額縁と繪畫

大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ

大下藤次郎
『みづゑ』第七十一
明治44年1月3日

△繪畫に於ける額縁は、人體に衣服といふのとは少しく意味が違ふ。繪畫に對する装飾ではなくて、繪畫とそれの懸けらるべき背景たる壁との中間の區劃となつて、繪畫を建築の奴隷たる域より脱せしめ獨立せしむる役を勤めるものである。
△全然装飾を意味する處の日本畫の表装といふものは、西洋畫に於ける額縁と同一には扱はれない、日本畫に於ける表装は、表装それ自身も繪畫と同じく一の装飾である。
△日本畫に於ける表装は、繪畫そのものを害さぬ程度に於て、可なり華麗なる色彩のものが用ひられてゐる、懸額、又は屏風の如きも、其金色は箔を用ひて光輝の強きを厭はない。
△西洋畫に於ては、繪畫そのものをして、一層引立たせて見せるやうに、額縁はいつも犠牲になつて居る。よく展覽會を見て歸つて來て、額縁だけ覺えてゐて中の繪を忘れたなどといふ話がある、これは下手な繪を諷した言葉に過ぎないが、如斯は額縁の本分を盡したものではない。
△埃及、希臘時代では、彫刻と同じく繪畫も建築物の装飾として取扱はれて居つて、常に建築が主になつて、繪畫彫刻は從であつた、繪といヘば必ず壁面に直かに畫き、又は畫いたものを直かに嵌め込むだに過ぎない。
△繪畫を現今のやうに額縁に入れて壁に懸けるやうな仕組を發明したのは、ズージキスといふ希臘の人だそうで、無論世紀前の話である。
△繪畫が一の粧飾とのみ見られてゐた時代には、額縁といふものも、粧飾的の意味に重きを置かれてゐたが、繪畫に畫かるべき題目が廣くなり、種々なる方面に行渡るに從つて繪畫は單に粧飾ではなく、人生に必要なものと認めらるゝに至つて後は、額縁の任務の上にも變化のあるのは當然であらう。
△美術館の如きは、繪畫の爲めの建築であつて、中に陳列すべき繪の調子によつて、建物内部の装飾をなさねばならぬ。欧米の名族富豪の類は、必ず自己邸内又は住宅の一部に繪畫陳列塲がある、名族は先祖代々の肖像を集めた一室を有し、富豪は名家の作を蒐集して、採光の充分なる美術室を持つてゐる。
△ある種の蒐集家は、古大家のうち、自己の好む一人又は二三人の作を集め、其大家の名を冠した室を有し又は現今の大家の作を集め、其陳列所は、其繪の作者に自由の装飾を爲さしめて樂しむでゐるのもある。
△如斯は、繪畫が主どなり建築が從となつた塲合であるが、現在多くの繪畫需要者は、ヤハリ既に在る建築物の中ヘ繪畫を持込むのであるから、繪畫の額縁は、單に繪畫そのものばかりでなく、其飾らるべき室に向つても多少留意せねばならぬ。
△繪畫は額縁とシックり合ふても、それを陳列する展覽會場の幕の色によつて、忽ち調和を破壊されることがある。用心深い畫家は、會塲の明暗、光線の方向、及壁や幕の色を出品前に調査するのが例である。
△額縁は畫家の嗜好によつて、華車なるもの鈍重なるもの、各々其スタイルに相違があるが、多くは其畫風と關聯してゐる、そして大概調和するのである。
△アメリカの各所で開かれる展覽會を見ると、其額縁は中々贅澤なものが多く、實際繪畫よりも縁の方が目を惹く。また市中のアートストアなどに徃つて見ても、金ピカの巧に彫刻した額縁が澤山ある。日本でも横濱の輸出業者の店ヘゆくと、浮彫や透し彫の手の込むだものを屡々見かける。
△然るに巴里へ往つてサロンを見ると、例外はあるが、多くは額縁は目立たない、生々しくピカピカ光る金色は殆どなく、皆艶消しや燻し金で、恰も額縁だけ古物のやうな感じがした、それで、額縁が國民性にまで關係のあることが知れやう。
