寄書 姉の許へ

白也生
『みづゑ』第七十三
明治44年3月3日

 見渡せば雪消えて昨日今日漸く萠え初めた若草の香はしく、梅の蕾も日毎に肥立ち、春の希望を包んだ紅の玉、そしてこの梅の花が美しう咲き香ほふ頃は、其艶麗な花の補色か、私等の顔は漸々靑くなつてきます、後ろ鉢巻でxyだの三角形ABCだなどと言つて、死者狂になつて頭を抱ヘる時期です。
 それはさうと月日のたつは疾いものです。最早百日とたゝぬ内に五年生になるのです、姉さんが僕の行李の中へ手拭や用紙楊子着物等を入れて、母樣と共にいろんな事を言つて聞かして下さいました時、私は大きな聲で泣きましたでせよう、實際あの時は悲しいやうな嬉しいやうな、何とも言ひ得ない心地でした、忘れもしませぬ四月十三日、黎明薄紫のみ帷神秘を包んで東天を繚繞する頃に、宛然脱兎のやうに元氣よく俥に乗つて一里も來ない内に、氣の弱い小女に還つて今更家がなつかしく人知れず涙を落七た事等が、宛然昨日のやうに胸に浮かぶのです、それも早や四年昔の夢で、其長い間毎日學校へ通つて孜々汲々と經過しました、其の間に姉さんはとうとうお嫁に行つたのです、姉さんが縫つて下さいました蒲團は、今も尚着て昔を忍むでゐます四年の間華胥の國にでも遊んだやうな氣がします。
 來年は目的を定め何所かの學校へ行かればならないのですが、未だ何とも定まらないのです。
 冬休暇にも閑暇さヘあれば兄さんを相手に議論したのです、然し誰一人私の方に左袒して畫家になれと云ふ人はないのです、云はゞ四面楚歌の聲といふ有樣で、少しは繪の味を知つてゐる敏姉さんさへ兄の味方をして、醫者になれ醫者になれ、醫者程よい者はないと云はれるのですが、なんで私がタケノコ醫者になるものですか、私は人の身體を切つたり貼つたりする事は厭です、私には特有の天性と趣味とを持つてゐるのです、兄さんは商人の事ですから金程有難いものはない、金さヘあれば世の中は思ふ通りになるやうに思つてゐられるのです、そして醫者になれば金もしつかり儲かるし、程田舎に居てさヘ役に立つ、其上衆人の上に座つて威張れる、これ程よい事はないてはないか、得業士が不滿なら大學までも、元氣があれば洋行でもと噛んでふくめるやうに言はれるのを、私が屈せず理屈をコ子クルと、遂には憤つて怒鳴散らされるので、母や姉が心配して二人を宥められるやうな事も度々でした。
 兄さんが申されるのも無理はないのです、男兄弟ではたつた一人の僕です、醫者にして私を側に置いて股肱としやうといふ御了見などですから。又敏姉さんも兄さんの心をよく知つてゐられるから、私に反對して兄さんの味方をしられるのです。私も意地張るのは不利益な事はよく知つてゐますから、協議相談の結果、私の方が不正當でしたら私は快く醫者にでも百姓にでもなんなりとなります。
 然し、畫家といふ者はそれ程詰らぬ者でしようか。兄さんは近頃國へ離流して來てゐる六方とか云ふ南畫の先生を標準にして「畫かき」と唯一口にけなされるのです、六方といふ人は、京都の直入の弟子で長い間苦心惨憺して修業した結果こんな田舎を週つて僅の畫を賣つてやつと其日其日を暮すとか、こんな人を例に擧げて私の決心を飜へさうと思つて居られるのです。
 私は畫家に限らす一般藝術家の、うわべは人の羨やむ程派出な職業で、其實内面は惨憺な生活である事もうすうす知つてゐます、又隨分貧乏な生活をする事も覺悟して居ます。
 然し、私は派出な職業も富貴も望みません、三度の食事が出來ぬやうな事があつても、繪筆を抱いてカンヴァスの前に立てば空腹い事も忘れ、總ての邪念も虚榮も打忘れ、たゞただ自然の大景に接して、崇高な神秘な美に打たれて、自分を忘れたときがうれしいのです。餓死んでも厭ひません。趣味の爲に奮闘して、趣味の爲に死ぬるやうな事があれば私の理想です。
 フランスの西陣ともいふやうな美しい織物の産地リオンに、一八一一年貧乏小舎の中で初めて呱々の聲をあげたメソニヱーは、十九の時始あて都パリーに上つてから、名を成すまでに實は五十年以上といふ長年月掛つたのです。彼の美しい髪が眞白になる程、殆彼の一生涯中勤めて勤めた結果、漸く晩年に至つて桂の冠を戴いたといふ惨憺な歴史があります。私は其のみじめな生涯をしたメソニヱーが羨ましくつてたまらんのです。
 元來日本の現代社會には俗人が多いのか、又現金主義の人が多いのでせうか、金銭の奴隷になる人のみで崇高な趣味の奴隷は殆無いのです、現代の人々は繪畫に對して餘り冷淡です、特に洋畫の趣味のある人は五千萬の同胞の内僅に指折る程でせう私は遺憾に堪へません。兄さんは全々趣味が無い人ですから、無趣味な人と議論するのも駄目だと思つて諦めて居ます。
 然し、私が考へますのに、此後十年も經過したならば、無趣味現金圭義の日本人も少しは畫の有趣味が解つて、現今フランスや諸外國に於けるやうに、繪畫を★待するだらうと思つてゐます、兄の所謂「畫かき」が威張れる時代がきつとくるに相違御座いません。
 其の威張れる時代の活動舞臺に雄飛するには、どうしても此頃からの素養が大切だから、此の好時期を逃さないやうに、斯道に這入つて私の素志を貫徹したいのです。
 斯樣な具合で、私も經驗ある人々に相談する積りですから、姉樣もどうかとくとお考へなされて、何とか御意見を御聞せ下さい、亂筆ながら御相談中し上げます草々。
 眞面目な問題です、兎に角中學を出てからのこと、それ迄は學科を充分におやりなさい、美術學校に入るにしても中學の成績は大に關係があります。(編者)

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