問に答ふ


『みづゑ』第七十二
明治44年2月3日

■一 色と色との境界のボケてゐるのは如何にしたら出來るや、いくら淡い色から順に重ねていつても矢張クツキリ際立つていかぬ二 日本水彩畫會午前と夜の授業は同樣なりや三 ニユートン乾製セピヤを使用せるに廣き面積の蔭影を塗ると所々色がかたまる、又洗へば剥げる、セピヤはそんなものにや(吉田伊勢雄)
◎一 強いて剥さなくとも重ねていつて離れて見てボケタやうな感じになればそれでよいが、色の境界を弱めるには洗ふのも一法なり、また濡れているうちに他の色をつけるのもよい、濡らして吸取紙を押して取るのもよい、種々にやつて見て自分で發明するのが一番よい二 午前も夜も初學のうちは異りなし、人體寫生に進むやうになつたら午前の方がよい、夜は人體は一ヶ月一週だけなれど晝は毎週ある三 繪具が古くなつた故ならん、熱湯に入れて軟らかにしガラス板の上で少しくグリスリンを混ぜて練直して見たまへ■一 物に強き光線を受けた時は必ず他の色に變ずるものにや、黒塗の板塀の如きは光線を受けし時如何なる色を生ずるや二 稽古用の水彩畫に用ふる紙は何がよきや三 遠景の森に後ろより太陽の照せる時こなたより見たる色の名を問ふ四 ニユートン製チユーブ入のバーミリオンの中に黒き色混りあり使用して差支なきや(京橋消印の人)◎一 太陽の光、月の光、燈火の光それぞれ相違はあるが、蔭にある時と決して同一の色調ではない、黒板塀の如きは其日光を受けた時間にもより板塀の新古にもより他の反映もあるから、こゝで何の色と何の色を合せよと指圖することは出來ぬ、また如斯は蔭の部分との對照によるべきもので、場合によつては實際よりも明るい色を以で畫く必要がある、實地について経驗され自得されたい二B印畫學紙の一枚七八銭のものなら使へるが洗ふことが出來ぬ、また快よい空色が出ない、少し高くともワットマンを使用した方がよい、裏表畫いても差支はない三 これも其距離及森の質によつて相違があるから、實地に寫生して経驗すべきものであるが、概してコバルトにインヂゴーを加へ多少のライトレッド又はバアミリオンを混ぜたら近い色が出やう、其分量の如きはこゝに記すことは出來ぬ四 黒い處は捨てたまへ■小生は師について學ぶこと一年、鉛筆畫を終りて只今花の水彩畫模寫をやつてゐます、然るに一向上達もぜず、模寫も手本のやうな色が出ない、小生は天才は無きものにや、また此位一生懸命にやつても上達せぬものにや(山田晩雪生)◎繪の修業は氣永にやらねばならぬ、天才の有無は其作を見なければ斷ずることは出來ぬ、模寫をして色の出ないのは注意が不充分であるからだ、またあまり手本がムヅカシクッてもいけぬ、模寫よりも簡單なものから寫生をした方が利益が多い、師に就いて學べば誰れでも早く上達するとは限らない、師の敎へ方の良否も大なる關係がある、將來美術家とならうと思ふなら東京へ一日も早く出て來て完全な敎授を受けなくてはいけぬ■日本水彩畫會研究所には他の學校のやうに春夏冬の休暇ありや、學期初めは何月よりなりや、寄宿舎の設けありや、また試驗ありや(東海畫狂生)◎年末年始に三週間、夏は七月二十日より九月十日迄休み、學科なき故何時にても入學差支なく、また入學試驗もなし、寄宿舎の設けもなし、詳しくは規則を取よせ見られよ■小豆島寫生記行の發行所及定價並に『寫生趣味』發行所紫欄會の所在を知りたし(東都の畫狂生)◎前者は日本橋區馬喰町二丁目興文社にして定價金壹圓八十銭位ひの豫定の由、後者は臺北小南門外一丁目三十二、紫瀾會なり■本年夏期講習に出張を受けたく思ひますが、何月頃迄にお願いたしたらよろしいか一寸紙上で伺ひます(兵庫縣有志の一人)只今二三の申込あり、何處でもよけれど可相成に熱心家の澤山集まつた處へ参つた方が自他の都合よき事と思ふ、それには御相談は出來るだけ早く願ひたし、いくら勉強しても一夏に三ヶ所より多くは開けぬから

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