靜岡冬季講習會の記


『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日

 講習會は夏季にばかり開いて寒い時はどんなものであらうと思ふて居たが、靜岡地方は冬でも暖いので差支なからう、殊に夏季にばかり出席した人でも異つた冬季の講習は又利益がないでもあるまい、兎に角三人でも五人でも熱心な人が來て呉れゝばそれで充分だと云ふやうな考から、大下師にもお願ひして、一月の三日から七日迄靜岡市で開催することにしたが、結極開會迄に七十八名と云ふ大多數の申込者のあつたには、主催者も豫期しなかつたところである。、遠きは廣島、岡山、大阪より、岐阜、三重、愛知、静岡、神奈川、千葉、埼玉等からの人々である。其中事故缺席者を除き實際の出席者は左の諸氏である。
  深澤 信 菊地哲也 伊藤義勇 北川貫三 和田章五川島 水一 榎谷徹藏 川合改二郎 山田經麿 島崎 清 綾部小 一 高梨惠治 鈴木憲一 小野松吉 大塚眞治 伊藤和夫 北村不二松 田邊琢爾 丹羽義久 豊田準次郎 山本廣治 加藤一松 鼎佐久間三千枝池谷信治 高橋七郎 關根助重郎 渡邊六郎 中山末雄 富田圭五郎 内藤勘司 長尾一平 加藤治躬 村上平四郎 志村金作喜多寅助 白 鳥吟子石井眞峰清水茂三郎小山修一福澤清一郎小 川信太郎 山本正雄 八木鐘之助 志村文藏 矢田英一 岩 壁三郎 原川誠一郎 鈴木徳英 町田啓次郎 服部四郎 瀬 川貞吉 小林 鋭池谷佐一郎 幡鎌雄一郎 稻森松太郎 寺田十二 古田勝一郎 武村徳松 保田謹吉 後藤正遺 深 尾研子 平田庄太郎 庄司甲一 以上
  外に會員外として竹内久子
 是等の人々で、多くは中小學教員學生實業家などが大部分を占めて居る、無論夏季の講習會にも出席した人々もある、右の中富田、川島、島崎等の諸民を煩はして雑多な用務を處理して頂いたのは特筆して大謝するところである。
  時は新年早々であり、多くの人々は炬燵でも擁して屠蘇の醉でも買つて居る時、是程の人々を會してかやうな美しい會を開くと云ふことが出來たのは實に愉快なことであつた。五日間の問半日程雨が降つただけて、野外寫生が出來ぬと云ふやうな日は一日もなかつた。三日の午前九時城内物産陳列舘樓上に開會式を擧け、開會の辭が濟んで、大下講師の一場の談話があつて、講師等の作品を陳列し、直ちに實技に移つた。此日から特に大下講師の外、日本水彩畫會の先輩赤城泰舒氏が助手として來られたので、會員指導上大ゐに好都合であつた。又大平洋畫會員にして日本水彩畫會研究所の講師たる永地秀太氏が二泊程講師として來られ、大ゐに盡力せむれたのは多大の稗益があつた、殊に油畫に趣味を持たるゝ人々には一層参考になつたこと、思ふ
  會場の都合で、午前に靜物をやつたり午後にやつたりした。野外寫生の出來る人々は朝からそれのみやつた人もある。靜物は書籍、橙の實、ビール壜、コツプ等で、背景の布は重に白を用 ひた。墨畫のみやつた人もあつたが、殆んど皆色を用ひた。靜 物は一般を通じて好成蹟であつた。
  戸外寫生は、重に欝蓊たろ木立の中に神寂びたる宏大な建物 を有する賎機社内であつた。無論社閣樓門石燈籠などを描いて も望みなものがあり、森や樹木や石磴水屋などを描くにも實に 豊富なものである。其他城内内濠。安倍川原等であつた。叉 四日目は三保岬へ一同遠足寫生を試みた。此日は雨上りで風が 随分強かつたけれども、空はよく晴れて富士の秀峯は雄大な容 姿を表はし、白砂青松の問に數十名の人々が高架を据へて終日 畫筆を揮うたのは、慥にある印象を一同の人々に與へたことゝ 思ふ。此往復に二臺の輕便列車を買切り、清水灣を三保迄への 往復は乗合船四艘であつた。これだけの畫描きを此地方に集め た事は恐らく空前のことであつたらうと思ふ。
  夜間は一晩も欠かさず大下講師の熱心なる講話があつた。一時 間半或は二時間、時には三時間に陟る講話もあつた。兎に角先 輩が敷+年にわたる多くの経験を後進の爲めに一切傳へらるゝ のである故、實に此講話は聽物であつた、多くの人々が一年二 年の間に苦心してもなかなか發明の出來ないことが多いのに總ての發明や経験や薀蓄やを傾倒さるゝのである故、會員の爲め に益したことは多大なものであつた。殊に色彩に付ての細な説 明は、到底自己の發明や經驗の及ぶところでなかつたと思ふ。 何にしろ五日と云ふ短い期間であつた故、講師も一時間の休養、 さるゝ間もなかつたし、會員諸氏も随分忙がしかつたことゝ思 ふ。けれども、此短い五日間が諸氏を益したことの尠なからざ りしを思ふと、此會も亦徒爾なものでなかつたと信ずる。
  終りの日の午後は、會員一同の作品約二百點を、陳列舘の樓上 に列べて、大下講師の切實なる批評があつた。そして大下講師 其他先輩諸氏の作品數十枚を陳列して會員諸氏の爲めに參考に 供した。
 講習會も、會一會と進歩の經蹟を示して來るのは頼もしい。
 五日間と云ふ日は矢の如く過ぎて、此夜合宿所に送別を兼ねての茶話會を開いた。富田氏を初め、會員一同の隠し藝は最も面白ろかつた。歡を盡して散會したのは十一時頃であつた。
 此講習會が、いつも和睦親善を盡して、厭ふべき風聞一ッも耳にしたことのないのは密かに誇りとするところである。兎に角主催者として自分が萬事、不行届であつたにもかゝはらず、相 應の功果を以て無事平穏に終を告げしめたのは、大下講師を初め、永地赤城の兩氏、及び會員一同の人々に深く謝すところである。亦講師及び會員諸氏も、無論満足せられないことのみ多かつたらうと信ずるが、何分の御海恕を得たい。自分は必ずや或る時を期して、再び諸氏に會する時がないことはあるまいと信ずるので、それを樂にして居る。左様なら (畔川記)
  終りに涖んで、本會成立の爲めに保助された上木、島崎、伏見、小泉其他二三の諸氏の勞を感謝する。

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