寄書 水彩畫に志した動機と寫生に失敗した原因
高原英二
『みづゑ』第七十一
明治44年1月3日
今より二年程前に大阪博物塲に於て松原天彩畫塾主備の洋畫展覽會を見物した、抑もこれが水彩畫の趣味を深からしめた基となつたのである。僕はもとより繪は極好きで、常時は中學世界或は丈章世界等の雜誌中の水彩畫の口繪を二百枚餘りも集めて研究をした、其後三越呉服店内にて白馬會或は太平洋畫會等の展覽會が開會された時には、二三度は必ず行つた、而て諸先生の肉筆を拜見する度毎に益々興奮した、其後一年半餘りも靜物寫生或は模寫等を研究したので、これなれば郊外寫生も出來るだらうと思ひ、これに必要なる諸道具を求めて郊外にと一歩奮發したのである、扨て、此等の道具を携ヘていかにもスケッチマンらしい顔をして我家をふみ出して見たが、幾度も失敗に終つて進歩したる畫が描けなかつた、其の失敗の主なる原因を思ひ浮ぶれば、第一、寫生すべき塲所を撰ぶに永い時間を消す事第二、原色全體の色合を容易に見出す事の出來ぬ事。第三、寫生をして居ると、多くの書生やら、はなたれ子供や、たご作やら、人の集つて見られる事。第四、手がふるつて筆が自由に動かぬ事。第五、一枚の畫を仕立るに五六時間も消す事、此等が僕を失敗に導きたる原因であると考ヘる。斯の如く幾度かの因難を冒して、、今日ではやうやく二年前の畫よりも、遙に勝つたスケッチ畫が出來る樣になつたのである。其で二週間程前の日曜日に、正午より三脚を友として出かけた。目的は初冬の風景を寫生する爲めなので、空は晴快にて、遠景は小なる森、中景は淋しき柳と土橋とで、近景は靜かに流るる小川の水に、美しき柳と土橋の影がうつッて居た此のスケッチは今迄なき好成績で仕上ったので、非常に其日はにこにこして歸宅した、歸宅するや、直にその畫を額縁に入れて見たら、一層感じが深く見えたので、其後朝夕眺めては樂しんで居る。スケッチに成功した時の嬉しさ愉快さは眞に忘れられない。