寫生地案内
三脚子
『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日
二月は一年中の極寒い時である、このやうな時に風でも吹かれたらトテモ戸外寫生は出來ない。東京近處は山が遠いので、此風はいつも吹通しである。暖かな伊豆駿河は當分毎日西風の唸り聲をきかない譯にはゆかぬ。こんな時は山懐ろへ逃込むのに限る。
青梅附近の景色の一番よい時は秋で、其次は春、水があるので夏もよい、冬は他の場處と同じく格別取り柄はないが、たゞ北に山を負ふてゐるので、冬も強い風は吹かない。半里離れて新町小作邊へゆくと、砂煙りで火事場のやうな時でも、青梅から日向和田邊は木の葉も動かぬことがある。
新宿から二時間半、青梅の停車揚で汽車を下りたら、まづ北斗山へ登つて見たまへ、山上のことだから風は吹くかもしれないが、このあたり寫生地の形勝が一目で分る。
青梅鐵道から出た遊覽案内に北斗山の記がある、長いけれど全交をのせる。
北斗山 汀鴎
今日はまことによき元旦に御座候、天氣は快よく晴れわたり、雲なく風なく暖かにしてはやくも春の心地いたされ候。まづ金比羅山へと志し申候、停車場の先より鐵道の踏切を越へ、小學校の前より登るべく幅廣く峻しからぬ一筋の道有之候、幾度か曲り曲りて三四丁程にて本社のある平地に出で申候、こゝには松櫻などの古木十數株ありて風致よろしく、また眺望も趣めて壯快に御座候、東の方は所謂武藏野にして一望際限なく、挾山の丘陵僅かにホライゾンに變化を與ふるのみ、やゝ北によりて薄紫の筑波を朧ろげに見とめ得べく候。南は銀の糸を亂せる多摩川の流れを隔てゝ遠く八王子方面の低き山々連り、西は甲斐相模にわたりて数十層の山叉山、濃く淡く重なりて、其上に凛として白き面を洒す富士の頂きを望み得べく候。本社の傍か通りて奥へと進みゆくに、雷火に焼かれし巨木の下に年古りたる北斗の碑あり、この岡を北斗山とよばるゝはこの碑ある故にもやと存せられ候、馬の背にも似たる細徑をたどりゆけは地は漸く高く、三丁程にしてこの山脈の第一峰に上り申候、足下には小さき松苗の幾株かあれど元より展望の妨とはならず、社前の眺めよりは一層遠く層廣く其景勝を双眸に収め得べく候。殊に爰よりは、北の方白雪まばゆき秩父日光の連山も見え申候、大觀! 壯觀!
東京を去る僅に牽里にしてかゝる勝地ありとは私の思ひ設けざりし處にて、停立數時殆ど歸ることを忘れ申候。物の色ことに淋しき冬にすらなほこの美あり、來れる途々櫻の木あまた見たり、春はさこそ長閑かに美はしかるべし、山躑躅少なからず、初夏の紅ゐ山は燃ゆるが如けん、尾花ゆらぎ桔梗ほころぶ初秋の月夜、木木も千草も衣の色かへる晩秋初冬の景色、やがては雪ふる旦のすがたなど、それからそれと想ひやるだに自ら心の助るを禁じ得ず候。
山を下リてなほ進みゆくこと一丁にして松林の中に秋葉の社有之候、やゝ急なる道を下りゆけば梅岩寺の境内に出でやがて町の中の人と相成候。さすがに一月のこととて、凧もちて 走る男の子、追羽子に狂ふ娘子も少なからず、たゞ二軒とい ふ寫眞屋も、今日を書入れと店飾美々しく、今宵初日の劇場 の前には繪看板に見惚れ居る人もあまた有之、お茶屋の二階 には三昧の音大鼓の響も賑はしく中々大陽氣に見受申候。(青 梅たよりのうちより)
山を下りたら千ヶ瀬の河原へ往つて見たまへ、そこには形の面白い水車もある、冬も暗い杉の森もある、清い水に架した風流な橋もある、青い水に影をみだす渡し舟もある、何れも好畫題であらう。川に飽きたら青梅の町裏を歩行てみたまへ、白壁の前の桐の木、寺の竹藪、坂道の上の藤棚、枝を集めて結むた桑の風情も面白い。町を離れて上流には天ヶ瀬といふ淵がある、暗く悽い水は渦を巻いて絶えず動いてゐる。萬年橋もこのあたりで、夕陽を見るに一番よい處である。御嶽、大嶽秩父の山々はこの邊の河原から一番よく見える。
青梅町から十余丁にして日向和田にゆけば、更に新しい畫題が見當らう、寫生箱を携へて一週間位遊ぶには實に適當な場處である。青梅の宿は、住吉神社の下に坂上といふのがよい、町中には高田屋といふのもある、若狭屋は第二流だが、隣室で三味線の音がするのを覺悟の上でなくては泊れぬ、日向和田では萬年屋一軒だけて、三脚を持つてあるく人には何れも一日五六十銭で賄つてくれやう、不案内の人ば同地鐵道會社に鵜澤氏をたつねて敎へて頂いたらよからう。