寄書 寒霞溪寫生旅行

IY生
『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日

寒霞溪寫生旅行 IY生
  b:目が覺めると早や障子には朝日が當つて、庭の松の陰が赤々うつて居る、快晴かと頭の中で叫ぶ、と同時にスケッチ箱の事が浮むだ、東京へ注文してから最早八日、一今日は來るか明日にくるかと首差しのべて待つ甲斐もなふ最はや八日を過ぎた、若しや途中で迷つて居るのではないか知ら、イヤ、今日は九日目だ今日は愈來るにきまつてる、待ちに待つて侍ちあぐんで、不愉快、否煩悶するとこゝに九日愈今日は來るにきまつてる戀し戀しのスケッチ箱到着の夢を見ること幾度か。今日も目覺むると同時に諄くも是丈の纂を繰り返したのであつだ。
 朝食して出勤。留守には屹度と來て居ると自分で定めて自分で安心してうやむやの裡に正午がきた、半ドンであるからコソコソと片付て歸路に就いた
 。もう宅へは二十間と云ふ所で宅から郵便配達が走り出たのを認めた、アー甘い甘い、來た來た。思はず足を早めて飛込ざま只今ツー。
  キョロキョロ其邊を見廻したが夫れらしき影だに留めぬ、夫れでは書齋かと、荒々しく疊を蹴つて這入つて見れば爰にも亦有難き影はない、噫落膽膽如何瞬して此煩悶を遣ろーか、只悲しい計りである。
 晝食も濟みければ、急ぎ三脚とスケチブックおつ取り上げて五丁ばかりあるお宮へ出掛た、但しスケッチ箱の來ぬ不平さにいつもの様な笑顔では歩まなかつたと思ふ。 早や度々寫生はしたのであるが例の唐獅子を燃ゆるが如き紅葉のバックで描いた、一時間ばかり費やして―、夫れからは手洗場、★には今日捧げられたのであらう新らしき赤き模様の手拭が、ソヨ吹く風になぶられて居る、爰をば鮮綠の松をパックに描いた。
  一體此附近は名にし負ふ道後の平野で目を遮る物とては何もない、只遠く遠く紫色に霞んで見ゆる石槌山脈が?か西南のかた佐田岬をなし、前に長く長く松を植えたる重信川の堤、平野を貫き澤山の村落此所彼所に點在して見渡す限り何等の景も趣もない、四顧只渺として、所謂、平野である、平凡極りなきものである、であるから半日或は一日位の閑は多く一廻の頭の亂れを整頓すべく此宮で過された、故に此宮の唐獅子、御手洗場、玉垣、社殿、等は納めて吾がスケッチブックに、ハヤ吾がスケッチブックは是等唐獅子の問屋であるのである。
 其所らに遊ぶ二三の子供等をスケッチして、日も大分傾いたから家路についた、今迄忘れて居たスケッチ箱は叉頭の中に往來し初めた。戸口を入るのと郵便屋の出るのと出合頭。〆た〆た愈今度は‥‥、果して待ち焦れた箱は來た、急いで荷造りを解いて見れば山吹色の八ッ切の箱嬉しい嬉しい。中には特にあつらへの三合入の硝子の水筒めげもせず安全である。
 さア明日の日曜こそは‥‥と勇みに勇んですぐに二枚め畫板裏表てに水貼りの、水筒に水を詰めるやら繪の具――皿――筆洗――布――見取枠――乾燥紙――。四五度の催促でやうやう夕飯を了り町を散歩して、就床したのは九時過でにつた。
 安心したから眠れ相なものであるが、中々眠りどころではない、色彩の事から圖取、どの邊へ行けば畫題があらうかと彼れ此れと迷想して益★目は冴えて迚も眠りに入るべくもない、『みづゑ』の初號から引張出して見たり等した。
 先生實に壯觀ですなあ、何ともいへぬ、ヤー、此所が先生、老 杉洞です、ア!夫れ夫れ夫れが先生紅葉岩、ソラ、通天窓、紅雲亭、錦屏風、玉筍峰、と去る日太平洋畫會の先生連が寫生旅行をせられた、大阪毎日新聞の記事とスケッチの切抜とを手にして、のべつに自分はシヤベリ續けた、而も★は小豆島は寒霞溪の絶勝!。ドーシタハヅミカ丸山晩霞先生と自分とが★探勝とシヤレ込んだめである。
