寫生地案内
大下藤次郎オオシタトウジロウ(1870-1911) 作者一覧へ
三脚子
『みづゑ』第七十一
明治44年1月3日
東京を中心として、一日で往ける位ゐの塲處の寫生地を、毎號御御案内いたさう
冬は自然界の活動の休む時であつて色彩の變化が少なく、又東海道方面は好晴の日が續くから、五日一週間と一つの繪の寫生をなすのに都合がよい。たゞ此季節に於て、戸外寫生に困難を感ずるのは、寒氣と強風とである。
冬の日の感じは、弱いけれど落ツキがあつて、穏やかな繪が出來る。寫生地としては何處でも面白く、雪の景などは此季節に限られてゐる、併し一月のことであるから暖かな處をまづ紹介しやう。
一月の寫生地としては、伊豆方面が一番よい樣に思ふ。伊豆は天城手前もよく、天城を越ヘてもよい。東海首鐵道三島驛で大仁行に乗換ヘる、此間には遠く白峯も見え富士も見えて景色の面白い處もある。大仁驛近くでは、修善寺温泉が畫境に富むでゐる、氣候も大して寒くはなく、風も強くはない、桂川の流れに沿ふてゆけば、小さなスケッチ塲處はいくらでもある。修善寺の先に吉奈といふ温泉場がある。こゝは四方の山も低く、平凡で、且、水が乏しいから、氣に入つた塲所は見出せまい。私の紹介したいのは、それよりまだ先の湯ケ島で、こゝも温泉場ではあるが、風俗も修善寺あたりよりはよく、質素で吾々の滞在に適する。天城山麓で、あまり風は吹かない。南伊豆のやうに暖かではないが、手袋襟巻なしで夕方迄戸外寫生は出來る。材題は、まつ第一に目につくのは、黄に輝やく枯草山で、次は狩野川の渓谷の水である。枯草山は往々高原を成してゐて、富士を遠望に、廣濶雄大な景を見る、また一里程上れば海も見えて、一層壮大の觀がある。
是等の草山には、所々草の塚があつて、中心の棒は高く、三三五々風情をなし、西日をうけた影など、特に面白い。川には大小の岩もある。激流も緩流もある。落葉樹の林、常磐木の森もある。風致ある竹藪も、趣多き農家もある。温泉宿の立並ぶ中を、高く架つてゐる橋も畫中のもので、道路山水も二三枚は出來やう。
暖かい處だけに、椿は紅ゐに到る處目につく。下流五六丁をゆくと、景色が廣くなつて、田甫の枯草など、好畫題に數ヘることが出來やう。天城山さして上けれは、塗中浄蓮の瀧かある、形のよい瀧で、冬見ても惡くはない。山麓の平原は、處々杉の森があり枯野の一筋道を馬や牛が通つてゐる。
湯ケ島から二里、天城山中には八丁池といふのがあつて、冬は一面に結氷で閉ぢられてゐるが、其光景も中々面白い。
湯ヶ島には宿屋が澤山ある。瀬古の湯の方ヘゆけは、僅かな費用で滞留することが出來やう。落合樓、湯本屋などいふ、此地一流の家でも、一日六七十錢で居られる。