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『みづゑ』第七十一
明治44年1月3日

□本號口繪『奈良の町』はワットマン十六切大のスケッチに候
□『巴里の河岸店』は大さ不明に候得共、あまり大なるものには有之間敷候
□『湯ヶ島』は昨年一月の寫生にして、八寸に一尺二寸大に御座候
 口『明石の宿にて』は同地滞在の一日、族館の床の間の花を寫せしもの、原畫もあの位ゐの大さに御座候
□次號の原色版は大橋正堯氏の『天城山麓』、瀧澤靜雄氏の『雨後の夕暮』、及他に一枚を挿入致すべく候
□日本水彩畫會々友規定の一部を改正致候。それは、會友提出の批評畫は、毎月三枚迄の定めなりしを、隔月三枚に改め、批評の月を一、三、五、七、九、十一の年六回と致候
□かくの如きは、毎月必ず作品を提出せらるゝ、二三の篤志家勉強家にはお氣の毒に存候ヘ共、會友の増加と共に、評者の手許に集まる數非常に多く、爲めに一ヶ月一日の定めなりしも、只今は中々一日にて濟み不申、隨而他の仕事に差支を生じ候間、隔月として二日間を費すことに致し候次第、あしからず御承引ありたく候
□會友諸君のうちにて、多少の手數料、又は會費を出すにより、三枚以上の繪を批評して欲しいとの御望みもあれど、元々繪を見ると申ことは金錢ヅクでは出來不申、諸君の進歩を喜ぶのあまり、毎月多忙の中の一日をさきて致せし譯故、右の如き御望みには、當分應じ兼候間、是又あしからず御承知下され度候
□巻尾會友名簿は、數月間『みづゑ』誌代の拂込なき方は、退會と見做し削除いたし置候、此際引續きお拂込被下候はゞ、會友の資格を複し可申候
□本誌前號は、原色版製版の都合上一日遲れ、製本また一日遲れ候ため、五日に到りて發送致候。遲着につき御心配相かけ候段恐縮至極に存候
□日本水彩畫會研究所例會は十一月二十七日開會出陳の繪畫百七十餘點、織田、藤島、永地、大下諸氏の批評ありて、望月省三、吉田豊兩氏賞を受けられ候

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