風景畫法[三] 融合
石川欽一郎
『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日
融合と云ふことは私の當て字である。まだ適當なる言葉が見當らぬので假りに斯う云ふ名を付けたのであるが。其意味は一の色の端と其隣の色の端とが互に相融合して全體の調子が落付いてくると畫面に空氣が現はれると云ふ譯である。
融合は云へば客観的の事柄である。之は人間の眼の働きが不完全である爲めに斯う見えるのであるが。學理上から云へば物の形は堅く明瞭であるべき筈だ。其誰據には寫眞鏡で見る形は皆判定と現はれる。若し機械が尚一層進歩するとすれば焼點など云ふことが無くなり隅から隅まで細かく判然と見えることになるだらうと思ふ。
併し學理上の事實はさうであるとしても美術上には之はまだ適用できない。畫家が畫をかくには實際に依るのではなく感じに依るのであるが、此感じは人間の眼に見える處に基くのである。それ故畫家から云へば。人間の眼の構造が寫眞鏡や顯微鏡のやうに出來て居らぬことは誠に難有い譯で其爲めに自然の光景は實に美しく見えるのである。若し實際の通りに見えたならばそれこそ無闇に細かく判然として少しも餘裕が無く迚ても溜らぬことになるだらう。
限の構造を爰で説明するの要は無いが眼が物を見る範圍と云ふものは餘程限られて居る。例へば直径四 尺の標的に空いて居る孔を六尺の距離に立つて正鵠を見詰めながら數へやうとしても出來ない。中心か ら一尺程の圏内ならば大抵は分かるが其以外に惘然として仕舞ふ。眼の兩端の邊へ來ると最早濛朧とし て何が在るのだか分からなくなる。
之れは古來誰にも能く分つて居ることでありながら今日まで誰一人として自分の眼の構造の不完全な ることを充分に悟つたものはないと云ふのも誠に妙な譯である。其一例を擧げてみれば。中々學問もあり 又た見識もある一紳士が嘗て論じて。畫家は青味勝ちの褐色とか鼠色を空の上へ塗り付けて之が木であ ると人に思へと云ふ。随分踏み付けにした談だ。私の眼には向ふの原に生へて居る木の葉は一枚々々克く 見える。私計りではない誰にでも皆さう見へるのであると云つた。
夫れで之が返答として、私は白い紙片を其木の枝に結び付け。其友人に十歩離れて紙片を見詰め乍ら葉を 數へて見たまへと云つた、處が友人は忽ち嘆聲を發して、迚ても駄目だ五十枚より上は數へられないと云 ふ。それでは他の木の葉はどんなに見えるかと聞いて見ると。段々ボンヤリして仕舞ふと云ふから。ソコだ 君にも少しは融合と云ふことが分つたらうと云つたことであるが。併しまだ此人には充分に會得が行か なかつたやうでもあり。又た私は眼に充分見えないのが寧ろ仕合はせで之が若し何百萬枚と云ふ木の葉 が一枚々々に見え。お負けに根元に生へて、居る草の葉から塵埃まで一つ残らず眼に這入つた日にはそれ こそ溜つたもので無いことを能く説明しやうとしたがドーモ分からなかつたらしい。
畫になる局面には尋常中心點がある。即ち畫家が殊に興味を持って眼を落す主要の部分であるが。之は右 に述べた眼界範圍の關係から其部分だけは外よりも餘程判然と見えるけれども段々端へ行くとボンヤ リとして仕舞ふ。之が即ち融合と云ふもめである。既に眼にさう見える以上は手も亦其通りに畫かなけれ ばならない。
併し★に又別の見解がある。例へばホイッスラー式の見方で眼は一定の箇處には止らず全體を萬遍なく見て其通りに描く。ホイッスラーの遣方はこうであるが之は融合なるものが畫面全體を通じて一様に散つて居る譯である。ホイッスラーが早くも此點に着眼したのは流石は大家であると云へやう。其畫には感興溢れ人を引付ける如き力あり詩的の興味盡きざるが此人の畫の特徴である。
勿論此頃の美術家は皆多少は此融合と云ふことを心得て居る。此趣の無い畫は審査員がドシドシ跳ねて仕舞ふから仕方がない。詰り固い端のゴツゴツした空氣のない畫では通用しない。例へば木蔭から漏れる空の色を廣い空の部分と同じ色で塗る畫家は此節では一人もなからう。斯う畫いたのでは木蔭の空のみが著るしく光つて仕様がない。此場合には餘程調子を下げて畫かないと全體の明暗が出會はぬのである。
之も融合の理に依ることで眼に見る處と實際とは必ずしも同じで無いと云ふことが分からう。實際には木蔭から見える空も他の部分の空も同じ色に相違は無い。併し周圍りにある暗い木の葉の爲めに融合が起つて光を弱め調子を落付かせるのである。
