寄書 新年所感

島崎
『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日

 新年の所感と云へば、先づ松の内の所感であらう、今年は講習會の催の爲、私に取つて曾て例なき多忙の新年であつた。
 講習會の催は、丁度去年の九月、私が初めて比奈地様を、鷹匠町の寓居に訪づれた時に、芽を出し初めた。以來各地に往復通信の結果、ほゞ見込みが付いたので、大下先生とも相談が出來て、開く事に決定した。場所も靜岡と決めて、會場やら旅宿やらの準備に取りかゝつた。其間幾多の蹉跌はあつたが、兎に角大體の用意が出來たので、確か十一月だつたと覺えて居るが、印刷物を諸君に送つて、頒布勧誘の勞を御願ひした。其結果がなかなか盛んなもので、大晦日に六十何名とか云つた。明けて元日早朝から、先生を清水に訪つれ、日暮れて歸り、二日は會場の準備を爲し、先生を迎へ等して暮れ、愈開會となった。其時の喜は、到底拙き筆には述べ難い。それで、講習會の事が、全く結了して、我身に返つたのは、九日でみる、而も非常に忙しい講習で、先生も御疲れの御様子であつた。斯んな風で、實に目の廻る様な、正月をした。それでも門松は並んで居る、追羽子の音も聞えれば、カルタの聲も耳に入る、併し講習會が、例のオトッサン等の、御盡力で、先づ成功を以て終つたので、喜ひの感に堪へなかった。
 扨一方『みづゑ』を顧れば、昨年の七月以來、一段の發展をして、目出度越年の喜を謡ふ次第、指折り數ふれば、今年取つて七歳、そろそろ尋常の先生樣の御手を煩はさにやならん、そして大に勉強せにやならん。
  私は大下、永地、赤城、御三方に、御禮を申し上げ、はるはる參會せられた諸君の勞を謝し、講習會の成功を喜び、之を覗ふに付けても、『みづゑ』の新面目を愛し、此一年の活動、両將來の發展を、諸君と共に所る者である。未だ講習會に付いては、書き度事も澤山あるが、餘り長くなうと、文學上の何んとかは知らないが、感じが悪くなるから、此所らで止して置かう、おさらば。

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