通信


『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日

 拝啓近頃は随分寒くなりました、寫生に出るのに何だか工合が悪い様ですが又冬枯の景色にいふにいはれぬ寂びたよい感を味ふ事が出來ます。
 先生、私は此間十二月の一、二、三日の三日間を京都で暮しました、そして岡崎で開かれて居る文部省の美術展覽會を見ました、二日間之れに費しました。
 先生、私共田舎者のなさけなさには從來展覽會といふものはさう澤山見た事がないです、在學中にまるで駄目でしたが去年の秋大阪三越で白馬會の展覽會を見本年は仝所で太平洋のを見ましたそれと今回とで都合三回見たきりてあります、從ふて見聞が少ない、でこんな田舎者が批評なんて生意氣すぎるですこんな事は誰にでもいふのではないたゞ先生にだけ申上げるのです、私の考が間違つて居るかどうであるかを聞いて貰へれば結構と思ふて少しく厚かましいと思ひましたが以下に小生の考を申上げやうと思ひます。
 今度の展覽會に於て私は日本畫の大作を初めて見ました、私は、まだ日本畫の眞の大作(私が感心した)といふものは多く見なかつた、――たゞ高野山で一二、奈良の博物館法隆寺の壁畫等―ため日本畫といふ考がなかつたが今度初めて其多くの大作に接し流石は東洋美術國固有の繪畫だけあるといふ事を感じました。
 併し私には、「投げ扇」「冬のまとひ」「孔雀山」「たはむれ」等の畫に於ては何等の美をも感じ得ぬのであります。
 これ等の繪を見るとウスペラな田舎の舞子が白粉をペツタリつけていやなハデな風をして居るのに出會ふた様な感が起ります、仝じ日本畫の中でも、「夕月」「琵琶行」「炊煙」等を見ましては行きつもどりつしました、あの琵琶行の女の顔、充分憂をおびた、寂びた顔周圍の色彩すべてが私の考としつくり合つた様に思ひます。
 九浦氏の「辻説法」の色彩等も心持がよくありました。
 先達つて太平洋畫會を見た時に水彩畫の多いのに驚きましたが、今日のはさゝいふ多い中からよいのを選り出したといふ感が起りました。
 水彩畫の中では、「植物園」「戸山の原」の畫の中あゝした畫ではどうしても私の。考にそつくり合ふといふ事が出來ぬ、無論主觀的であります。
  作者の主觀と私の主觀とが一致せぬまでゞありますが私の考ではあゝいふ取材ではどうしても私の美的情操を満足さす事が出來ないのであります。
  「若松」「靜けき夕」「清流」「日沒後」等に至つて何だか自分のかう一生懸命に探しあるいて終に見出す事の出來なかつた自然を、また、考へ乍らも現はし得ない風景を作者が自分に代つて紙面に表はして呉れたかの様に思ひました。
  此に於ていひ知れぬ‥‥先生が汽車中から白峯を見て思はず身が慓へたといはれた様に――感に打たれたのであります、就中「若松」に至つては先生の御批評の如く前途有望な作者と同様F其感じが如何にも若松らしいあの柔かいレモンヱローの感じが何ともいへずよく思はれました「靜けき夕」もかう上品な感が起つて來ました。
 水彩畫の二枚の人物畫を見まして前途は頗る遼遠なものだと思ひました、併し「燈下」に於ける耳の下の方の燈火の感じが一種の力があると思ひました。
 私は油繪を見まして此所に一つの疑を生ぜずには居られませなんだ例へは、「道成寺」「巖壁」「厨さき」「九十九里」等のつまリネイモーな畫であります、私は日本的なる淡白な主觀に捉へられて居るのかも知れませんがネイモーもよりけりにて、「道成寺」等は停車場にかゝつて居る三越やたかしま屋の廣告と撰ぶ所がないと思ひました「停車場の夜」―(實物は見ませんが)―をかいた作者としては、何故に今年あんな畫材を撰んだかを疑ふのであります、油繪でも眞山君の「湖畔、」山下氏の「靴の女、」の前でも如何にも心持よき感が出ました。
 之等を前者と比較しまして前者は果して何所に美といふものを見付けてあるのでせうか、無論作者の主觀だからどうでもよい様なものゝ其所に何等か共通の情操があるだらうと思ふです、私が有する情操の中にも一般の人に共通な或る物を含んで居るだらうと思ふです其私の情操をもつて何等の美に打たれない畫が果して萬人に美を感じさす事が出來るかどうかといふ事を疑ふのであります。
  同じネイモーでも吉田博先生の「溪流」中澤先生の「思出」岡田先生の「ひなた」等には或る一種神秘な寂びた、色彩が含まれて居る樣に思ひます。
 小さい畫で永地先生の「つれづれ」、これが又よい感をしました、「黄菊白菊」よりはたしかによいと思ひました、此の畫の顔の影の色と、水彩畫の人物畫に用ひられてある色彩とを比較して見ますれば何だか面白い樣に思はれました、水彩畫の方は一體に紫ぽいし「つれづれ」の方は黄色と赤味を帯びて居つた様に思ひます、併し私は「つれづれ」の方に於ての方が快感を感じました。
 京都に於ける水彩畫をかけてあつた場所も充分の余地もり光線も充分なり好都合の場所だと思ひました、書いて行きますればいくらでも書きたい事、聞いていたゞきたい事が澤山ありますが餘り生意氣すぎると思ひますからこの位にしておきます、どうか御笑ひ下さひませ、 高野山下の人
  大下先生、机下
 

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