寄書 三年以前の此頃

山桝大次郎
『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日

寄書
  三年以前の此頃 在高帥山桝大次郎
  b:私には此歳の初に當つて、三年以前の過去を追想し感謝せなけ ればならぬとがある、尚將來に於て猛然と立って努力せなけれ ばならぬ感じが起つて來る。私は三年以前は片田舎の小さな小 學校の敎員であつた、常に東京に出て何かやつて見たいと多く の希望を持つて居つた、けれども私の空想と實力とは互に常に 矛盾して居つて如何ともすることが出來なかつた、讀者諸君の中 には或はその境涯を同じくして居らるゝ方があるかも知れぬ、 私は生來繪をかくことはまづかつた、圖案と云ふこともよく知 らなかつた、勿論用器畫法も忘れて居つたが、禁じ得なかつた私の志望は高等師範が圖畫手工料を募集すると同時に東京へ飛 び出して、何んでも水彩畫會研究所の先生方から其節承つた『天 稟の才は先天的にあるものだけれども、常に絶へざる努力は天 才を作ると』云つた様なことであつた、私にはよく解らなかつ たが、只當時私は試驗の準備を一心不亂にやることで、研究所 の多くの先輦や 諸先生達に、圖案のやり方、透影畫透視書のこと、寫生の仕方の大體を習ひ、且つ懇切なる批評を承つた。
  仰せらるる通りに出來ぬから随分苦しかつたけれど、其理屈の 一部分丈けは解し得た。無論技術の方面は上達しなかつた、僅 かの日數と何分年齢が年齢であつたから、けれども受驗の際に はともかく有頂天でやつてのけた、その當年の試驗問題は、石 膏像の鉛筆寫生、林檎の水彩寫生、圖案は梅をもつて本の表紙 の模様、色は三ツの色の配合、用器畫は線の名稱及用途、或る 角柱の相貫體の透影畫と、五角筒の透視畫、其他體格試驗及口 頭試問とであつた。試驗を終つて國元へ歸つてから合格の報が あつたそのときは、兎も角非常に愉快に感じられた。現在今迄 かくの如くにして續くことの幸福を得たるのは、一つに先生方 の賜であると感謝して居るが、平凡から平凡に終つて行く様で 誠にすまないやうな氣がして居る。今年又我々の科を募集した につけ、或は私共と志を同じくせらるる讀者諸君がありはすま いかと思ひ、もしそんな方があるなら、こんなことは贅言で無 いと思つた。否我々と同じ方向へ進むべき志望を持って居らる る諸君に封して至當な義務だと信じたから、これを寄書した次 第である。

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