を害するものといふべし、是れ展覽會の説ある所以也。
一國政府の設備せし文部省展覽會に付きてはいざしらず、所謂地方の水彩畫展覽會にありては、其目的は奈邊に存するか、曰く水彩畫趣味普及の一言にして盡く、然らば展覽會を看板として、自作品を見せぴらかすを以て目的となすが如きは、没分曉漢として余輩の與せざる所、沙汰の限り也。
善政は善敎に若かず、善敎は善風に若かず、善風の俗を化するや、其の然るを覺えずして然る也とかや、一般社會人をして吾等が崇美する彩畫を知らしめ、以て彼等を美風に化せしめんと欲せば、各地に於ける同好者諸君は、純美なる精神を抱き、彩畫に目なき者に對し、一點の野心あるだになく展覽會を開かば、自己の極力公衆の便を計りて親切たらん事を期せよ、斯くせばこそ歸著する所、自然の風化實に大なり。
如何に國家が國民美性の養成に盡し、大家諸氏の熱心なる斯道奨勵あるも、國民に美風あるなくんば、養成不可なり、奨勵無駄たらざるを得ず、併して一般人の美性涵養は手近なる同好諸君の善く人を導くの致す所にして、諸君の任も茲に到りて甚だ重大なる哉。
自重せよ、自重せよ、余輩の所説は諸氏を瞞著するにあらず、斯かる見解が最も適恰する剴切なる眞理ならん、併して展覽會は實に諸君の手によりて衆民を美化せんとす、衆を督促するよりも、親切を以て彼等をして自ら發作せしめよ、而して余輩は以上の言よりして茲に一の好適例を擧けて、此稿を終らんとす。
從來横濱の地たるや紅塵、衆人甚だ惡俗なりh從ひて此地に起りたる畫會にして其全きを得たるものなく、展覽會も作品の御自慢や、入場料の多少を案ずるの類なりしが、大下先生の一朝保土ヶ谷に支部を開かるゝや、先生の敎示は會員諸氏が熱心と共に遂に今秋十月中旬水彩畫第一回展覽會を開くに到り、小島、山崎兩先生、愛藏の諸大家参考品十七點は當會の光榮を大ならしめ、東京研究生諸氏作品は會員出品に一段の盛を致し、港北高臺、精華あらしめたり、其會員諸氏の親切なる會期二日間不幸陰雨の爲め來會者の足を止めたりとも猶千五百人を算して餘りあるもの、寔に偶然にあらざるなり、市人を益したるや、恰も芳醇の人を醇はしむるが如く、百花の人を薰ずるが如し、其効果や深くして且つ遠かりしを信ずるなり。
余輩は如斯純潔なる展覽會の開かれんことを望みてやまず(完)