寄書 東尋坊[上]

湯淺竹次郎
『みづゑ』第七十
明治43年12月3日

 今夏越前三國に、大下先生の講習會が開設せらるべかりしを、惡雨師の爲め、遂に、残念おぢやんとなつたが、實際其地近傍は、絶好の寫生地にて、爰に、聊か記せんとする東尋坊も、曲浦五六里の三國港近岸の景色中、特筆すべき、絶景の一つである。
 一寸比較するに、加賀海岸は越前の國境より一里内外を除けば、實に情け無い程變化に乏しく、只觀る、一直線の砂礫長汀のみで、北走し能登半島となれり、能登國沿岸は、再び、風光秀美だと云ふ。
 私は今年七月廿三日、親友四名と組織せる千秋會員の一人として、東尋坊探勝紀行に、小松發、上り六時三分の一番列車に乗つた、粟津、大聖寺と過ぎ、六驛目の金津停車場に下車し、右左より腕車夫の呼び聲を後に聞き流し、芦原温泉ヘと進む。
 金津驛は町内細長く屈曲甚敷、一般に家建ち銷色を帯び、一寸「古驛」と題する繪になりさうだ、町を離れ、程無く芦原温泉場、遠望し得らる距離一里弱!、一望平田にて、道程は右を雜木山なる、其腰を添ふて行けばよい、途中、温泉戻りの浴客の人力車五六臺に出會ふ、八時半、温泉館室吉と云ふに入る。
 一休の後、宿ヘ辨當の用意と案内者兼荷持ち人夫の周旋とを依賴し、一同入浴す、此家の浴室、敢て數奇を凝せしと云ふにはあらざれど、近く改築して未だ成就せず、去あれ、夏なれば、四方をつ開きの風もそよそよ、加之、湯の温度亦恰適いと心地よし、浴後茶菓子に雜談笑話する裡、發足の準備整ひしを、下女告げ來るに、皆々、身輕に仕度館を出づ、此處一等温泉館紅屋の前にて、盛装の舞子妓に會ふ、一統恍惚たり、歩する事半里斗り、日は出で居るが小雨となる、蕎萎の花に松林雜りの徑を行くなり、折抦唄ふ者吟ずる者あるに、足の運ひも忘れつゝ、何時しか崎浦ヘと着けり、雨天なればにや、海糢糊として煙り、海面油の如し、風情面白き老松の間に、漁村の點綴隠現する態、繪ならめやは、崎浦より浦續きに梶浦へと廻る、時正に午時、空腹を感ずる事甚敷、此わたり、一人一ならんには寫生せんと思ふ好景少からず。一小屋あり、濱女漁男の多く出入するに、赴き見ればへ、今日は福井より雲丹買ひの來り、其算用拂ひをしつゝあるなりき、此處より漁舟を艤じ、安東浦迄の海路を取り、奇勝を賞でつゝ畫食せんと議一决し、賃銀を掛引せしに半時余をも要しぬ、今や一行乗舟せんと欲せしに、荷持の老人のみは諾せず、浦づたいに、到着地迄は徒歩すべしとて別れたり。
 乗船の其頃より、空一齊に霽れ渡り頓に暑し、海水恐敷泡に淸く、數尋の奥底迄、一塵の汚物無く、其深甚、其神秘的に瓏明なる、手足戰慄す、蘗は舟夫が遺る櫓のまにまに、紺青、藍碧、褐赫色と揺亂す、甲君は朝日ビールとサイダーを舟縁に吊るして冷し、行厨を開き、且つ飲み、旦つ喰ふ、折角の馳走たる大章魚の甘煮、鯛の付燒よりも、福神漬を喜び競り食をせり。

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