△日本の展覽會も、近頃は額縁に深い注意を拂ふやうになつて、全然不調和と思はるゝものが少なくなつた。中には少しく重きを置き過ぎて、中味よりも額緑の方が高價であらうと疑はれるやうなのさヘある。
△十數年前迄は、一體に繪もマヅクはあつたらうが、社會の需要もなく、畫家の方でも額縁に金をかける事が出來ない、從つて古道具屋などから、鏡の古縁を貿つて來たり、建具屋に枠を作らして、金粉やぺンキを塗つて間に合せたのもある、水彩畫の如きは、單にマット、それも薄い大きな畫學紙ヘ貼つけて陳列したことさヘあつた。
△今でも年々の展覽會に出品した繪は、幾枚も賣れないので、新たに縁を作ると、幾度もそれを使用せねばならず、偶々變つた寸法や變つた形式の縁が出來ると、それに合ふ樣な繪を態々畫くといふ次第で、額縁は繪畫の爲めでなく、主客顛倒といふ有樣を見るのである。從つて無理が出來て、往々繪と調和しない縁が、展覽會に現はれるのは此理由によるのである。
△額縁の材料は、何かといふと、心は多く木であつて、乾濕に狂はぬものを選ぶ、時として金屬を用ふることもある。細工は木を直かに彫るのと、石膏を着けるのとある、砂目と稱して鋸屑などを附着させるのもある、それを木地の儘なり、金銀黒白、其他各種の色で塗り、又は箔を置くのである。
△額縁の形状は、元よりそれを入るべき繪畫によるので、長方形が善通ではあるが、肖像畫の如きは、往々圓形若くは橢圓形のものがある、また景色或は人物畫には、方形のものも少なくは無い。其幅の如きも、一二尺の廣きもあれば、僅かに二三分の細きものもある。
△繪畫と額縁との調和は千態萬状で、中々説明の出來るものではない、こゝには水彩畫について、私の經驗を少しく語らうと思ふ、色彩調和の理論上から言ふのではない。
△水彩畫の縁は、普通細きものが調和し、また人も好むやうであるが、叮嚀に畫かれた(スケッチ風でない)もめ、重い油繪風の繪、深味のある繪などは、マットなし縁に直接の方がよい、此場合には、縁の幅は廣い方が調和する。
△時として、三四寸の繪に五寸もある幅の縁をつけて、よき調和を得ることがあるが、多くは其繪の幅(狭き方)の三分の一位ゐなら間違はない、即ち、幅一尺の繪なら、縁の幅を三寸位ゐに見るので、繪が大きくなるに從つて、幾分か割合を減じてもよい。
△一尺幅の繪に五寸の縁といふやうな、繪を二分した幅と同一になる時は、不調和の感がある、また、一尺の繪に二寸位ゐの幅では、ミスボラシクなるから、是また避けなければならぬ。
△マットなしの縁には、繪に接した處に、歯と稱して、斜に内部に削られた枠が入る、この枠は必要である。歯の幅は、縁の幅の三分の一乃至四分の一位ゐがよく、これも縁の幅の二分の一では見た處が惡い。また其傾斜の度は、二十度から二十五度位迄がよい、あまり急では狭く見えていけない。
△額縁其物がどんな色でも、歯の色は金がよい、箔を置たものよりも、粉の方が大概の繪に調和する。また其色はあまり暗くない方がよいやうである。
△額縁の色は、普通金が多く用ひられ、稀には銀もある、白、鼠又はオリーヴなどもある、各種の色の混用されたものもある。木地には、神代杉、薩摩杉、栗、シヨージ、槻などの色つけもある。金色にも種類が澤山あつて、箔を置くもの、燻せしもの、粉を塗つたものなど。各色を異にしてゐる。
△箔を置いて、明るく光りの強いものは、多くの場合品位が下つて見える、歯や、又は模樣として嵌入された細い線などの光つたのはよい、全體が光つては繪の調和も面白くなく、又壁との調和も必ずよく無い、此やうな縁は、展覽會場で海老茶の幕とは反對色で、注意を惹くけれど、普通の家ヘ置のには不調和の感がある。