 元來自分に寫生の場所を撰ぶのが下手である、で大下先生の寫生せられた三脚の跡を見付れば大丈夫である、と切抜の寫生旅行記を讀み初めた、――一行は海と陸との二手に分れ中川氏は附近の山に單騎馳せ登れば人車を傭つて前日見定めたる場所をと坂手に向つたのは、大下氏、河合氏と満谷氏で――、こゝだくと自分も車に打乗りて坂手に急いだ、灣を眺望する小高き丘にはせ登れば一人の紳士頻りに灣を望んで思ひを馳せて居る様子――若しあなたは大下先生の三脚の跡は存ごしなきか、と尋ぬればニコニコ笑ひながら、此所ですと指す、ヤレ嬉レや有難しと、早速店を出して初めた、所が驚くべし運筆、色彩意の如く、不思議にも、二十分ならずして坂手の大眺望を描き上げ將に畫面を洗はんと平筆に水を含ますトタン、ヒョツクリ現はれた丸山先生、――ヤー是は實に驚いた、大家も迚も是には及ぶまい實に立派な繪じや壯美壯美實に壯美君は實に隠れたる大家である、コローでもコットマンでも乃至はターナーでも畏らくは及ぶまい、君は實に世界の大美術家である鳴呼隠れたる大美術家僕は引受て君を世界に紹介しやう、此繪は僕に預け玉へ今秋の文部省美術展覽會に出品する、と先生は連け様に一息にいわれるかと思へば畫板からベリベリベリッ、と引剥いで其儘どこともなく消え失せてしまつた、ヤレ嬉シヤ、自分にソンナ腕があつたのか、これも大下先生の御蔭であると、尚も先生の三脚の跡を慕ひて大部村、來て見れは自分の手に持つスケッチの切抜の通り大きな松、其根元の茅屋、★をも一氣に寫し上げ、隼山觀音、坂手灣内の島、扨ては河合先生、土の庄の入江、吉田先生の花壽波、内海灣、と約二十五枚の寫生をば一日に仕上げ、仕上ぐる度に、どこからともなし晩霞先生の現はれて一々畫板から剥き取つて持ち行かれた、最後に辨天島を夢中で寫しでゐると、突然丸山先生あらはれて、益々勉強し玉へ、と云つて破れ鍾の如き聲もて、隠れたる畫伯萬歳――ッ、と叫ばれたに、ハツと目覺めれば豈圖らんや先生ではなくて一緒に寝て居た弟の、何を夢みてが、まだ萬歳萬歳と叫んで居る、吾れ大得意の眞最中、否大家になり濟まし居る時醒まされて大ゐに興醒め氣抜がした、何だか惜しい樣である、噫實に愉快極まる夢を見たものである。時に午前四時遂に眠りもやらで、障子のホノ白うなるとき起き出で家人を急がせて朝食した、家人は餘り早きを厭ひて小言千邊實に氣の毒、萬謝。
  新着の箱、手馴れた三脚、包の辮當、一緒に括つて肩に引ん捲ぎ、イソイソと門を出た、薄靄罩むる曉がたの街!心地好きこと此上もなし。
 今朝の夢を繰返しつゝ行く、實に愉快千萬なる夢でありしよ、下地は好きなり夢見はよし、是れで傑作が出來いで何としやう、傑作を得る前兆の夢であるに相違ない。不識不知、早や一里も歩んだ。氣色のい、朝であ-る。天は高く、一氣は澄み、今、秋、酣、寫生の好機!今日は一番傑作を、と勇みに勇んで、早や巳に一里半を歩んで目ざす重信の堤に來た、堤下の茶屋より、マ―一服お召しなされ、何此馬鹿野郎一服どころの騒ぎじやないわい。
 トッカワ堤に驅け登りの、扨下流に行つたものか上流か?
 元來此重信川は田の面より河床の方高く常水とてはなく、一日も降雨あれば濁流滔々恐ろしきばかり實にヤクザな河である堤の中央に道路をなし兩側に松の大木密生して晝尚昏く、こんな無風流な堤防が平野の東西に貫きて、長さ九里中々寫生の材料どころではない。上流に向つて行くこと三里絶えず饑えたる者が食を求むると云ふ格で前後左右鵜の目鷹の目、好畫題もがなと、首の運動と箱の重きに左右の肩の痛みとは流石に出がけの勇氣を阻喪せしめた、で芝原に腰を下ろしてウヲッチを見れば正午を過ぐること早や四十分、未だ一枚のスケッチすら得ぬ愚かさよ實に馬鹿馬鹿しい、コー思へば腹も一時に空いてきたので辨當を食つた、――水筒の水を半分割愛して――。
 折角樂しんだ日曜の前半既に空しく過ぎたので根氣も抜け果てて、待てよこれでは新着の箱に對しても面目次第もない話しと、更に勇を皷して、堤を降り街道にいで、どことの的もなく四五丁歩んだが、ヒヨツト氣がつき、我家からはもう約四里半、歸路に就かねば遅くなる、と今日の馬鹿さ加減を呟きながら引返した、もー畫題を求め樣ともしなかつた、只無意識に歩いた所が、ドーシタハヅミかスケッチ箱は肩から離れてグワラーリツ。
 ハット目が覺めた樣に立止まつて、すぐ拾ひ上樣ともせず見守つた、スルト箱から水がタクタクタク、ヤッ、シマッタ。
 拾ひ上げて展いて見れば哀れ水筒骨破微塵、繪の具や筆が浮いてゐる、重ね重ねの失敗に暫し呆然となつた。
 斯くして折角の一日も安息日は只疲勞と破壊と不快とを買つたのみであつた、初めの勢どこへやら悄々と歸る吾が姿哀れの極みであつたらう。
 サテは今朝の夢は逆夢であつたのかチエーッ残念ツ――(終)

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