融合に就ては今日大抵の畫家は既に承知もして居り叉た其作品にも此關係が現はれて居るのであるが。然らば此融合なるものは如何なる邊にまで其關係を及ぼすものであらうか。之を畫上に應用するに於て如何に處置したならば宜いかと云ふことに就てはまだ充分分かつて居る人が尠ないやうに思はれる。夕暮の空に暗い大木が立つて居る様な場合には空の光は暗い木の爲めに強さを減じ。又た木の暗い度合ひも空の光の爲めに強さを減ずるものである。木の一番暗い處は中心の部分だけで他は空の光りの爲めに段々薄くなるやうに感じ。其反對で空の一番明るい處も其中心の部分だけで餘の部分は暗い木の爲めに段々光を弱めるようになる。之は融合の關係に依ることで。光は暗きに感じ又た暗きは光りに感じる。斯く双方から互に相融合するものであるが。畫をかくに當つて此原理を細大漏れなく適用したが宜いか如何かは勿論研究を要することである。畫家としての務めは何にかと云へば。自然より來る感興叉た其場合の印象及び詩的趣昧などを畫に克く現はして觀者に示すのであるが。之を爲すがために強いて無用の困難を招くにも當らない。畫家は畫くべき目的に依つて用不用を巧みに取捨して爰に傑作を得るのである。之に就て思ひ起こすのはコローの作品であるが此人の詩的趣味ある畫と來ては實に獨歩と謂つても宜い。右に云ふ用不用の取捨が遺憾なく巧みに行はれて居るのを見ることであるが之は畫家は誰でも此心得で居て差支へはなからうと思ふ。適當の取捨を加へた方ががの美觀を増すとか特別の趣を加へるとか云ふような場合には躊躇せず斷行しても宜からう。
夫故此取捨と云ふこと。尚又た融合の理などに就ても種々研究したる結果深く悟る處は。廻はりをボンヤリと畫くような古い仕方は姑息の手段のように思つて居たが之にも何等かの眞理はあることが分かる。
物が眼に映つるのは中心即ち焦點の邊は明瞭に見えるが廻はりは段々惘然として來る。いま寺の塔なら塔を見詰めると爰が焦點になるから廻はりは段々惘然とする。眼を塔から動かさずに只だ心の中で廻はりの部分と中心の塔とを見較べると中心から遠ざかるに從ひ明暗色彩の調子が弱くなることが能く分かるのであるが。此點に着眼した十八世紀の畫家は將さに當を得たものと云へよう。只だ之を餘りに慣用的手段とした爲めに終に平凡鄙近に陷入つたのは遺憾である。要するに畫は端の方を中央の様に強く畫くことは無いのであるが大家の傑作などに就て見るも之が巧みに利用され。其結果誠に嘆賞すべきものがある。ミレーの『羊飼ひの女』の如き。廣く深い感じが克く現はれて居るが之は主として右の方法を微妙に應用したる爲めであらう。
以上は主に明暗に對する融合の關係を述べたのであるが。色彩の方にも亦融合と云ふことがある。其働きは色彩の科學的作用と餘程密接して居て反對色が直ぐ感じるのである。私は或る日燃ゆるが如き日光を浴びつゝ河船の白塗の甲板に立つで手には紅色の切符を持つて居たが其切符には四角形の鋏の孔があいて居た。此孔から覗いて見たが後で切符を傍の友人に渡して。此孔から覗いて見給へ甲板の色はどう見えるかと聞いた處が。其友人一寸覗いて。不思議だね鮮やかな緑色に見えると云ひ乍がら切符を眼から放して現場の白い色と見較べて居た。
尤も之は極端の場合である。強い紅色と烈しい日光との作用から、斯う云ふ現象を起したのであるが併し何時でも此働きは多いか少けないか必ず現はれて居るのである。例へば人物を畫くに當つて赤色のバックを置いてモデルを坐はらせると肉色が緑色の調子を現はす。叉た鮮やかな青色のバックを着けた肖像畫と云ふものは畫かない。之は青色の反對色は黄色であるから肉色が餘程黄色味か帯びて見えるので誰でも異議を提出するに違ひないからであらう。
かう云ふ譯であるから糟具の本來の色と云ふものは一度びチューブから絞り出されると最早確固たろ存在が無い。周圍の變化に伴れて始終變化するのである。古人の名畫とても亦此理に漏れぬので之を懸ける場處に依つて引立ちもし又た見劣りもする。
勿論色の調子を弱はめれば融合の働きも亦弱くなる。風景畫の方では元々實際よりも色を弱はめて畫くから融合が著るしく感じることはない。併し前に述べたコローが風景の中に紅色の帽を被った農婦を付けるなどゝ云ふことも之が爲めに其微妙なる綠色の美が一層引立つからである。人物畫家には融合の理を知つて居て大に益する處があらう。色を純粋の儘一寸着けたのが非常なる光彩を添へることはモンチセリ或はフランク、ブラングウイン叉た最近にスパニヤド、ソロラなど云ふ畫家の作品が之を證するのである。
融合の談はいくらしても盡きるものではない。餘り長くなるから此邊で止めることゝして最後に描法の上に就て一言して置きたいことは。物の形も慥であり運筆も自由に面白く行って居て併かも融合の働から來る感じを遺憾なく現はさうと云ふにはどうしたならば宜いか。之れには只だコローとホイッスラーの二大家を能く研究して其遣り口を學ぶより外に途は無い。即ち物の端の方へは段々と調子を弱めて行く。
最後の筆は確りと能く働いて併かも堅くならぬよう注意し。又た外光を現はさうとして原色でかく場合ならば。初めの下塗りを此考へで綿密に且つ充分注意して畫き最後の運筆に縦横の敏腕を振ふやうにすれば面白い畫が出來ること請合であろう。(バーヂ、ハリソン稿)