△黄味の勝つた金色はよいが、青味を含むだのは繪によつて害を受ける、赤味の強い場末の床屋の鏡の枠のやうなものは、絶對に用ひぬがよい、最も九金や十金のやうな、銅を含むだ金色の光澤あるものは、細縁に限り面白い効果もある。
△箔置きでは、木の杢目を現はして模樣とすることが出來る。この場合には、槻やシヨージ、栗のやうなカタ木がよい。
△砂目は光澤を消して上品な感じを與へる、日本室などにも調和する。
△金縁といふと、兎角仰山な模樣があるものが多いが、水彩の縁はアッサリした方がよい、外縁か、又は歯と額面との間に、細い木の葉や唐草模樣でも石膏で置いたらよい、四隅に簡単な模樣を置くのもわるくはない。
△繪が複雜なものなら縁はいよいよ、簡單にありたい。繪が極めて簡單なら縁は多少の複雜を許してもよい。
△形には凸、凹、斜面、平面、ナマコ等、種々ある、何れ繪によつて工風しなければならぬが、ナマコは平面のものよりは狭く見える代り、オトナシイ心持がある、斜面は肖像などにはよいが、水彩には不向である、同じ斜面でも、内部に削げたのでなく、外部の狹くなつた方がいくらかよい、現今では、多く平面のものヘ氣の利いた唐草模樣の一筋も入つたものが用ひられてゐる。
△白若くは鼠は、繪によつて金縁以上に引立せる事がある、何れも平に塗つたのと、タヽキとあるが、タヽキが廣く用ひられる。鼠といふても、明るいものに限るので、寒い暗い色は喜ばれない、調和する繪は、暗い繪か、紅葉のやうな暖い色の多い繪で、夏の綠などには適當しない、何れかといへば華やかな繪がよい。暗い繪といふても、あまり暗いのでは、白との反對になつて、却て何が畫いてあるか解らぬやうになる、此際は鼠の方が、よい、又は明るい金もよい。
△白色及淡い鼠の廣い縁は、日本座敷に不適當である、事務室や病院などの、白色の壁と來てはいよいよ不調和で、中の繪迄害せられる。
△木地では、神代杉が一番調和がよい。これなら日本建築の澁い座敷にでも無理がなく納まる、床の間などに懸けても宜しい。栗や槻の色付は、とかく下品になる、薩摩杉は明る過る、ワットマン四ッ切位ゐの繪なら、神代杉の二寸五分位ゐの平面縁に、一寸程の金泥塗の歯をつけたなら、大概な繪にも調和するし、又大概の座敷にも向くのである、たゞ此材料は、質が軟かなため疵がつき易く、展覽會などへ二度の勤めをさせるには不適當である。
△朱檀黒檀といふやうな唐木は、水彩畫の廣縁としては適當でない、繪が負けてしまつて調和しない、最も極細い縁てマットがつけば唐木でもよい。
△水彩畫の縁には硝子を入れるのが通例である、これは何も繪を透明に美はしく見せやうといふ意味ばかりではなく、褪色變色を防ぎ、外部から來る濕氣、煙、小虫の糞などの害を避くる必要から斯くするのである。
△マットの入る額には。繪と硝子との間に空間が出來るからよいが。廣縁では繪と硝子と密着する、すると濕氣など多い場合に、硝子の表面に溜つた水分は内部に吸集され、それが流れて畫面に醜くい斑點を殘すことがある。これを避けるのには廣縁の場合でも空間をつくらぬといけぬ。
△空間をつくる方法は、歯と額縁との間に硝子を挿むので、歯の厚さだけ間隙が出來る事になる、この場合には、繪は厚紙に貼つて置くか、又は歯に水貼にして置かぬと、雨の永く續いた時など皺が出來ることがある、但し裏板ヘ畫を貼つてはいけぬ。
△額縁に使用する硝子は、泡の無い、反りの無い、玲瓏たる無疵のものを選ぶがよい、部の厚いものには及ばない。
△次號にはマットと繪の調和及び、懸額についての注意を説明しやう。

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