ポスト、インプレショニスト畫派に對するタイムス評
石川欽一郎
『みづゑ』第七十二 P.20
明治44年2月3日
目下佛國に於ける最新畫派なるポスト、インプレショニストに就て近著の倫敦タイムスに左の如き評を載せたり。
ポスト、インプレショニストと云ふは適當なる文字見當らざるゆへ假りに付けたる名稱なるが、此畫風は既に數年以前より巴里に於て評判となりしものにて、今回斡旋者を得てグラフトン美術館に於て堂々と其作品を展覽するに至れり。
目録に載せたる主意書は中々の名文なるが、其要に曰く『同派の作品は單に美術と云はんよりも寧ろ之を論理的美術と稱すべく、現代に於ける最も研究を經たる美術なり』云々とあり署名者なき故之は委員全體の意見なりと見て然るべく、委員の顔觸中主なるはロージヤー、フライ氏なり氏の如き有力家が此種の會合に其名を列することは、世間の附和雷同の批評家をして是等畫派を稱賛するに至らしむる恐れなきに非らざるなり。
斯る批評家に對する豫防として予輩の所信を表白し置くの要あるべし、却ち此種の畫風は元々反動的現象に過ぎず、趣旨とする處は單純にありと云ふも、此單純とは既往の大家が研究の結果なる練磨の妙處を悉く放棄し叉た再び最初より遣り返へして、子供が止めそうなる處にて止めて仕舞ふと云ふ意味に外ならず。
主意書中にポール、ゴーグアン筆タヒチ島の風俗に就て述べて曰く『之を書くには最も單純を旨とし、以て初期時代の繪畫に見る如き動作と性状の特徴とを其人物に表はさんと苦心したり』云々とあれども、予輩は如何にするも氏の作には斯る初期時代の特徴を見出す能はず、銅色のタヒチ島の女が寝臺に俯く向きに横はり、腕の邊や手の指にも難あるに於て、初期時代の妙昧何處にありや、眞の初期時代の美術は無邪氣なるによりて面白し、之は考へ過ぎたり、過去に於けるゴエテの所謂『研究の効果』を悉く放擲せんとするものなること、恰も政界に於ける虚無黨の如く、此畫派は文明の貢獻せる長所を捨て短處を探て之に代へんとは爲すものなり。
獨り此作家のみならず、此畫派の會員には他にも亦變はり者尠なからず、尤も之は畫派と云ふ程のものなりや否や、それは兎も角モーリス、デニー氏の如きは、ピユビー、ド、シヤバンヌを眞似て態々拙く畫けるオルフェーを出し、叉たオデッセーより題を取りたる二圖の如きは、奇態なる淡紅色の岩石に人物を配したるものなるが、此人物には幾分面白味なきにもあらず、尤も此會場にて幾分面白味なきにも非らずなどゝ云はゞ奇異に感ずる人もあるべし、此畫派の最終の目的は只面白味にあり、面白味あればこそ人も此高を見る譯なるが、主意書に云へる「現代の理想」とは先づ此邊の意味ならんも、併し之は畫家の爲すが儘にて少しも局外者の嘴を容るゝを許さずと云ふ其理想のことなるべし、嘗ててテオフィール、ゴーテアの時代に於ける諺にも『美術家の日的とする處は人を驚かすにあり決して喜ばすべきにあらず』と云へるに非らずや。